僕は喫煙者です。で、ほかの喫煙者の肩と同様に、最近の「禁煙ブーム」に対しては、なんかしらの違和感を持っています。

もちろん、煙草に害があることを認めないと言っているわけではありません。害はあると思うし、そのことに関する科学的議論にケチをつける気もありません。ってか、喫煙者なら吸ってるからわかるでしょう。体に良くないことくらい知ってます。

もちろん、受動喫煙はよくないし、分煙は進めるべきだと思います。ってか、僕ら喫煙者にしてみれば、喫茶店やバーに入る主な動機は「タバコが吸えるから」だったりするので、そういうところまで禁煙にされるのはちょっとあんまりなのです。少なくとも、喫煙者が十分にいる現状をかんがみれば、喫茶店の経営者だって多少の経費を掛けてでも「分煙」にすることで十分元は取れている気がしますし、それなら商売上問題だってないわけです。

なんというか、最近の「禁煙ブーム」って過剰なのです。煙草に害があるのは当然だとして、問題はその害って「そんなに」深刻なのかってことです。

たとえば、日本人男性の平均寿命が80歳だとして、煙草を吸ったことにより8年(20歳から一日20本)寿命が縮んだとしても、平均的に72までは生きる計算なわけです。この80歳には実質喫煙者が含まれているので、喫煙しないという条件のもとでは平均寿命は延びるはずでしょう。だから、実質平均的に72歳以上、その他のリスク要因に注意を払っていれば「もっと長生き」出来るのです。30%のカロリー制限をしたサルにくらべ、制限なしのサルでは病気になるリスクが3倍という研究もあるそうなので、その他の要因を潰していけば、タバコ吸ってたって長生きはできるわけです。それに、80歳まで生きれば嫌でも癌やその他の病気になるでしょう。タバコを吸わなくとも、結局は長生きという結果そのものによって疾病リスクが増大するんだから、煙草をやめればそれで健康長寿になれるのかというと、そんなことはないんじゃないのかなというのが僕の意見です。日本で暮らしてるって時点で、あなたはもううんざりするほど長生きできるんですよ。それでも、もっと生きたいと思いますか?

第二に、煙草によって死亡者が減ることってそんなにいいことなのでしょうか?政府の発表では、喫煙によって12%ほどの「死ななくてよかった人」が死んでいるそうです。もし、みんながタバコをやめたら、この12%が生き延びることになるわけですが、恐らく、この12%のほとんどは高齢者でしょう。おそらく、煙草によって伸びた寿命は、そのままそっくり高齢者の面倒を見るための費用として跳ね返ってくると思うのですが、これって煙草によって引き起こされた疾病を治療するためにかかっている保険料とくらべて、どの程度の金額になるのでしょうか?もしかして、どっこいどっこいだったりするのではないでしょうか?ただですら高齢者が多くて困っているのだから「高齢者キラー」である煙草は、むしろ世の中のためになっているのではという気さえします。ってか「死ななくてよかった人」なんて本当に存在するんでしょうか・・・たとえ数年長生きしたって、彼らのほとんどは別の原因で死んでくわけです。

そんなわけで、僕はタバコを吸っていますし、やめようとも思っていません。もし、タバコをやめれば癌にならず、ハッピーな老後を過ごせる確率が飛躍的に高まるというのであれば考えますが、どっちみち僕のような貧民は悲惨な老後を迎えるのが目に見えているので、「長寿」というご褒美は積極的なインセンティブにならないのが現状です。ってか、無駄に長い気なんかしたくないし、末期がんだってわかったら尊厳死という形で穏やかに死にたいと思っています。日本では禁止されているので、スイスに行く必要がありますが90万円くらいでやってくれるそうですよ。禁煙外来というものまで作っている「医療先進国」が安楽死のメカニズムさえ整えていないことのほうが、僕としては不安でならないのですが、健康オタクってそういう事態は想定してないのかな?


ともかく、このところの禁煙ブームは目に余る気がします。そこで、僕なりにその理由について考えてみました。なんか、被害妄想的な部分もある気がしますが、とりあえず個人的な雑感ということで。

1.健康産業
 少なくとも、過去数十年に比べて「健康意識」的なものがこれほどクロースアップされるようになった時代はないでしょう。そう言ったなかで、健康食品やサプリメントのようなものを売っている人からすれば、煙草を「敵」と見立ててキャンペーンを行うことが、収益にプラスになるというのは計算済みのはずです。禁煙は多大な努力を要するので、達成した人はおそらく健康志向にシフトするでしょう(認知不協和の解消というやつ)。そうなれば、それまでタバコに使っていたお金が、健康産業に流れる可能性が高いわけです。そういったところの後押しがあるような気がして仕方がありません。たばこ産業が「タバコは害がない」という研究に資金を投入していたことがあるように、「タバコは害がある」という研究にも、資金が提供されていることをお忘れなく。

2.集団ヒステリー
 人間は、目に見えないものを恐れます。どうやら、目に見えないものを恐れるのが好きなようです。工業化が進んだ時代、人々は大気中に潜む目に見えない「化学物質」を恐れるようになりました。得体が知れず見えないというところでは「放射能」と一緒です。こういった心理をたどっていくと、部族が恐れる悪霊までたどり着くのでしょう。受動喫煙が害をもたらすのは事実としても、たとえば、壁に付着した煙草の煙草の煙に含まれる「発がん性物質」が住人の健康に影響を与えるというような議論はやっぱりちょっと胡散臭い。量の問題を無視している気がするからです。そんなこと言ったら、排ガスから出る有害物質の影響はどうなるのでしょうか。それって、結構大きい気がしますが、誰も問題にしませんよね。副流煙に害があるにしても、限度はあります。ダイオキシンの時と同じで、目に見えない「化学物質」に対する過度の恐怖みたいなものが透けて見えて怖いです。それって、悪霊を恐れるのと心理的にはそれほど変わらないからです。禁煙すると美しくなれるなど美容と絡めて禁煙を奨める記事などもありますが、そこまでくると、もう幸運のおまじないレベル。なんか、感情的な反応が大きすぎて、正直気味が悪いです。

3.権威なき時代
 個人的な印象ですが、現代というのはとにかく「権威」が存在しない時代です。最近の禁煙ブームを見ていると、なんだか社会的異端を作り出して、改宗させるというお馴染みの公式が適用されているような気がします。結局のところ、社会は集団を「正しい側」と「間違っている側」に分けることで、集団を統制してきました。なので、どの時代の人間も「パブリック・エネミー」を必要とするのですが、少なくとも平和な世界において、そういった敵は「作り出す」ほかないものです。なんとなく、自分たちの正当性を担保するために敵として、喫煙者がやり玉に挙げられているようで、腹が立ちます。


4.空っぽの人生
 現代人は誰もがヴァンパイアを目指しています。ハリウッドのセレブレティにみられるよう、ジジイやババアになっても「若く美しく」あることが求められる中、長生きして引退後の充実した人生を送るという現実的には甚だしく不確実な「幻想」を餌に、みんな懸命に見当違いの努力を強いられている気がしてなりません。
 はっきり言って、年を取れば年相応の顔立ち、体になるのが人間です。いくら健康法だの美容法だのに気を遣っても、年を取れば皺皺になります。それが嫌なら金を掛けて外科的手術をする以外にありません。テレビや映画の世界は幻想です。もしかすると、女性の社会進出が盛んになるなか、美しさが職業能力と同等かそれ以上に評価されるため、世の意識高い系の一部の女性たちがある種の強迫観念に駆られているだけなのかもしれませんが、年を取るということに対する恐怖は以前にも増して深くのしかかっている気がします。
 そういう強迫観念に駆られた人から見れば、タバコなどもってのほかということになるのでしょう。なぜなら、結局そういった人々が恐れているのは、年老いた先にある死に他ならないからです。そう言った、死や老化に対する恐怖のはけ口として「タバコ」という形を持ったものを攻撃しているのだとすれば、それは頓珍漢だと言わざるを得ません。
 人間は死ぬし、寿命が10年伸びたところで、「充実した老後の生活」をエンジョイできるのは一部の人々だけです。大半の人々は体力的にも外見的にも年老いてしまうので、老後は老人として生活することしかできないのです。老後のために我慢するなんて馬鹿げています。いくら平均寿命が長くなったとはいえ、それは飽くまで統計的なものです。あなたが長生きできる保証はどこにもありません。過度に老後に期待し、いつまでも若くいたいなどという、恐らく人類最古の幻想をナイーブに信じるあまり、健康オタクになったところで寿命は延びません(そういうデータがあるそうです)。なので、あなたの幻想を守りたいがゆえにタバコと喫煙者を攻撃するのはやめてください。

なんか、一部本題から外れるところもありますが、これが今のところ、僕が思っていること、感じていることです。