①ストーンズがデビュー後、1964年6月に初めてイギリスのシングルチャートで1位に輝いた記念すべき曲。
キースとブライアンの2台のギターの絡みが心地よいノリのいいナンバーで、イアン・スチュワートがピアノで参加している。アルバム「12X5」に収録。
オリジナルは、アメリカのR&Bグループ、ヴァレンティノスが1964年3月24日にハリウッドのユナイテッド・レコーディングでこの曲を録音し、2か月後にシングルリリースした。(全米最高位94位)
1964年6月1日、バンド初の北米ツアーのためにニューヨークに降り立ったローリング・ストーンズは、同日にゲスト出演したラジオ番組にて、DJのマレー・ザ・Kからヴァレンティノスの「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」を紹介され、彼からこの曲をカバーするよう勧められた。6月10日、バンドはシカゴのチェス・スタジオで行われたセッションの中で、この曲を録音した。 Bobby Womack/Shirley Jean Womack
②この曲はバディ・ホリーが1957年にクリケッツ名義の「Oh Boy」のB面として発表したナンバーですが、ストーンズのは、まず、イントロでストーンズの片鱗がここで出ています。このイントロ、まさにストーンズって感じ…。で、ブライアン・ジョーンズのブルースハープが、めちゃくちゃかっこよく、ミックのヴォーカルとチャーリーのドラムもイカシてます。
1964年2月21日の金曜日、デッカ・レコードは「ノット・フェイド・アウェイ」をザ・ローリング・ストーンズのイギリスでのサード・シングルとして発表した。このポップ・ロックの名曲はたった1分42秒だが、ミック・ジャガーが彼らしい歌声を披露した最初のシングルであった。それから2週間遅れて、同曲はバンドのアメリカでのデビュー・シングルとしてロンドン・レコードからリリースされた。(全英3位、全米48位)
Norman Petty/Charles Hardin
③「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」でルーツ・ロックに回帰し、ファンから支持されたストーンズでしたが、シングルB面に収録されたこの曲は、サイケデリック・ロックの残り香を感じさせるサウンドでした。
では、評価が低かったかというと、全くそんなことは無く、むしろ「B面にしとくのはもったいない」という評価を受けている。実際、ブライアンはこれをA面にと主張した。1967年後半に録音されたこの曲は、サイケデリック時代の実験期間から、バンドが今後10年間で異なる、そして確実により大きなスケールでの存在に変貌しようとしている過渡期の最後のあがきのようである。それは、典型的なローリング・ストーンズの曲とは思えない、10年ほど後のU2のザ・エッジを彷彿させる途切れるギターライン、ジャガーの肉体のないヴォーカルと、トラックのぼんやりとした雰囲気は、自分たちのコンフォートゾーンから一歩踏み出すことを恐れなかったグループのスタイルを証明している。 Jagger/Richards
④US<Abkco>レーベルからリリースされた、デッカ/ロンドンレコード在籍時に発表されたシングル全58曲を集めたCD3枚組の編集盤『SINGLES COLLECTION : THE LONDON YEARS』(1989)に収録された曲。
オリジナルは1966年のアルバム「Aftermath」に収録されているが、ここに収録されたものは同年にクリス・ファーロウがカバーしたストリングス編曲ヴァージョンのバッキングトラックに、ミック・ジャガーのヴォーカルを乗せたデモ・ヴァージョン。1975年にシングルリリースされている。(全英45位、全米81位)
このヴァージョンが映画「American Hustle」(2013)の挿入歌に使用されていたのが印象的だった。
蛇足ながら、ミックがプロデュースしたクリスのヴァージョンは英国のシングルチャートで1位を獲得。 Jagger/Richards
⑤1969年7月にシングルとしてリリースされ、イギリス、アメリカ他数か国で1位を記録。「サティスファクション」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」と並び、バンドの代表作の一つとされる。 ブライアン・ジョーンズの後任ギタリスト、ミック・テイラー初参加曲。よってジャケットには、新メンバーとなったテイラーも写っているが、当時まだ20歳という若さだったが、ヴァースからサビに移行するパートで、カントリー・ブルース・スタイルの見事なリックを披露。ドン・リッチを想起させる南部色濃厚なピッキングと、ピーター・グリーンのそれに通じるサイケデリックな音調が調和したその演奏は、この曲をまとめ上げる役割を果たしている。この曲は、アメリカ南部のスワンプ・ロックの強い影響を受けて制作された。歌詞はテネシー州メンフィスのバー(安酒場)で、ジン漬けのクイーンに出会うという内容となっている。録音には、イントロでプロデュ―サーのジミー・ミラーがカウベルを演奏している他、イアン・スチュワート - ピアノ、スティーヴ・グレゴリー、バド・ビードル - サックス、レパラタ & ザ・デルロンズ、ナネット・ニューマン、ドリス・トロイ - バッキングヴォーカルで参加している。
バンドは1969年3月初旬にロンドンで「Country Honk」という曲を初めて録音した。ブライアン・ジョーンズはこれらのセッションに立ち会い、最初の一握りのテイクやデモで演奏したかもしれない。それが彼のバンドでの最後のレコーディング・セッションとなった。 Jagger/Richards
次はアルバム「The Rolling Stones No.2」(1965)から、ブライアンらが当時めざしていた“ブルース・バンド”の珠玉のカバー5曲をご賞味ください。
⑥オリジナルは、ドン・レイが書いたブギウギの曲で、1940年、ウィル・ブラッドリー・トリオによって録音され、その年の終わりの数ヶ月でトップ10のヒットとなった。この曲は「ブルージーなリズムと鮮やかでキャッチーな歌詞のきちんとした小さな融合」と評されるナンバーだが、ストーズは、チャック・ベリー・ヴァージョンをモチーフにして、御馴染みのビート感溢れるR&Rでしっかりツボは押さえている。ローリング・ピアノのプレイはイアン・スチュアート。 Don Raye
⑦「渚のボードウォーク」と邦題が付いたこの曲は、アーサー・レズニックとケニー・ヤングによって書かれ、1964年にザ・ドリフターズによって録音されたポップソング。1964年8月22日、ビルボード・ホット100チャートで4位にチャートインした。 ストーンズがこれをすぐに録音したのは、当時彼らがブルースとR&Bのカバーバンドで、初期のアルバムは、ブルースのクラシックや最近のR&Bヒット曲、そしてガイ・スティーヴンスのようなDJがソーホーのナイトクラブで選曲していた“素材のコレクション”だったから…。ストーンズ・ヴァージョンは仲々トロピカルなムードで、オーストラリアでシングル・ヒットしている。
Arthur Resnick/Kenny Young
⑧唯一アルバム「The Rolling Stones No.2」だけに収録されて米国では未発表だったマディ・ウォーターズのブルース「I Can't be Satisfied」の素晴らしさには言葉にできない…。1964年11月の2度目のチェス・セッションにはマディも顔を見せたと伝えられていて、そのマディの前でレコーディングしたと思われる。ミックのヴォーカルに重さと深みはないものの、ブライアンが弾く闇の底で咽び泣くスライド・ギターには、紛れもなくブルースの魂が宿っている。 McKinley Morganfield
⑨元々はナオミ・ネビルこと、ニューオリンズの名プロデューサー、アラン・トゥーサンが書いた曲で、1963年、アーマ・トーマスがリリースしたシングル「Ruler Of My Heart」が原曲。
その後タイトルと歌詞を替えてリリースしたのが、オーティス・レディングのデビューアルバム「Pain In My Heart」(1964/3)の一曲目の同名曲(Redding-Walden)。
訴訟問題があったにしても、オーティスの歌うこの曲の価値が下がることなど全くないくらい素晴らしい。ストーンズがレコーディングした時は、これはもう単純にオーティスの「Pain In My Heart」をカヴァーしたと思っていたのだろう。
ちなみにここでピアノを弾いているのは、スチュではなくジャック・ニッチェがニッチェ・フォーン(彼の考案した楽器で、子供用ピアノに増幅器をつけたもの)で参加。♬Come Back Come Back Baby ~ Pain In My Heart …♬ というパートには実にソウルフルな味わいを感じさせられる。 Naomi Neville
➉この曲は、チャック・ベリーによって、1956年のミュージカルドラマ映画『Rock, Rock, Rock!』のために書かれ、同年11月にシングルとしてリリースされたがチャートにランクインできなかった。
的確なブライアンのリズムギター、間を刻むキースのリード。ミックの気だるげなヴォーカルがエロくてカッコいいブルースナンバー。 ストーンズは、おそらく海賊版を含め音盤化されたカバー曲の中では、チャックのものが最も多いのではないだろうか。その理由としては、ロックンロールの創始者のひとりとして、メンバーの誰もがリスペクトしていることと、3コードの簡単な構成の曲が多いので、ライヴで演奏しやすいことが挙げられる。


