人生は何でも起こる。天変地異・怪我・病気…その時からどう生きるかが人間力だ。北欧の中央駅近くのレストランで働き始めた日、すぐ横の劇場から毛皮コート姿の女優達が食事に来店。ウエイターの私を見て1人が少しコートを開く。下着が何も無い! 目を丸くした私を見て彼女達は笑う。Anything happens in life!! 次にHomoのアタックに大困惑。人生は大変だ。
Courtesy of igetkickoutofyou - Marilyn Monroe
@ Gamlastan Stockholm
私の生涯の親友が亡くなりました。彼は今、北欧の墓地で眠っています。彼の追悼記事が友人知人の哀悼の文章と共に雑誌に掲載されました。私の拙い一文も現地の言語に翻訳されて載りました。これはその元となった悼辞です。
青春の真っ只中で出会った君の葬儀での悼辞
炎暑厳しい季節とは言え、日本は観測史上最高の暑さに襲われていました。そんな酷暑のある日、君は突然逝ってしまった。それでも遠く離れた北欧の地はもうあまり暑くはなかったかも知れません。常に少年のような軽やかさを持ち続けた君は日本の熱波よりも、北欧の涼やかな一陣の風と共に旅立つのが相応しいと納得しようとしています。しかし君がいない、なんという寂しさでしょう。君と初めて出会ったのは40年とも70年ぶりともいう寒さに襲われた冬でしたね。あの年の暮れから翌年の2月にかけて北欧は猛烈な寒波の中にありました。外気は零下20℃を遙かに下回り、新聞に毎日凍死者の数が発表されていた頃です。僕は中央駅近くのレストランで働いていましたが、もう一人日本人を雇いたいというオーナーの希望でユースホステルへ日本人を捜しに出かけました。人気の帆船を利用した宿泊所はヨーロッパやアメリカからの若者達でごったがえしていました。そこで最初に出会った日本人が君でした。他に日本人がいたのかどうか、僕には何の記憶も無いけれど、今はその偶然に感謝します。君はあの頃も痩身でしたね。君は終生細身なままでその人生をあまりに速く駆け抜けてしまった。後で君は「日本では想像もしていなかったから、厳冬用の服なんて何も無かった」と打ち明けてくれましたが、あの時君は格好良く薄着で少し寒そうだったけれどダンディでした。快く翌日仕事場に来ることを約束してくれた日から何十年と言う時間が過ぎました。君が見つけたり、僕が捜した色々な職場で共に働いた北欧での6年間、その間にも君はイギリスに留学したり、僕もまたフランスで学生生活を送りましたから、実際の交友はそれぞれの生きた歳月のほんの短い季節だったと言えます。人生というのは不思議なものですね。僕が北欧で青春時代の真っ只中で君と出会ったという事実がその後の僕を決めてしまった。僕は北欧の街に今も住む古い友人達から北欧を偏愛する男と思われています。確かに何度かその様なことを書き、語ってもきました。しかし、君が逝って僕は今気がついているのです。僕の心の北欧は君がいた北欧であったことを。あの頃僕は生きていくのが精一杯で人生の標とするものを何も持っていませんでした。少なくとも日本を出るときに思い描いた希望や理想は長い間の極貧の放浪の中で遠く消えかけていました。しかし同年齢だった君が毎日話す話題や教養や知識、正義感溢れる意見や真摯な生活態度によって僕は大きく影響されました。その後、僕達は同じ街で多くの掛け替えのない友人達を得ました。高額な直行便の飛行機ではなく、日本からヨーロッパへ様々なルートでの長い放浪の末に北欧の地に辿り着いた十数人の日本の若者達は皆心優しく勇敢な素晴らしい仲間達でした。その彼らも僕同様に君のことが大好きでした。君が風になった日、僕は彼らからの電話やEメールで悲しい事実を知ったのでした。何の押しつけがましさもない誠実で大きな包容力があり、友情溢れる君がいるだけで、誰もが心地よく安心して頼っていたのです。それに僕のことを生真面目だとからかう君のほうが僕の何倍も女性に対して真面目で誠実なことにも僕は気づいていました。君が北欧の少女と初めて知り合った日のことをまるで昨日のように思い出します。冬そのもののような春が浅い日、君は職場の片隅で彼女との出会いを少年のように熱っぽく僕に語ってくれました。彼女の高校卒業の日、招待された白夜のパーティーで僕達に話しかけていたあの初々しい少女が、やがて君の伴侶として共に学業に励み、後に北欧を代表する学者になろうとは当時想像もしませんでした。君がどれほど精神的にも学問的にも彼女の力となったか、君という人物を知っている僕は容易に想像できます。きっと君は全身全霊で彼女を支え、その成長を願ったことでしょう。そういえば、君が中央駅からヨーロッパを離れるとき、彼女がプラットホームを走って君の列車を必死で追いかけましたね。このような純愛があるのだと、僕達日本人の間で暫く話題になったものです。その後君達二人は日本で暮らし、僕もイギリスの大学生活を終え日本に帰国しました。しかし日本での再会には間に合わず、君は再び北欧に居を構え、僕もやがてアメリカに生活の基盤を移しました。それでも君達の幸せな生活とビジネスや学問への研鑽振りは友人達の手紙でも十分想像できました。あれからも時折僕が慌ただしく北欧を訪れると、君はいつもの穏やかさで優しく僕に接してくれて僕達はまるで昨日別れたばかりのように親しく語り合ったものでした。そして君がいつも変わらずに現地で誰からも愛されていることを毎回改めて実感したのです。君の才能と人柄は長い間北欧の大きな組織の代表としての活躍に十分発揮されたことでしょう。僕は君の存在によって、その後の自分を律しようとしました。あまり自慢できる生活態度ではなかったけれど、少なくともいつか出会った時、君に恥ずかしくないように、あの青春を語り合った日々を裏切らないようにと自分を励まして生きてきました。君は無二の親友であり、生涯の畏友でした。僕は結局北欧を思い語る時、常にそこに君がいることを意識していたのです。その君が今はいません。これからどのように北欧と向かい合い、どのように語れば良いのか僕はまだ深い迷いの中にいます。しかしいつか僕も旅立ちます。その時どうか再び君との邂逅という幸運に恵まれますように。次回は時間を気にせず思い切り飲んで語り合いましょう。思えば僕の人生の旅は君と知り合ったことで本当に動き始めたのでした。そしてそれが全てだった。改めて溢れる感謝の言葉を綴れば君は照れるばかりでしょうが、ありがとう、心から礼を言います。君と出会えて本当に良かった。
私達仲間の中で偉大な冒険家だった故人の著書についてある一文を読んだ。「一見無謀・大胆に見える本書は緻密・勇気・才知に溢れている。誰もが抱いた青春時代の夢をパイオニアとして実現し、今も変わらぬ夢を追い続けているに違いない彼の近況を知りたい」。あの頃の友人達が逝く。私が生死を彷徨った時、彼も世界を駆ける夢を見て旅立ったのだろう。
一生元気に過ごせると本気で思っていた。だが死は隣り合わせだ。全てが機能しなかった体も、目が見え手足が少し動くようになり海外に飛び出した。東京を歩くのは無理だがホテルにいるだけなら海外でも仕事ができる。だが手が震えて機内食が食べられないし入国書類が書けない。あの時震えを止めるこのスタビライザーがあればどんなに良かっただろう!
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Courtesy of LIFT Labs
某年12月に人生最大の激ヤセ。大学入学には英国検定試験合格が条件だ。ロンドンの英語学校に申し込む。1年コースは来月開始だという。冗談ではない。来月受験したいのだ。12ヶ月の勉強を1ヶ月では無理だと断られるが1年の総授業時間660時間。12月には720時間あると反論。合格を目指して殆ど食べず眠らずだったが、11ヶ月の費用と時間を節減。
このサービスのアイデアは色々なジャンルで使えそうだ。Urban Compassはニューヨークだけのサービスだが、住みたい街や地区の情報を詳しく説明する人を紹介してくれるサイト。引っ越す前に現地に住んでいる人から、そこで生活をするために必要な知識をあらかじめ得ておけば、楽しさが倍増するかも知れない。どんな分野もこんなサイトがあれば便利だね。
Ccourtesy of Urban Compass
私はやると決めたら既にゴールへの半分は進んだと思う。後は行動だけだ。思わなければ何も始まらない。だから「心のワープ」だ。世界のコングロマットとなった会社に私は昔アポなしで飛び込み社長と面会して入社した。有り金が片道航空券の半分でも欧州に飛び出し6年暮らした。コネの無い米国で大学教員に招聘された。夢は信じて動けば確かに叶った。
JR東海がリニア超特急のルートを発表。時速500km。現実の乗り物が速くなる。友人と宇宙人談義。彼はその存在を信じ地球にも来ているという。私はこんなに広い宇宙空間だもの絶対いる筈だが、広過ぎて本当に来られるか疑問に思う。限りなく多い可能性×限りなく少ない可能性=?。ワープ移動は信じていいのだろうか。心のワープなら信じるのだが。





















































































































































































































































