グリム童話のオリジナルが怖いとか、童謡に隠された意味があるとか、そういう話があるが、

日本昔話、童話にもあるんですよねえ。まあ、話に風刺や戒めがあるのは当然っちゃ当然だが。


桃太郎という話には、いろいろと象徴学的なものがある。


鬼 というのは虎のパンツに、牛の角を持っている。

漢字を変えると丑と寅、ウシトラの方角は北東を意味する。

これは、昔からいわゆる鬼門といわれる方角。まあ日本の東北(鬼門)にある原発が日本を今滅ぼそうとしている最中である。この鬼門、鬼というものを象徴的に形に表したのが、あのいわゆる鬼である。


西には天竺、あるいは極楽浄土があるという。その西の方角は前後合わせて、申・酉・戌で、サル、キジ、イヌが桃太郎の仲間、救世主のメンバーとして選ばれたというわけ。


桃というのは、不老長寿を象徴しているものだ。

「西遊記」の孫悟空は、玄奘三蔵法師のお供をする前に天界で、桃園看守を仰せつかったが、その桃は一つ食べると寿命が千年延びるとかそういう桃ばかりだった。もちろん孫悟空はそれを食べつくして大暴れして、追放になったが(笑)

実は、桃太郎のオリジナルの話は、(といっても竹取物語などと違って確固たるオリジナルというものはないのだが、)おじいさんとおばあさんが桃を自分たちが食べて、下半身が若返って毎晩仲良くて子供が生まれたというものだったが、子供向けにアレンジして今に至っている。

桃太郎の話には随所に意味のある隠されたことがあるという。

ちなみに「桃太郎さん、桃太郎さん」の歌の歌詞を全部知っているだろうか。

4.そりゃ進め、そりゃ進め、一度に攻めて攻めやぶり、潰してしまえ!、鬼ヶ島。

5.おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて分捕物をえんやらや。

えらい物騒でえんやらやw

鬼ヶ島を潰すまで攻めて、それを面白い、面白い、と言いながら、分捕り品をえんやらや、ですからw

ただ戦後また改変を意図的にしている人たちがいて、

怠け者の桃太郎(つまりニート)は、おばあさんが鬼にいじめられるのを見て一念発起し、

鬼にもとへ「話し合い」に行って、鬼がやさしくなって、みんな平和に暮らしたとさという日教組が好きそうな内容を描いているものが実は増えていっているという。戦前の勧善懲悪ものから、「やればできる子」「平和な世の中」となっていっている。


さて、サルカニ合戦。

この話は桃太郎のように意味が隠されているのかもしれない。

話の内容は、

サルが自分のもってる柿のタネと、カニが拾ったオニギリを交換しようと提案する。

カニはその提案に乗り、柿のタネを植える。

そして、こう柿のタネに刃物をちらつかせて脅す。有名なフレーズだ。

「早く芽を出せ柿のタネ。出さなきゃハサミでちょん切るぞ!」

こりゃまた物騒な話だ。

で、柿の実ができたが木に登って取れない。そこに猿がやって来て、登って自分だけ食べて、

カニが催促すると、熟していない硬い柿の実をカニに投げつけて、

カニは絶命してしまう。

その衝撃で腹からカニの子が出てきて、母親の敵討ちをするために

蜂、栗、臼、牛のうんこさんを仲間にして、サルを集団リンチして、最後に臼がサルを圧死させてしまう。

そういう話である。

もちろん現在はソフトに改変されているものが多く、牛のうんこさんは削除され、母カニも死なないし、サルも死なずに改心してみんなで平和に仲良くくらしましたとさ、が多くなっている。

で、この話、違和感を覚えないだろうか?

イソップなんかに多い動物の擬人化であるのだが、、

カニ、サルを擬人化しているのならまだしも、

栗、臼、牛のうんこさんまでも擬人化して知的生命体(人)と扱っているのであれば、

つまり、わかりやすくいうと、栗を擬人化しているのなら、

柿も擬人化されていて当然なのだ。

栗にやっつけられる猿をイメージしてみてください。そうすると次に、

はじめの場面で猿が、柿をむしゃむしゃ食べつくしている姿が、

非常に際立って気持ちの悪い世界のイメージになってきませんか。

カニが猿と交換した柿さん に対して

「てめえ、早く食えるようにならないと、この刃物でぶっころすぞ!」

と脅して、そのあと、柿さんたちは、集団で猿にジェノサイド(集団無差別殺戮)されてしまう。

ものすごい陰惨な場面ではないか。

そして結局、この猿一匹に対してカニの子は集団でリンチ、なぶり殺しをしてしまうのだが。

栗を擬人化して仲間にするのであれば柿も当然命ある知的生命体となっているはず。そう考えるとまた違った物語がそこに現れてくる。