➀1968年7月、「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」は、プロデューサーのマイク・ヴァーノンブルー・ホライゾン・レコードからシングルA面としてリリースされた。ヴァーノンはピーター・グリーンに、曲の商業的な成功を向上させるためにストリングスセクションを追加することを提案した。 あと、後にメンバーとなるクリスティン・パーフェクトがオルガンを弾いている。(全英31位) ここでは、ピーターが当初考えていたブルース色の濃い長尺(6:14)ヴァージョンだが、あたかもピーターのソロ楽曲のようである。事実初期のフリートウッド・マックは彼のワンマンバンドだったからか…。

オリジナルは、R&Bシンガー、リトル・ウィリー・ジョン1955年に初めてレコーディングした楽曲。ゴスペルブルースおよびリズム・アンド・ブルースが特徴的に融合していて、キング・レコードがリリースしたジョンのこの2枚目のシングルは、1956年ビルボードのR&Bチャートの第5位を記録した。

➁邦題は「恋のモヤモヤ」。ダニー・カーワンによって書かれた渋いブルース・ナンバー。ダニーがフリートウッド・マック加入前にいたバンド、ザ・ボイラーハウスの楽曲。そのためフリートウッド・マックのオリジナル・アルバムには未収録。1968年8月24日のハイド・パークでの公演から2ヶ月も経たない10月6日、ダニーは他の3人とともに、フリートウッド・マックのメンバーとして初めてのスタジオ・セッションでこの曲をレコーディングすることになった。そしてアメリカ限定のコンピレーション・アルバム「English Rose」(Epic1968)で初めて発表された。この曲は、彼の代表曲の一つになり、フリートウッド・マックのメンバーとしての最初の数年間、ライヴでもダニーのヴォーカルとギターがフィーチャーされる定番となった。

蛇足ながら、ダニーはその美少年ルックスから当時イギリスではピーター・フランプトン(Herd)、トニー・ヒックス(Hollies)らとともに、ギタリストとしての実力も兼ね備えたアイドルだった。

1968年8月に発表されたフリートウッド・マックのセカンド・アルバム「Mr. Wonderful」に収録された楽曲。

ピーター・グリーンによって書かれたこの曲は、ジョン・マクヴィー加入後の68年4月にメンバー4人でレコーディングされた。 ロックンロールのリズム。Elvis Presley の曲だと言っても通用しそうなノリで、テン・イヤーズ・アフターにも通じる“ブルース・ロック”。

④この曲はもともとB.B.キングが1967年7月5日に録音し、67年8月ABC-BluesWayからシングル・リリースされました。この後、1968年1月にはアルバム「Blues on Top of Blues」にも収録された。邦題「心配な夢」。

アルバムでこれを聴いたピーター・グリーンは1968年4月11日にフリートウッド・マックのメンバーと録音したが、71年5月になってようやくリリースされた。このレコーディングにクリスティン・パーフェクトがピアノで加わったことで、ピーターはギターを最小限に抑え、ヴォーカルに集中することができたとか。クリスティンのピアノが実にブルースっぽくて素晴らしい!

B.B.キングが語った名言で「俺に冷汗をかかせる白人ギタリストは、ピーター・グリーンだけだ」というのは有名な話。

⑤この曲は1969年9月に初めてシングルとして各国で発売され、その後、同年のアルバム「Then Play On」のアメリカ版と1971年のアルバム「Greatest Hits」に収録された。(全英2位 全米55位)

「Oh Well」は2つのパートに分かれていて、「Part1」はヴォーカル付きの速いエレクトリック・ブルースの曲(2分19秒)、「Part2」はクラシックの影響を受けた全く異なるインストゥルメンタル曲(5分39秒)として収録されている。1969年のオリジナルシングルでは、パート2の最初の1分がA面へのフェードアウトコーダとして登場し、その後、パート2がB面から再び始まっている。パート2では、ピーター・グリーンの陰鬱なスパニッシュスタイルのアコースティックギターと低いエレキギターの前に短い休止があり、彼の当時のガールフレンドであるサンドラ・エルスドンが演奏するチェロリコーダー、ジェレミー・スペンサーが奏でるピアノのさらなる楽器のパッセージが続く。ジェレミーがこの曲に貢献したのはこれだけで、彼はパート1のレコーディングには参加しておらず、パート2ではピーターが他の楽器をすべて演奏した。作曲したピーター・グリーンはアルバム「Then Play On」から「Oh Well Part1」がシングルカットされるというので当初は相当渋っていたらしいし、バンドメンバーも反対していた。 BBCの「Peter Green - Fleetwood Mac」というドキュメンタリーではOasisのノエル・ギャラガーが「Oh Well」にぶっ飛んだと語る一方、ピーターは、インタビューで「“Part 2”の方がもっと素晴らしい」と言っている。正直かなり言っている内容が不明瞭で「“神”について歌っている」と当時の心境を語っている。

根っからのブルース好きであるピーター・グリーンはグループの方向性と反りがあわず、1970年5月アルバム「Then Play On」を最後にバンドから脱退、FLEETWOOD MACというバンドの激動のメンバー・チェンジの歴史がここから始まる。

⑥シザー・シスターズは、アメリカニューヨーク出身のバンドである。2001年に結成。メンバー4人のうちジェイク・シアーズ(Jake Shears)(ヴォーカル)、ベイビーダディ(Babydaddy)(マルチ・インストゥメンタリスト)、デル・マーキー(Del Marquis)(ギター)の3人がゲイ、紅一点のアナ・マトロニック(Ana Matronic)(ダンサー/シンガー)はバイセクシャルである。

70年代ディスコを思わせるサウンドのこの曲は、2006年8月にセカンドアルバム「Ta-Dah」からのファーストシングルとしてリリースされた。ジェイソン・セラーズスコット・ホフマンエルトン・ジョンが作曲し、エルトン・ジョンがピアノも担当し、ヨーロッパの多くの国で初のトップ10シングルとなり、英国の他8カ国で1位を記録。(邦題:ときめきダンシン)  この曲のテンポ、アレンジ、ファルセット・ヴォーカルの使用、主題は、ガーディアン紙とザ・サン紙のレビュアーによって、レオ・セイヤーの1976年のヒット曲「You Make Me Feel Like Dancing」と比較されている。ここでは、イントロのギターソロが素敵なアルバム・ヴァージョン(4:48)を…。 MVからも伝わる、享楽的でサイケデリックでセクシー、だけれどオシャレな世界観。アメリカのバンドなのに、イギリスのグラムロック的な匂いを、そして割と近くにBee GeesやQUEENの影響を感じるバンドだ。このような要素があるからか、やはりイギリスでの売り上げが凄まじかった。何が面白いかって、これだけノリノリなのに曲名が「I Don't Feel Like Dancin'(踊りたい気分じゃない)」ってところ…。いやいや、めっちゃ踊ってるじゃないか。この曲の肝は「I'd rather be home with the one in the bed 'til dawn with you get down with you(クラブへ踊りに行くより君と朝までベッドにいたほうがいいよ)」という部分にあるだろう。やはり享楽的な愛を謡っている。

⑦~⑩は、1973年フェイセズ脱退後シンガーソングライターとして活動したロニー・レーンの珠玉の4曲。

“Plonk”の愛称で皆に親しまれたロニー・レーンは稀有な才能に恵まれたミュージシャンでもあり、その音楽的な功績は彼の在籍したバンドのアルバムや様々なかたちで残されたパフォーマンスで確認することができる。

⑦フェイセズのアルバム「Long Player」でRod Stewartが歌っていたこの曲を、ロニーが1stソロアルバム「Anymore For Anymore」(1974)でセルフカバーしたのだが、こちらのヴァージョンの方が、カントリー/フォーク風のアレンジとロニーの声が合っている。(Lane)

⑧この曲もアルバム「Anymore For Anymore」(1974)に収録。オリジナルは、ジャック・エリオットとのランブリン・ボーイズでの活躍でも知られる、世界中を放浪した伝説の“バンジョー・マン”、デロール・アダムズによる名曲。 マンドリンが鳴り響く、ノスタルジック・ムードたっぷりの"古き良きアメリカ"の世界なのだが、ロマンティックな味付けがなされたアレンジのセンスが抜群だ。

⑨ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントとロニー・レーンによるコラボレーション・アルバム「Rough Mix」(1977)に収録されている佳曲。(Lane, Lambert, Eric Clapton)

ロニーは、彼の当時の妻ケイト・ランバートと仲間のエリック・クラプトンと一緒にこれを書きました。彼らはウェールズとの国境にあるイギリスのシュロップシャーにあるビショップスキャッスル近くのフィッシュプールファームでそれを書きました。

アニーはレーンのベビーシッターで、道の先にある古いコテージに住んでいました。彼女は毎晩6時頃にやって来て、彼らが彼女を必要としているかどうかにかかわらず、ケイトの子供たちや物々を手伝っていました。

オールド・ジャックもまた、いつも農場にいた隣人でした。

エリックは、ロニーがフェイセズを離れてシュロップシャーに引っ越すまで、ロニーの親友ではありませんでした。彼は依存症との戦いを克服していたので、そこに彼らを訪れるのが好きでした。

「Annie」という曲のバンドは、ロニー・レーンのスリム・チャンスのメンバーで構成されていて、まさにそのスタイルで演奏されている。このレコーディングには、フーのベーシスト、ジョン・エントウィッスルローリング・ストーンズイアン・スチュワートチャーリー・ワッツ、エリック・クラプトンなど、多くの有名な同僚も参加している。アルバムは、英国のアルバムチャートで#44、米国のビルボード200で#45でピークに達しました。 ロニーが彼の母親も苦しめられた多発性硬化症と診断されたのは本作の録音直後であった。当初病状は軽度であり、彼はツアーを行い、曲を書き、エリック・クラプトンと共にレコーディングも行った。

➉この「バルセロナ」もエリック・クラプトンとの共作で、全編にクラプトンとレーンの絶妙なギターアンサンブルが流れる美しいバラード。さらに旧友で元ポール・マッカートニー&ウイングスやグリースバンドのヘンリー・マックロウ(Henry McCullough)もピアノで参加している。これが僕のマスターピースとロニー自身も太鼓判。…ではスリム・チャンスは何だったの?と思ってしまうのだが、常に最新の盤が最高、というのが彼のミュージシャンシップだったろうし、やり切った感があったのだろう。結局これがロニー・レーン最後のレコーディングになった。ラスト・アルバム「See Me」(1979)収録。

多くのミュージシャンに慕われ続けたロニー・レーン。その死後も変わらずの尊敬が若いミューシャンの間にも根強く残っている。彼の音楽の特徴は…、一言では言い表しにくいが、ある人が彼の音楽をロックンロールならぬ“rock'n'folk”と評していて、私が聞いた評価の中では一番簡潔かつ的確かなと思う。

 

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