水嶋ヒロさんがポプラ社小説大賞を受賞した。

2000万円の賞金だという。いいなあって思っていたら、2000万円は辞退したという。

おいおい、かっこよすぎだろ。今後は社会貢献をしたいとも言っている。


これが日本人の感覚だが、アメリカ人にとっては、理解ができないのだ。

「どうして、2000万円を辞退するんだ?名誉だけだって?じゃあ、寄付をすべきじゃないのか!社会貢献とも言ってるんならなおさら寄付をするのが一番の有効手段じゃないのか?」

おいらからしてみれば、コロンブスの卵だった。

考えてみれば、そのとおりかもしれない。難病の研究費、難病の子の手術費、小児病棟へ器具提供、めぐまれない子たちの教育費、絶滅危惧種動物の保護活動金、特定せずともいろいろな事業団体がある。そうやって、いろいろなことに使えた。逆にそれを考えたら少ない金額だ。

2000万円を辞退することによって、極論すれば、救えた子供が救えなかった。


これがアメリカ人と日本人との根本的な考え方の違いだ。

アメリカではお金のあるものはお金の必要なところに還元するという考えがある。

これはキリスト教的考えが小さいときから無意識に染み付いているもので、例えば、教会に行ったことがある人は分かるだろう。日曜日教会に行くと途中袋が回ってきて、それぞれ払える分だけその袋に入れる。1円でもいいし1万円でもいい、気持ち次第だ。もちろん1円でもいいが、大事な話を聞き、会場や器具を使い、さらに終わって昼食をみんなで食べるというのが一般的で、それをひっくるめると1円じゃ安すぎると感じる。1万円だと高いと感じるだろう。こうして今回はいくら払おうと能動的に自分の考えで払える分を寄付することになる。この能動的部分が日本にはない

そしてアメリカでは年末に寄付をしてくれというメールや電話がたくさん来るので寄付というのが常に頭にある。

ビル・ゲイツは慈善財団を作りワクチン団体に700億円寄付をしたり途上国の難病根絶活動も行っていることは有名だし、大富豪で寄付や慈善活動をしている人はとても多い。

小泉・竹中路線はアメリカの経済をまねたが、この還元するという意識が日本人にないため、ただ貧富の差が開いておわりだという批判を浴びることがある。

日本人では、いかに有名な人が寄付をしても売名だとか、いかにしようと、偽善だと卑しい批判を浴びるだけだ。

日本では、アメリカ人がやるのはアメリカの税法による節税目的だということも聞かれるが、実際は大多数の人が節税対策にならない。アメリカでは寄付をする額は、年間1人あたり平均7万円、日本人は平均年間1人あたり2500円だそうである。

もちろん、貧富の差がなければ金持ちが寄付をする必要もないという理想論的批判もあるが、小泉・竹中路線を採用して貧富の差がどんどんついている日本でももっと寄付をする環境になっていったほうがいいと思う。

そして、これは、先日書いた、民主党が企業献金をやめると言ったが、個人献金がどうしても集まらないので、企業献金をまたもらおうとしているということにもつながるのである。


さて、おいら、考えたんだよね。

神様がぱ~~っと、やってきて、こう言った。

「ここに2000万円ある。これをお前が自分で考えて寄付をしなさい。」

と、言われたら、どこにどれだけしようかと迷ってしまう。が、日ごろからこういうふうに違う目線で社会を見ることは、とても大事なことだと思う。

日本でもスポーツ界を中心に寄付、提供をしている人たちは少なからずいる。三振ひとつとるにつき、とかホームラン一本につき、とか、バーディーひとつとるにつきとか、いろいろ工夫しながら。(節税対策というのは根拠のないでっちあげであるし、日本人は偽善者だと誹謗中傷をしがちなのであまり言いたがらない人たちが多い。)

例えば、植林事業、車椅子寄贈、野球道具寄贈、ワクチン事業、恵まれない子たちへ食料支援、盲導犬支援などなど、地道に活動されている。



床屋が掘った王様は裸

お金をインテリア費用に当てている人もいます。


追記 一ヵ月後の12月7日に判明した。

「第5回ポプラ社小説大賞」で大賞受賞した賞金2000万円のうち500万円相当分の書籍を、奄美大島豪雨の被災地に寄付したことが分かった。ただし本人はこの公表を望まず、ポプラ社名義での寄付という形をとった。後日、これが明らかになると、「僕が自ら寄付をしたいと公言してしまうことは、果たして良いことなのだろうか? 表向きにやるより、陰に身をひそめながら理想の形で支援させていただく方がいい」とツイッターに書き込んだ。

それ以外の1500万円分はまだ明らかになっていない。


さすが、インターナショナルスクールに行ってただけあり、こういう感覚の持ち主だったわけだ。

かっこよすぎ