松江市教育委員会がはだしのゲンの閲覧を子供に制限をしようとして、波紋が広がり、それが自由を奪うという批判を浴びている。
とても腹立たしい話題である。
頭に来ているので何から書こうか推敲できない。
はだしのゲンはおいらの中学校の図書室にもあった。
図書室にはマンガなんておいていないというのが当時の常識にも関わらず、なぜかはだしのゲンだけ置いてあり、子供心に異様だった。
たまに国語の時間で図書室学習というものがあり、そのときは図書室で何の本を読んでもいいという時間だった。
と、なると、難しい本なんて読まず、マンガ本に手が出るのが悪ガキたちの発想だ。
はだしのゲンはそういう何の思想を持っていないし先入観もないいたって普通の、そして若干不真面目な中学生たちによく読まれていったものだ。
おいらももちろんその当時読んだ。
学校の図書室にマンガが置いてある異様さがまず来るが、その中身を異様だった。
これでもかという感じのグロい絵が描かれていた。それも平気な感じにさらっとドンドンと描かれていた。
松江の田舎委員会は「過激」と表現したが、その通りで、日常にない戦争という非日常の光景を過激に描写されていた。
まさに、これは戦争や原爆を嫌悪の目で見るようになる戦略だったのだと思う。
そりゃあれだけ、これでもかの残虐非道な絵が平気にドンドン描かれてあったら、戦争や原爆を嫌うように子供たちはなっていくと思う。おいらもそうだったから。
子供たちが自由意志によって選んだはだしのゲンから戦争と原爆の悲惨さを学ぶというのが、当時の学校の主張だろうが、、実はそんなことはなく、1時間か2時間図書室に缶詰にされると、マンガに手を出すのが子供のサガだ。そこには自由意志はない。巧妙な手口に我々子供は引っかかっていったというわけだ。
その内容が少々過激であっても、事実を淡々と描いていっていれば、なんの問題もないと思う。
しかし、はだしのゲンはある思想に基づいて、あるいは少なくともある思想に誘導されながら描かれているプロパガンダの作品なのだ。
反日扇動でお馴染みの大江健三郎や反日広報担当の朝日新聞が絶賛し、反日組織の日教組が図書室に置くことを推奨した事実、それだけ見ても、偏った内容に違いないというのが、読んでいない人であってもすぐ推察できるであろうと思う。
小中学生には、過度な残虐、過激描写を見せながら、そこの吹き出しには、以下のようなことが再三出てくる。
①日本軍は中国などのアジア諸国の一般庶民に残虐なしながら殺していくのを笑いながらやっていた。
②戦争を始め、さらに負けがわかっていても長引かせることによって、日本国民は無意味に死んでいき、苦しみ続けた。原因はすべて、戦争狂の昭和天皇が筆頭で、その取り巻きの軍と政府の上層部たちが狂人鬼畜のごとく独断で決めて行ったことだ。
③戦争がやっと終結したのは広島長崎の原爆投下によって、であり、これで日本の国民も、米軍も不必要な血が流れることがなくなったのだ。
この3点という今ではほとんどの人が誤った偏った左翼史観であると分かったものを過激描写とともに織り込んでいって、無批判で中学生たちの脳に刻み込んでいっている。
中国や韓国について今では普通の日本人なら、なんかこの人たちおかしいとわかってきたが、長い間、日本は中国や韓国に日本は残虐非道な侵略行為のみをしてきたと思いこまされていたし、中国や韓国と同様にアジア諸国すべてに同じことをしてきたと思い込まされていた。
しかし、戦前の日本、および今の日本を反日教育を施して反省謝罪賠償を求める乞食活動をしているのは、中国共産党と朝鮮半島だけで、いまでは彼らのことをいわゆる特定アジア(特ア)と呼んでいる。
朝日を始めマスコミが日本はアジアに対してだとかいうときはアジアではなく、特定アジアと読み替えることが一般人の素養となっている。
で、朝日新聞が中国共産党のプロパガンダをもとに戦時中中国に何をしてきたかを昭和40年代掲載してきたものが、当時、あるいは現在の情報弱者高齢者の常識的知識となっていったが、これは中国共産党のプロパガンダであるだけであり、いかに当時の日本軍は中国人に残虐行為をしてきたのかという洗脳報道だった。日本人では発想できない中国特有の行為があるわけで今となっては笑えるしろものだ。南京虐殺数が当時の南京人よりも多い数字で批判されるがそれと似たような荒唐無稽のことばかり。
ただし、当時の日本はこれで、いかに日本人は中国に迷惑かけてきたかという贖罪意識は埋め込まれていき、今に至る。
①は「特定アジアのプロパガンダ」の話。事実とことなる。
次に戦争責任の話であるが、昭和天皇筆頭に軍・政府の上層部たちが独断で戦争を勝手にやっていったというのは、A級戦犯仕立て思想である。
極東軍事裁判・東京裁判は日本が降伏をしたことをいいことに、戦勝国だけでシナリオを決めていったリンチ裁判だったというのは有名だが、その裁判のシナリオは今ではお笑いのものだとされている。
その前にドイツでやったように日本でもやろうとした。ヒットラーを筆頭に、上層部を糾弾し、死刑に陥れるというやるかたで、ドイツでは簡単だった。
それを日本でもそうだろうということでやったのだが、実際日本は、今でもそうだが、責任の所在がよくわからないケースが「多い。
日本人はKYが嫌われるとされるが、その日本独自のKYかいなかが昔からある。
日本人は周りの空気で動いていく。国民は日本の当時の空気で動き、軍の幹部も空気で動き、政府の幹部も空気で動いた。当時、アメリカ等は、あることを誰がどう決めたのか調べようとするが、分からないというのが結構あった。それもそのはず誰の責任のもとどのようなものかは、ないことも多いのが日本だ。
結局、政敵が同じ土俵でA級戦犯というのがその証拠だと言われる。
実際、思い出してみるとわかるが、昭和天皇が崩御したとき、各地で盆踊りが中止になった。では、誰がどう盆踊りを中止にしていったのか、判断・決定・責任だれか?分からない。
今だって、3.11の年の花火大会が各地で中止になっていった。昭和天皇崩御と同じくなんで中止なのか、誰がどう決めていき、全部のその責任のトップはだれなのか?分からない、というよりも、いない。ただ、日本のそのときの空気だ。(花火大会はその後中止撤回騒動もありさらに複雑だが)
もちろん、社員の責任は社長の責任というロジックを使うまでもなく、戦争の責任は誰だ?と問われたら最終的に天皇陛下であります、となるだろう。それはそうだろうが、それは、建前だよなあというのが我々の感覚である。
しかし、はだしのゲンはそうではない。天皇は戦争狂で国民を死においやった張本人だという戦後のGHQの占領政策に乗せられた左翼主義者たちの天皇制批判がそのままマンガの中の人物たちに語らせている。恐ろしい刷り込みだ。
次の3の思想はまさにGHQの占領政策で日本が思い込まされていった誤った思想であり、戦後の占領政策のあとに出てきた考え方だ。
スミソニアン博物館、アメリカ記念切手に、原爆投下で戦争が早く終わることができて、無意味な米軍兵士の戦死をなくすことができた、という文言が入ることで話題にもなった事柄だ。
アメリカは原爆投下を正当化させるために絶えず戦争を早く終わらせることができたというでっち上げを植え付けていった。
広島長崎はそれは誤りだとアメリカ国民に知らせることが一番の使命だと思うが、そんなことはしない。非常に残念な連中である。広島の碑には「あやまちは繰り返しませぬから」と書いてあるのがいい例だとされる。原爆投下という看過できない絶対悪をしたのはアメリカであり、人類史上最大の過ちをしたのはアメリカだ。日本人の文章としてみるならば「繰り返しさせませんから」が正しいはずだ。しかし、この文章から読み解けることは、極悪の日本だったからアメリカ様が目をさまさせてくれたんだ、という戦後GHQ政策に洗脳させられた左翼思想をもとに書いてあるわけである。
もっとも、こういうと、この文は戦争の悲惨さを全人類という目線から書いてあるのだ、という詭弁をつかう人がいるので議論になるので、これ以上はさけるが。
つまり、はだしのゲンは当時の日本ではなくてGHQ政策を経て朝日新聞が中国共産党の宣伝を掲載していったあとであり、腑抜け日本人にさせられ、漠然とした戦争贖罪意識を植え付けられたあとの知識と情報をもとにしたしろもの。全くの誤ったものだ。
これが、中学生が無批判に刷り込まれていくと、また、同じように、漠然とした日本人極悪説の贖罪意識を植え付けらぼんやり反日左翼主義者が形成されていく。
この朝日新聞と日教組が率先して宣伝したはだしのゲンをにがにがしく思っていた人たちは多く、真っ向からこの本は偽書だと批判して署名活動していけばよかった。
しかし、この田舎委員会の連中は、「文部科学省のガイドラインから逸脱しているような誤った反日思想と左翼思想を植え付けるような過激表現」を制限するとすればいいものを、建前を使ってただ「過激表現」を規制するというから、逆に批判が出たのだ。
自由を奪うなんて言語道断!という方向に行ってしまった。
本当は、反日洗脳の温床マンガはやめろ!
という方向が望ましかったのに。
これで、結局、まだ、反日団体、日教組がシメシメとなったではないか。
ほんと頭にくるわ。