前回、前々回と遠い遠い昔の人類の話をした。現実逃避といいますかね(笑)

今の主要説はおいらの子供のときに学校で習ったものと違うので、へえって思われた人も多かったのではないだろうか?数年後にはまた変わってる可能性はかなりある。ネアンデルタール人と我々の混血の可能性が今年発表されたりしているし。あるいはピテカントロプスという名前は、おいらの子供のころの教科書には既に載ってなかったしね。(※ピテカントロプスはジャワ原人の学名で現在はホモ・エレクトゥスまたはその亜種といわれ、ピテカントロプスは廃語)

で、面白いのは、我々人類は学名ホモ・サピエンスと言われる。で、それは日本語で人類?人?人間?

ホモ・ネアンデルターレンシスはネアンデルタールと言われる。で、我々とは違うが、人類であり、人でもある。

じゃあ我々ホモ・サピエンスはなんなんだ?たぶん、ないんだよね。他人の名前はあるが、自分はない。

灯台下暗しというかね。

ちなみに「アイヌ」というのは「人」という意味で、アイヌ語では自分たち民族名を言い表す呼称がなかった。っていうか、大和民族、和人も固有の言葉はなんかあるんだろうかね。


それと同じで、太陽系第三惑星の名前、「地球」も新しくて、固有の言葉はないよね。球体だと分かったあとの言葉で新しい言葉だ。昔の人は夜空の「ほし」を見上げるが、自分たちの「我が星」に名前を付けるという発想はなかったのだ。ラテン語で「テラTERRA」とも言うが、それは「地」を意味するだけだ。今でもフランス語の「テルTERRE」も「地」「土」「土地」をも意味する。英語の「アースEARTH」も同じく「地」を意味するものだ。それをこの星の名前に当てはめているだけ。本来は名前がなかった。


あるいは、星の集団を「銀河・ギャラクシー」というが、「我が銀河」にも名前がない。アンドロメダ銀河、オリオン大星雲という名前はつけるのに、当の自分たちの銀河には名前がない。

苦肉の策で、「天の川銀河(ミルキーウェイ・ギャラクシー)」という名前で言われることもあるが、地球は天の川の中にはないというのが一般的な感覚なのでピンと来ない名前だ。

ちなみに、おいらの小さいころ、アンドロメダ銀河は我が銀河系と同じ形だと教わった。でも今は、アンドロメダ銀河の中心には2つもブラックホールがあるし、我が銀河系は渦巻状じゃなく、棒渦巻きだということになった。しかも数年前に直径が7~8万光年とされていたものが22万光年以上だと分かり、大きく大きさが修正されてしまった。

この分野も、人類の進化と同じように、毎年のように学説がコロコロ変わる面白い分野だ。


それにしても、名前がないっていうのは不思議なものだ。

我々は、知覚、認識して、名前をつける。認識しているものには、必ず名前がある。認識イコール名前だ。



山深い所に咲く小さな花や草木にも必ず絶対、名前がある。名前があるから気にとめる。いや気にとめるから名前があるのか。気にとめないものには名前がない。名前がないものはまだ人が認識していないもので、それを勝手に新種と表現する。


案外、身近なところで、ほかにも身近すぎて認識してないので名前がないということ、ものがあるかもしれない。

それを探すのは面白く、もしかしたら、世紀の大発見が生まれるかもよ。


日本では伝統的にアジサイ(紫陽花)は白居易が名づけたとされている。

最後にその有名な漢詩を紹介しよう。

何年植向仙壇上  何れの年にか仙壇(仙境の地)のほとりに植えたる、
早晩移栽到梵家  いつか移しうえて梵家(寺)に到れる。
雖在人間人不識  人間(じんかん俗世間)に在りといえども人 識(し)らず、
与君名作紫陽花  君のために名づけて紫陽花となす。


人はその存在をまだ認識していない。在るにもかかわらず。目に入っても気づかない。なぜなら名前がないから。名前をつけてあげることによって人が認識するようになったわけだ。