月に一度のご挨拶 WIN&WINセミナー 塾長の手紙 -33ページ目
塾長の古田修一です。
日増しに寒さが増しています。もう11月です。今年もあと1ヶ月と少しになりました。寒くなってくると、高校受験や大学受験のことがいよいよ現実味を帯びてきて、私達も緊張感を増してきます。
高校入試は、1月22日の私立入試から始まり、3月3日には、公立高校の一般入試が行われます。私立入試まではあと80日、公立高校一般入試は121日となりました。(この手紙を書き始めた11月3日現在)いよいよカウントダウンが始まりました。大学入試は、すでに推薦入試が始まっています。年内には合格者も出てくると思います。今は、小論文の対策や、面接の対策など、高校生も志望校合格に向けて頑張っています。
これからはインフルエンザも流行する時期になります。体調には充分に気をつけて受験勉強に取り組んで欲しいと思います。

<私のこれまでの歩み~誕生から小学生~>
先月の塾長の手紙では、「塾生紹介サンキューキャンペーン」と私の誕生月でもある12月のことについて書かせていただきました。今月号はその続き、私自身のこれまでの歩みを振り返ってみようと思います。
私は今から39年前の昭和51年12月8日に、東京都大田区で生まれました。私の誕生の知らせを受けた父はたいそう喜び、喜びの酒を飲みすぎ、最寄の駅で泥酔し寝ていたそうです。(これは、母から内緒で聞いたエピソードです)私自身は、長男の誕生の知らせを受け、その日の授業は急遽お休みを頂き子どもに会いに行きましたので、そのようなことはありませんでした(笑)。
生まれてからすぐに、埼玉県に移り住みます。最初は入間という埼玉県の西部地区に住みました。それからというもの、だいたい4~8年周期での引越しがありました。父の会社は転勤のあるような会社ではなかったのですが、なぜか、ある一定の期間住むとその土地に飽きてしまっていたようです。入間市から飯能市、旧大宮市、旧浦和市。浦和市の中でも、南区の武蔵浦和から南浦和へ。私が結婚して独立してからも、住まいを南区の辻へ。私が30歳で結婚するまでに、6回も引越しを重ねました。
私の少年期から青年期にかけては、大宮市に長くいましたので(大学1年生まで)、そこでの思い出が今でも強く残っています。小学生から中学生にかけて私は地元のボーイスカウトに所属していました。当時のリーダーは大変面倒見が良く、活動日以外にも、休みの日があるといろいろなところに連れて行ってもらいました。活動の時には厳しいリーダーだったのですが、オフになると本当に優しい方でした。私の家庭は、ゲームなどが自宅には無く、娯楽といえば、ボーイスカウトの活動だったような気がします。その活動の中で、特に私がのめりこんだのがアマチュア無線でした。これって実は国家資格なんです。小学6年生の時に、ボーイスカウトの活動の一環で、講習会に毎週日曜日に通い、電話級(現在の4級)アマチュア無線技師を取得しました。それから、モールス信号などを勉強し、中学1年生の時に電信級(現在の3級)アマチュア無線技師を取得。見ず知らずの人と電波を通して会話することに面白みを感じ、夜も遅くまでやっていた記憶があります。特に面白かったのは夏の期間。空気中には電離層という層が張り、それに電波を反射させて長距離の人たちと話すことができる唯一のシーズンでした。しかも低出力(1W程度)で海外とも交信が可能でした。私は最長オーストラリアの方と交信することができ、初めて英語を使い会話したことに感動したことを覚えています。交信を終えた後には、QSLカードというものを相手局に送り、交信記録を交換します。そのカードを集めるのも楽しみでありました。海外交信が成功したときには、そのカードが来るのを、ことのほか楽しみに待ったものです。
休みの日になると、アンテナを抱えて山に登り、山頂からから交信を楽しんだりもしました。(高いところに行くと電波が遠くまで飛ぶのです)
電波上でのお付き合いでしたが、中には同年代の友達ができ、外に出て実際に会って遊びに行く友達もできました。
小学校高学年から中学3年生までそんな趣味を持っていたので、なかなか勉強にも手をつけることができませんでした。

<私のこれまでの歩み~中学生から高校生~>
中学校では吹奏楽部に所属していました。私が中学3年生の時に顧問の先生がかわり、かなり熱心な部活動に生まれ変わりました。私もその先生にひきつけられ、本来であれば8月のコンクールで引退するはずなのですが、11月に行われるアンサンブルコンテストまで出場することに。毎晩遅くまで練習を重ね、地区大会を金賞で抜けると、12月の県大会まで活動は続きました。この間も、文化部とはいえ大変な練習でしたので、体力的にもなかなか勉強に結びつかなかったことを覚えています。
さまざまな活動に没頭した中学時代でしたので、勉強面といえば、ひどいものでした。今考えると、何で勉強しなかったのだろうと思います。その一つの原因として考えられるのは、勉強面に対する自信を持つことができなかったことが考えられます。勉強をしたくてもやり方がわからない、だからといって定期テストはすぐにやってくる。学校の宿題もあるし、部活もあるし。そんな状況でしたので、自信がなくなる一方だったのでしょう。これが一番の原因だったと思います。
あともう一つの原因は、勉強をしてどうなりたいのかという明確な目標が無かったこと。中学生ではなかなかこの目標を持つことが難しいと思うのですが、もっていれば多少なりとも勉強に対するモチベーションが上がったと思います。

私の気持ちが上向きになったのは、高校に入学した直後からでした。中学時代には勉強には自信が持てませんでしたので、高校もそれなりの高校に入学しました。しかし、その高校との出会いがあったから今の私がいると言えるほど良い影響を受けました。
その高校では、「これまでの成績は関係無い。これから頑張ればその結果は必ず付いてくる」と私達生徒を励ましてくれました。クラスは到達度別のクラスで、定期テストでいい成果を上げることができれば、学期毎にクラスを上げてくれました。また、高い目標に対しては、真剣に応援してくれました。当時の英語の先生がかなり熱心な先生で、質問対応にも相当時間を取っていただきました。当時はまだ20代の先生だったでしょうか。私にとっての初めての憧れの先生になりました。中学のときまでそのように若く、熱心な先生がいなかったものですから。その先生の姿を見て、自分も教員になろうと強く思うようになりました。その先生が早稲田大学の教育学部出身ということで、私も高校1年生当時の目標は早稲田に置いていました。そんな高すぎる目標に対しても、笑うような先生は一切いなく、真剣に聞いてくれました。そのような環境でしたので、目標に向けて一日一日の授業を、中学のとき以上に真剣に受けていました。
目標ができればあとは勉強あるのみ。そこで、立ちはだかった第一の壁が、勉強習慣を付けることでした。中学のときはまるで勉強をしませんでしたので、机に向かう習慣が無く、机に付いたところですぐに飽きてしまっていました。
どうしようかと考えていると出会いはあるものです。私は高校でも吹奏楽部に所属したのですが、部活の先輩で、学年トップの成績の人がいたのです。その先輩とも活動を通して仲良くなり、どうすれば勉強習慣が付くか先輩の話を聞くことにしました。すると、「最初から一気に勉強しようと思うと無理だよ」と言いました。「まずは30分から始めてごらん。それができたら1時間だ。」と、少しずつ勉強時間を増やしていくことを提案してもらいました。私はその日から早速試してみることにしました。最初の1週間は、30分必ず勉強。それが達成できた翌週には、1時間に延ばし、それも成功。最終的には、毎日3時間学習する時間を確保できるようになりました。(今から考えると3時間は短いと思うのですが、当時の私にしては上出来だと思います。)
それから順調にいくと思いきや、やはりハプニングはあるものです。高校1年生の5月に虫垂炎(盲腸)にかかり、手術をし、1週間ほど入院することに。退院後も、様子を見るために1週間ほど自宅で静養していました。合計2週間、学校も行っていませんでしたので、勉強もできなかったのです。勉強も遅れていましたので、学校に復帰してからは、先生を捕まえて質問に行ったり、友達のノートを借りたりと、遅れを取り戻すのに必死でした。
第2のハプニングは、眠気との戦いです。部活動の練習は中学のとき以上にハードになり、夜になると勉強しようと思っても眠たくなってしまいます。通学が自転車でしたので、時間的にも30分ほどあれば学校から帰ることができ、周りの生徒に比べれば、勉強時間を確保するにも恵まれている環境だったのですが、睡魔には勝つことができませんでした。
そこで、考えました。どうすればそんな中勉強時間を確保することはできるか。このように考えられたのが、中学のときとは全く違っていました。
普通の人であれば、週末の時間を活用し勉強するのでしょうが、私は高校入学後もボーイスカウト活動を継続していたため、週末はほとんどその活動に時間が取られていました。また、活動の後に、先輩達と遊びに行くことも楽しみの一つでしたので、週末の勉強時間確保は難しかったのです。そのような状況でしたので、考えられるのは平日のみでした。月曜日から土曜日までの6日間をいかに過ごすかです。
そこで、考えたのが朝の早起き習慣です。疲れた夜は9時ごろには寝てしまいました。その代わり、目覚まし時計をかけ、朝4時には起床しました。最初は何度か失敗しましたが、習慣が付くとうまい具合に継続することに成功したのです。学校が近かったので、家を出る時間もゆとりがあり、朝3時間の勉強時間を確保することができました。この生活を3年生の部活引退まで続け、学校でも一番上位のクラスまで行くことができました。
ただ、今でも心残りなのは、学年トップは一度も取ったことが無いことです。良くて2位が最高でした。やはりどの学校にも、良くできる人はいるものです。私は常にその生徒を目標に頑張っていたのですが、力及ばずでした。
高校3年生になると、より一層勉強にも力を入れました。しかし、部活動がら引退は8月でしたので、他の生徒と同様の勉強時間を確保できず、朝3時間の勉強リズムを崩さず継続しました。3年生のときの担任の先生は、受験指導のプロとその学校でも呼ばれている先生でした。ですので、指導も厳しく、なかなか「OK」と言ってもらえないような先生でした。今でも思い出に残るのが、公募制推薦入試を受けるときの、志望理由書の作成です。余裕を持って出願の1ヶ月ほど前から担任に指導をしてもらっていたのですが、なかなか「OK」とは言っていただけません。作文を1~2分程度読むと、あまり読み込まずに、「こんなの小学生以下の作文だ!」といって、なかなかOKを出してくれませんでした。そうこうしているうちに出願の日も迫り、出願前日にもOKを出さず、「この先生は何を考えているんだ」と焦りから少し怒りも感じました。
出願日当日、ようやくOKは出たのですが、締切はその日の消印有効。時間的にも間に合わずどうしようか考えていたところ、担任から「浦和に行け。そこには中央郵便局がある。そこだったら間に合う」といわれ、即浦和まで電車で行き、出願を間に合わせることができました。
私は大学受験は1校に限定して考えていました。教員になるなら、そして通学時間もそこまでかからないのは、文教大学だけ。この公募制推薦がダメだったら、一般入試まで考えて準備をしていました。それでもダメなら浪人。
12月になり、発表日を迎えます。結果は合格でした。公募制は枠は少なかったので無理かと思っていましたが、まさかの合格に身が震える想いをしました。今改めて考えると、そこまでダメ出しをしてくださった先生に感謝の気持ちでいっぱいです。普通はどこかで妥協をしてしまいそうですが、この先生はそんなことがありませんでした。教育実習で母校に戻った際にも、いち早くその先生は、私を先生のクラスに連れて行き、クラスの生徒に紹介してくれました。それが嬉しかったことを今でも覚えています。

<これまでの歩みでよかった点>
今月号では、大学入学時点までを振り返ってみました。高校時代に良かった点をまとめると、①「今からでも変われる」と真剣に応援してくれ、自分を認めてくれた環境②よき先輩との出会い③短時間からの勉強習慣づけ、が挙げられます。
これらの点を達成すると、自然と自信もつき、高校生活も充実しました。このように書いていると、「これって、私の今の仕事にも活かせるかも」と思いました。自分自身が自信を持てるようになった過程を、塾での生徒への声がけや取り組みに反映させると、きっとこれまで以上に生徒も元気になる。また、こんな私の姿をもっと生徒にも発信して、私にもできるんだ、という感覚を持ってもらえたらと考えます。
今回は良かったことばかり書いてしまいましたが、実は失敗から学ばないといけないことも、これまで多くありました。特に大学時代は。来月号では、そんな私の失敗談も取り入れていこうと思います。
今月も1ヶ月よろしくお願いいたします。

~最後までお読みいただき、ありがとうございました。~

~追伸~
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