先日、アイルランド人の劇作家・ジョージ・バーナード・ショウ の住んでいた家を訪れて来ました♪
ジョージ・バ-ナ-ド・ショウは1856年、アイルランドの首都・ダブリンに生まれたのですが、
父親はアルコ-ル依存症の落ちぶれた穀物商人で、
(その為、彼自身はお酒を飲まなかったそうです)
母親は声楽家で、
そんな夫に愛想をつかした母親は、彼女の歌の先生と恋におちいり、
彼が16歳に近い頃、その先生を慕って、2人のお姉さん達を連れてロンドンへ行ってしまい、
父親の元に残った彼も、20歳の時、母親の元へとロンドンに向かい、
それ以来、ずっとイングランドに留まったそうです。
(アイルランドにはその後、30年もの間、再訪しなかったそうです)
42歳の時(何月だったか分からないので41歳だったかも?)、富豪の令嬢と結婚し、
(彼は奥さんの印象を『チョコレ-ト色のモッサモサした髪を持つ、何億もの金の持ち主』と語っています、、、w)
(奥さんが富豪の令嬢だったが故、金目当てと思われるのではないかと、随分、結婚を躊躇っていたそうです、、)
結婚して8年後、『長生きの村』と聞く、アイオット・セイント・ロウレンス という小さな村にある、このお家に引っ越したそうです。
↓こちら↓は正門です。
この家は彼の死後、「ショウズ・コ-ナ- 」と名付けられ、それ(SHAW'S CORNERという文字)がゲイトに書いて(?)形とられて(?)ありました♪
見えるかな?
(見学へは、この手前の道を右へ少し行った駐車場から入場となります)
↓家の正面です。
この家を見に来た時、奥さんも彼も、どちらもこの家を気に入らなかったので、ここに住む事に決めたそうです!
奥さんは旅行好きで家を空ける事が多いし、彼は仕事に没頭するので... という事ですが、、、 へんなの???
前庭には、こんなおいしそうな赤い実がたくさん生っている木がありました♪
(ドッグウッド らしいです が?)
こちらが玄関。
玄関を入ると、エントランス・ホール(入り口の広間)です。
(家の中は「撮影禁止!」なのですが、みなさんに是非お見せしたくて、隠し撮りいたしました... 内緒ね♪)
上の画像の左側が玄関で、ドアから入ると右手には、彼が好んで弾いていたピアノと、その右横の角には、彼のたくさんの帽子がかかっている帽子スタンドがありました。
現在もまだ生きている彼の女中さんによると、彼は夏はウ-ルの帽子を、冬は麦藁帽子を被っていたそうです。(≧▽≦)
その写真を撮りたかったのですが、所々にヴォランティアのおばあさん達が番をしていて撮れなかったので、
この家の管理主・ナショナル・トラストのサイトから、画像をお借りしました。
彼の秘書によると、彼はイタリアの古いオペラをよくピアノを弾きながら歌っていたそうです♪
奥さんは、2階にある寝室に横たわって、それを聴いていたそうです。
ピアノって、そばで聴くより、離れた所から聴くほうが余韻が響いて(?)美しく聴こえますよね♪
玄関を入って、すぐ左側の、前庭に面した部屋が彼の書斎です。
こういう部屋って興味深いですね~♪
こういう本棚って大好き♪
どんな本があるのか、一冊一冊ずつ見てみたかったのですが、縄が張ってあって、部屋を少し入った付近までしか入れませんでした。
余談ですが、こちらでは明日、薄くてA5くらいのサイズの、160冊分の本が入った「エレクトロニック・ブック(電気本?)」が発売されるそうです!
コンピューターのスクリーンよりは見やすくて目に優しく、どんな角度にしても、暗闇でも読めるとか何とか...
う~ん... 本というのは、手触り、重さ、香りなど、やはり紙でできたもののほうが良いですよね♪
彼はガジェット(道具などの小物?)を集めるのが好きで、机の上にゴチャゴチャ色々置かれてありました♪
書斎の右隣の、玄関のある前庭ではないほうの庭(←ややこしい言い方、、、)に面した部屋が居間です。
この居間は、ほとんど奥さんの部屋だったそうです。
居間が奥さんの部屋?
彼は書斎や、後ほどご紹介する庭に建てた小屋で、物書きに没頭していたからでしょうかね?
奥さんはいつもこの部屋に、花瓶に生けた花を絶やさなかったそうですが、
彼自身は、花を花瓶にさすことを好まなかったそうです。
彼曰く、
「私は花が大好きです。私は子供達も大好きです。
でも、いくら子供達が大好きだからといって、その首をちょんぎって花瓶にさそうなんて思いませんねぇ。」w
彼は「自然は、自然のままにしておくのが一番美しい☆」と言いたかったのでしょうね(*^▽^*)
私も切花ってあまり好みません。
お店で売っている花束は、全く買いません。
こちらのお店で売っている花束は輸入されたものばかりで、
空輸や長距離トラックなどの輸送によって環境破壊や地球温暖化を悪化させる事や、
花栽培に関わる貧しい国の人達の道徳的な問題から... と、こんな堅苦しい事言ってると、また話が横にそれてしまいそう、、、w
居間の右隣の部屋は、ダイニング・ル-ムです。
彼はこの部屋で過ごす事が多かったそうです。
2~3時間もかけてゆっくり昼食をとりながら、たくさん受け取る手紙をテーブルの上に広げて、どれに返事を書こうか考えたり、
夕食後は、radioから流れるコンサートに耳を傾けて、くつろいだりしていたそうです。
優雅ですなぁ♪
オーケストラが演奏を少しでも間違えたりすると、その度にradio局のBBC(日本のNHKのようなもの)に電話したそうです!
彼はある夏の日、庭の果物の木を切っている時落ちてしまい足を折り、
病院に行って診てもらった時、腎臓を長く患っていたことがわかり、それ以来この車椅子を使っていたようです。
10月に退院して家に戻ってきたのですが、翌月、病気がもとで彼はこの部屋で息をひきとったそうです。
なんと94歳という、当時にしては長寿(?)でした!
(94歳にして、まだ果物の木を切っていたとは!)
やはりここは「長生きの村」だったのですね♪
前のテ-ブルの上にある、「2」と出ている丸い物はカレンダ-で、彼が亡くなった日付けにしてあるそうです。
玄関から入って右側の1/6くらい(?)が、台所等がある使用人の部屋で、彼はここには滅多に足を踏み入れなかったそうです。
使用人達を尊重しての事だったのでしょう。
ちなみに各部屋には、この使用人の部屋に通じるベルがあったのですが、
(何か用事があると、ベルを鳴らせばその部屋に使用人が来るというしくみだったのですが)
彼は一度もそのベルを鳴らした事がなく、何か用事があるとその度に彼はこの部屋まで来て用件を伝えていたそうです。
台所には素敵なレインジがあって、写真を撮りたかったのですが、ヴォランティアのおばあさんが部屋を離れないのでなかなか撮れません、、、
うぅ~ん、撮りた~いぃぃ、、、
しかし、諦めて2階へ上がって行きました。
2階はご夫婦の寝室と、お風呂場とおトイレです。
彼の寝室は、またナショナル・トラストからお借りした画像で...
いつも窓を開けて寝ていたので、あまり風があたらないようにと、ベッドの上にスクリーンを置いていたそうです。
奥さんの寝室は、今では様々な資料の置いてある博物館(博物室?)となっています。
その博物館の窓から、庭を見下ろした所をパチリ♪
↓見事なブドウが実っていました♪
たくさんの花壇、果樹園、林などのある、広~い庭です!
1.4ヘクタ-ルもの敷地だそうです!
(1ヘクタ-ルって? ...1万平方メ-トル???)
お風呂場の画像は撮れませんでした。
ナショナル・トラストのサイトにも画像がありませんでした。
彼は戦時中を除いて、毎日お風呂に入っていたそうです。
バーナード・ショウが話に出ると、必ずダーリンがこんな彼の笑い話を聞かせてくれるのですが...(ダーリンは同じ話を何度もします、、、)
ある上流階級の人達が集まる社交の場か何かで、古着を身にまとったバーナード・ショウに、あるご婦人が顔をしかめながら、
「You smell, Mr Bernard Shaw!(ショウさん、貴方、においますね!)」
と言うと、彼はあっさりさりげなく、
「No, madam. You smell, I stink.(いいえ奥様、におう(良い香りがして匂う)のは貴女で、私は臭い(くさい)のです)」
と、かわしたそうです。www
だから私は彼はお風呂に入らない、不衛生な人だと思っていました、、、w
2階の見学を終え、階段を下りて行くと、台所にあるあのレインジを撮るチャンスが!
隠し撮りですので、カメラのファンクションをフラッシュ無しにしておいたはずが、これを撮った途端、フラッシュが!
ぎぇぇぇぇぇ! ドキドキドキ! マッツアオになった私!
呆れ顔のダ-リン!
隣の部屋に行っていた、この部屋の番をしているヴォランティアのおばあさんが、怖~い顔をして...
「フラッシュ見えたわよ!」
きゃあぁぁ! 庭に逃げよ---う!
...なぁんて、逃げはしませんでしたが、「ごめんなさい」と笑顔でごまかして、冷や汗かきながら庭に出ました、、、
そのおばあさんより、ダ-リンのほうが怖い顔をしていました!
でもリスクをおかした価値、ありますよね、、、(^▽^;)
見て下さいこの↑レインジ↑♪
こんなカマドで、大きなお鍋においしいシチューを作ったり、
お菓子を焼いたりしてみたいですよね♪
↓こちらは、庭から見たお家です。
あの2階の一番右の窓が、ブドウの生っている、庭を見下ろして写真を撮った窓です♪
庭の林の片隅に、彼の「ライティング・ハット(物書き小屋?)」がありました。
小さな小さな小屋なのですが、この小屋は回転するようになっていて、太陽の照る方角に、その都度回転させていたそうです!
小屋の中は、こんなでした。
家と電話で繋がっていて、食事の用意ができると電話で知らせていたそうです。
彼はこの小屋を「ロンドン」と名づけ、
仕事に没頭したりして接客したくない時は、
お客さんが「ご主人は在宅ですか?」などと訪ねて来ると、
使用人に「ご主人様は、今、ロンドンにいます」と言わせ、
まるで、首都・ロンドンに行っていていませんと聞こえるような居留守をつかっていたそうです!
おっもしろ~い!
蜂も飼っていたそうです。
今でもこの家の管理主・ナショナル・トラストによって、蜂が飼われていました♪
うわぁ~ すごい!
彼はそうとうな甘党だったそうです♪
いつもテーブルの上にブラウン・シュガ-のポットを欠かさす置いていて、時々スプーンですくって食べていたそうです!
彼は69歳(68歳?)の時、ノーベル文学賞を受賞し、
82歳(81歳?)の時、オスカーを受賞しました。
二つの賞を受賞した、唯一の人物だそうです。
彼はそういう賞とかには全く興味が無く(かえってそういう賞に対して反対で)、ノーベル賞を拒否しようとしたのですが、
奥さんの強い頼みから、受賞金をスウェーデン語の文学を英訳する基金に寄付するという事を条件に、
そして祖国・アイルランドの為として、受賞を受諾したそうです。
謙虚(?)な方なのですね。
そういう人って尊敬します☆
どうしてスウェーデン語の文学なのでしょう?
彼はイプセン が好きだったからかな?
あ、イプセンはノルウェー人ですね、、、
あっ そうか! ノーベル賞の提唱者・アルフレッド・ノゥベルさんがスウェ-デン人だからですね!
違うかな、、?
このオスカ-賞の対象となった彼の有名な作品は、彼の死後、「マイ・フェア・レイディ 」としてミュージカル化された原作の、ピグマリオン です♪
静寂の広がる庭...
彼の灰は、7年前に亡くなった奥さんの灰と一緒に、この庭の小道と、
この画像では木の陰になっていて見えませんが左のほうに建っている、聖ジョアン の像のまわりに散らされたそうです。
彼は偏頭痛を治す為にと、25歳の時に菜食主義者となり、長生きの秘訣はそれにあると思っていたようです。
彼曰く、
A man of my spiritual intensity does not eat corpses.
私のような脱俗的な人間は、(動物の)死骸など食べません
ごもっともですね!
私達は死骸を食べているんですね、、、 ぎぇぇぇ、、、、、、、
でも、おいしいw
彼はこのようなとても皮肉っぽく聞こえる機知に富んだ事を言うのでも名高く、
その事で彼自身は、「うけるには、本当の事を言うのが一番うける。」とか言っていたそうです。w
以上、 ウィキピ-ディア(http://en.wikipedia.org/wiki/George_Bernard_Shaw )と
ナショナル・トラスト(http://www.nationaltrust.org.uk/main/w-vh/w-visits/w-findaplace/w-shawscorner.htm )と
英国のショウ・ソサエティー(http://www.shawsociety.org.uk/ )の資料から書き込みしましたが、
ナショナル・トラストの資料って、年代が間違っていたりして、あてにならないということを発見!
ひどいな~!
それに、こういった資料って、美化されたものとかが多いのかもしれませんね、、、
あ~ 久し振りに色々な資料を読みながら、ほとんど麻痺している脳を使って書いたので疲れました、、、w
ティー・ブレイクにしようっと♪
長々と読んで下さってありがとうございま~す☆





















