1962年にブライアン・ジョーンズが創った“The Brian Jones Blues Band”即ち、初期ローリング・ストーンズの佳作曲を振り返ってみる。 『ブルー&ロンサム』の原点はここにある。バンド名はジャガー曰く、当時リーダーであったジョーンズが「ジャズ・ニュース」紙との電話の際にバンド名を尋ねられ、床に置かれたシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズのレコードの中の1曲“Rollin' Stone”にちなんで、ザ・ローリング・ストーンズと名乗ったとされる。ストーンズが最も情熱的で強烈だった時代の音を聴くことで、バンドが既に地元では有名であったが、世界征服までまだ後少しという、彼らがまだハングリーで、切磋琢磨していた時代に戻ることが出来る。

➀この曲は、1969年7月5日にロンドンのハイドパークで行われたフリーコンサート、開催2日前に急逝した元メンバーのブライアン・ジョーンズの追悼コンサートでも演奏された。日本では1972年3月20日にNHKTVの音楽番組「ヤング・ミュージック・ショー」で放映された。個人的にはその時に好きになったナンバー。

ゲストとしてジェームズ・W・アレクサンダーがタンバリンで参加していて、間奏でのキースの朴訥としたギターソロが絶妙なアクセントになっている。 ローリング・ストーン誌は「I'm Free」をローリング・ストーンズの78位にランクインし、「タンバリンをちりばめたフォーク・ロッカーとチャイムのようなバーズのようなギター。このさりげないリバタリアンな曲は大ヒットしなかったが、60年代の最もしなやかなアンセムの1つだ」と評した。アルバム「Out of Our Heads」(1965)収録。 Jagger/Richards

1963年6月にデビュー・シングルとしてこの曲をカバーし、全英チャートで21位を記録。ギターキース・リチャーズが担当し、ブライアン・ジョーンズハーモニカで参加している。またビル・ワイマンと共にバッキング・ヴォーカルも担当。 当時R&Bバンドとして活動する意向を持っていたメンバーはデビュー曲に選ばれた本作に拒否感を持っていたが、所属するデッカ・レコードからは「売れ線の曲でなければならない」と牽制されたため、この決定を受け入れざるを得なかった。 Chuck Berry

1964年に1枚目のアルバム「The Rolling Stones」の収録曲として発表された。以後、多数の楽曲を発表することとなるジャガーリチャーズ名義での初の楽曲であると同時に同アルバムの収録曲中唯一のオリジナル曲。ストーンズ前のメンバーだった、イアン・スチュワートピアノで演奏に参加している。1964年6月、2分47秒の短いヴァージョンがアメリカでシングルとしてリリースされ、Billboard Hot 100で最高24位を記録。

日本では1968年にB面に④「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」を収録したシングルが再発売され、両面ともに当時のグループ・サウンズがこぞってカバーする人気曲となった。この楽曲がきっかけでローリング・ストーンズというグループ名が国内に浸透しはじめたとされる。

④1964年9月26日にアメリカでシングルA面曲として発表されたものはイントロがオルガン・ヴァージョンで、Billboard Hot 100の6位を記録し、米ロンドン盤アルバム「12×5」に収録。本国イギリスで翌1965年1月に発売されたアルバム「The Rolling Stones No.2」には、ギター・ヴァージョンが収録された。こちらはブルースの殿堂ともいえるシカゴのチェス・レコードでレコーディングされたせいか、全体的によりテンションが高く、バンドはコンピレーションにはこちらを選ぶことが多い。

オリジナルは、アメリカのジャズトロンボーン奏者のカイ・ウィンディング1963年に発表した。タイトルの意味は「時間は私の味方」で、コーラスが歌う内容は「俺と別れて自由になりたいと言ってるが、きっと俺の所に戻って来るさ」である。コーラスはディオンヌ・ワーウィックと妹のディー・ディー・ワーウィック、姉妹の叔母でホイットニー・ヒューストンの母にあたるシシー・ヒューストンの3人が担当した。 その後1964年6月、ジミー・ノーマンによって新たな歌詞がつけられ、インペリアル・レコードに所属していた女性シンガー、アーマ・トーマスによって歌われた。 Norman Meade/Jimmy Norman

⑤1964年11月13日、ザ・ローリング・ストーンズはイギリスにおける5枚目のシングルをリリースした。そしてこのシングルで、やがて彼らは2度目のチャート首位を獲得する。この曲はブルースのカバーだったが、ブルースのレコードがイギリスのシングル・チャートの首位に立ったのは初めてのことだった。 思うに、この偉業を一番喜んだのは、ブライアン・ジョーンズだったのでは…と。 ミック・ジャガーは、1964年11月に以下のように語っている。「いろんな人が、”Little Red Rooster”のテンポが遅すぎると言ってる。でも俺たちは、いつも何かのパターンに従って行動しなきゃいけないのか? 俺たちとしては、ただ趣向を変えて、いい感じのストレートなブルースをシングルにしてみようと思っただけだが、それが何か問題だっていうのか? あのレコードは踊るのにもピッタリだ。もちろん踊る相手によるけどね。チャーリーのドラミングのおかげで、ダンスにちょうどいい出来映えになってる。」 この曲には露骨に性的な雰囲気があふれていたので、この曲が首位に立った週、BBCは音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」へのストーンズの出演を拒否、アメリカ(ロンドン・レーベル)ではシングルリリースが見送られた。 ストーンズの伝記作家ショーン・イーガンは、「多くの点で、これはブライアン・ジョーンズの記録だ。彼は常にバンドで最大のブルース純粋主義者だった。 アコースティック・ギターとエレクトリック・スライドの並置は、彼らがこれまでに試みたどのブルースよりも豊かで温かみのあるものを生み出している。 ジョーンズの演奏こそが、最も顕著な特徴である鳴き声のボトルネックと彼のクロージングハーモニカの両方を通じてレコードを作っている。」と書いている。

蛇足ながら、シカゴ・ブルースの巨人、ハウリン・ウルフがロンドンで錚々たる英国ロッカーたちと行ったスーパーセッションアルバム「THE LONDON HOWLIN' WOLF SESSIONS」(1970)でのヴァージョンも必聴。エリック・クラプトンの演奏が素晴らしい!  Willie Dixon

 

 

⑥⑦⑧⑬の4曲は、BBCのラジオ番組での貴重なライヴ音源を収録したアルバム「ON AIR」(2017)からの秀逸曲。

いずれも彼らのライヴバンドとしての魅力満載のパフォーマンスを披露している。

⑥オリジナルは、ボビー・トゥループ1946年に作詞・作曲したアメリカ合衆国のポピュラー・ソングで、ジャズのスタンダード曲として名高い。 ストーンズのヴァージョンは、アルバム「The Rolling Stones」(UK盤) のオープニングを飾っている。 バンドが一体となって疾走するグルーヴ感、攻撃的なキレ味は、66号線をスポーツカーでブッ飛ばしているようだ。

タイトルとなっている「ルート66」は、イリノイ州シカゴカリフォルニア州サンタモニカロサンゼルス郊外)を結ぶ国道66号線のことである。歌詞はこの道を走っての旅へ誘う内容で、途中には沿線各地の地名が登場する。シンプルなリフを基調とする平易で親しみやすい曲調と、観光案内的で軽快かつコミカルな歌詞とが相まって広く好まれ、1946年のナット・キング・コールの歌唱によるヒット以来、半世紀以上に渡って歌い継がれている。

⑦この曲のオリジナルは、チャック・ベリーによって書かれ、最初に録音された1958年のロックソングです。元々はシングル「Johnny B. Goode」のB面として「Around & Around」という名前で登場した。

ローリング・ストーンズは、1964年にEP「Five by Five」とアメリカのセカンド・アルバム「12 X 5」でこの曲をカバーした。レコーディングにはバンドメンバーの他に、ピアノにイアン・スチュワートが参加。1964年10月、彼らはエド・サリヴァン・ショーに初めて出演した際にこの曲を演奏し、彼らは1964年と1965年のツアーで定期的にこの曲を演奏した。また、同年、ストーンズは有名なTAMIショーのオープニングをこの曲で飾った。

⑧この曲のオリジナルは、アーサー・アレクサンダーによる1961年のリズム&ブルースのナンバーで、1962年3月にはBillboard Hot 100で24位に達しました。

1964年1月10日、ローリング・ストーンズは、このカバーをEPThe Rolling Stones」でリリースした。“オールミュージック”のブルース・エダーは、このEPについて「本当の目玉はアーサー・アレキサンダーの「You Better Move On」だった。これはバンドがコンサートでやっていたアメリカ生まれのお気に入り曲で、これは彼らがすでにレコードでやっていたブルースやハードなR&Bと同じくらい強烈で、よりソフトで、より叙情的で、ソウルフルなサウンドを見せるチャンスだった」と書いている。このEPは、リリースの翌週にチャート入りし、1964年2月にUKのEPチャートで1位を獲得した。

⑨邦題のタイトルは、「19回目の神経衰弱」。 ザ・ローリング・ストーンズがアルバム「Aftermath」セッションのなかで録音してシングルリリースした、シャッフル・ビートのハイテンポなロック・ナンバー。(全米2位, 全英2位)  結局、このアルバムには収録されず、ライヴアルバム「Got Live If You Want It!」に、ニューキャッスル・アポン・タインで行われたものが収録されている。(1966年10月) しかし、「BIG HITS HIGH TIDE AND GREEN GRASS」他、多くのコンピレーションアルバムには収録されている。蛇足ながら、エンディングでビル・ワイマンにしては珍しい派手なベース・プレイが聴ける楽曲。 Jagger/Richards

P.S.映画「ミニオンズ」(2015)の挿入歌で流れたときは何故か嬉しくなりました。

1968年5月、バンド史上一番の正念場といえる時期に発売されたこの曲は、グループを存続の危機から救う1曲になった。タイトルの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はキースの自宅の庭師のジャックについての語呂合わせで、歌詞の内容は「辛い経験を経て薬物を断ち切り復活する」というメッセージが込められているが、ミックはサイケ期にまつわる諸々の煩わしさからの脱却を込めていると近年になって語っている。エンディングのさまざまな調べが織り重なっていくアレンジも素晴らしく、まさに黄金期の到来を告げる歴史的名曲。彼らは、自分たちの根幹に宿るパワーを駆使し、彼らの代名詞ともいえる激しいサウンドを作り出した。彼らはそのサウンドによって、のちに“世界最高のロックンロール・バンド”の称号を得ることにもなる。ともあれ、長らく失敗続きだったストーンズのシングルの呪縛を打ち破った。英国、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、オランダのチャートで見事1位に輝いた。 尚、この曲のベースはリチャーズが兼任しており、ワイマンはオルガンを担当している。 1969年のアルバム「Through The Past, Darkly (Big Hits Vol. 2)」に収録され、ブライアンが亡くなった後にリリースされた。 Jagger/Richards

⑪バンドの最も人気があり、最も物議を醸した曲の1つと考えられているこの曲は、ブライアン・ジョーンズが提供したインドの楽器をフィーチャーしており、ラーガロックの曲として特徴付けられています。また、武装革命についての物議を醸す曖昧な歌詞も特徴です。 アメリカでは1968年8月にシングルとしてリリースされたが、イギリスでは4ヶ月後のアルバム「Beggars Banquet」でサイド2のオープニングを飾った。ジョーンズはアルバムの最後の2曲を除くすべての曲に参加しており、「Street Fighting Man」ではシタールタンプーラを演奏している。ヴォーカルのジャガー、リチャーズが曲のアコースティックギターパートを演奏し、レコーディングで唯一フィーチャーされたエレクトリック楽器であるベースギターも担当している。チャーリー・ワッツがドラムを叩き、ニッキー・ホプキンスがピアノを弾いている。(全米48位)   Jagger/Richards

⑫アメリカでのシングル「Street Fighting Man」のB面に収録。ブライアン・ジョーンズのスライド・ギターが美しいカントリー調のバラード。噛みしめるように「もうなんの期待もない…ここには来ない、二度と」と歌うミックのヴォーカルも切なく良い。キースの12弦ギターとビルのベースも好演。あまり目立たないが、ピアノも効果的に使われている。創設メンバーのブライアンがその構築に重要な役割を果たしたストーンズの最後のトラックの1つと見なされています。そして、それは彼が演奏したローリング・ストーンズの最後のシングルとなった。 アルバム「Beggars Banquet」(1968)に収録。

PERSONNEL:

Mick・Jagger – Lead Vocal

Keith・Richards – Acoustic・ Rhythm・Guitar

Brian・Jones – Acoustic・Slide・Guitar

Bill・Wyman – Bass Guitar

Charlie・Watts – Clave

Nicky・Hopkins – Piano、Farfisaorgan

Jagger/Richards

⑬アルバム「ON AIR」収録。輝かしいカバー・ヴァージョンに混じって、荒削りながらも活気あるストーンズの代表曲も聴ける。 この「サティスファクション」は、バンドのライヴの臨場感がレコードで聴くよりも遥かに直接的でスリリングに伝わってくる。この音源を聴くと、実際にその場にいなくても、当時の興奮を間近に感じることが出来る。

ストーンズが世界的な人気を獲得する契機の一つとなった曲で、全米のシングルチャートで4週連続1位となり、イギリスにおいても2週のみだが1位を獲得した。 ビルボード誌の1965年年間ランキングでは3位につけ、アメリカだけでも150万枚を売り上げ、RIAAからゴールド・ディスクとして認定された。 アルバム「Out Of Our Head」収録。 Jagger/Richards

1969年7月3日にロンドン、オリンピック・スタジオにてアルバム「Let It Bleed」のセッション中に録音された。ブライアンの後任としてストーンズに加入したばかりのミック・テイラーもスライド・ギターで参加。 また、バンドの創設者でリーダーだったブライアン・ジョーンズが亡くなったというニュースが流れた夜でもあった。

スティーヴィー・ワンダーのカバーだが、コンピレーション・アルバム「Metamorphosis」(1975)から先行シングルとしてリリース時のクレジットは「ジャガー/リチャーズ/テイラー」と誤記された。(全米42位)

Stevie Wonder/Paul Riser/Don Hunter/Lula Mae Hardaway  

1962年、20歳のブライアン・ジョーンズがジャズ・クラブでエルモア・ジェイムスの「ダスト・マイ・ブルーム」を演奏しているのを、観客として来ていたミックとキースが聴いて惚れ込んだときにザ・ローリング・ストーンズは転がり始めた。同時にロックの歴史も動き始めたのだった。

初期ストーンズの音楽スタイルはブライアンによって作られたものだが、ひとりだけ金髪で、学者のようにも悪魔のようにも見える顔立ちの彼は、バンドのビジュアルイメージにもまた、重要な役割を果たしていた。

初期ストーンズが危うく偽ビートルズみたいにならずに、まあ好みにもよるが、ビートルズより圧倒的にロック的なカッコ良さを音楽的にもイメージ的にも備えていたのは、ブライアンがいたことが最大の要因だろう。

しかし60年代が終わろうとする頃にはすでに重度の薬物依存に陥り、レコーディングにも参加しなくなったブライアンは、1969年6月に、ミックとキースからストーンズを脱退することを勧められ、それを受け入れた。要するに彼は、自分が作ったバンドを、解雇されたのである。

それからわずか4週間後、彼は自宅のプールで死んでいるのを発見された。死因ははっきりしていないが、アルコールとドラッグを伴った事故死とされている。

 

 

 

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