前々回、おいらは標準語アクセントに関して苦はなかったと言ったが、ほかのことについては、もちろん、標準語とはまるで違う。
そこでまた不思議な現象を紹介しましょう。
それは、断定の助動詞「だ」である。
これは、「にあり」→「にてあり」→「であり」→「であ」→「だ」(東日本)
これが、西日本では共通的に「ぢゃ」あるいはその進化系「や」になる

おいら、最近「ジャリン子チエ」を見て無性に懐かしさを感じた。福岡の毎日放送では以前、毎年夏休みの午前中、恒例で「ジャリン子チエ」の再放送を放送していた。その懐かしさもあるけど、言葉が古い大阪弁(?)がおいらの子供のころに使ってた言葉に似ているのだ。
「えらいのう」→「疲れたなあ」
「ええど!」→「いいぞ!」
「ワシじゃ!」→「オレだ!」
わしじゃ~!」なんて言うの、今、アニメの老人か、広島くらいのもんでしょ(知らないけど(笑))
おいらの中学校の時、みんな「わし」から「オレ」に変わった。
「わし」は男っぽいというイメージから、年寄りのイメージにその時がらっと変わったのだ。
で断定の助動詞「じゃ(ぢゃ)」は小学校のとき100%言ってたのが、徐々に「や」を言う率が多くなって、今9:1くらいで圧倒的に「や」を使うようになった。あともう少しで消滅するかもしれない。「じゃ」を普段から使い続けるのは、アニメの老人か、広島くらいのもんになっただろう(知らないけど(笑))

関西では江戸中期から「や」というのが使われ始めて大正時代に「じゃ」と逆転して使用頻度が上になったそうである。
同じことが九州弁にも言える。九州弁では現在100%「や」が使われている。でも聞くところによると、博多の老人は「じゃ」を使っていたそうである。
ということは、近畿と九州と離れて別個独自に「ぢゃ」から「や」に移行していったわけだ。当時関西弁を聞くテレビなんてないからね。これまた不思議なことだなあって思う。そして、中国地方の山口県西部(旧長州)が遅ればせながら、まさに過渡期、移行期でその生き証人がおいらというわけだ。広島は「や」を飛び越して標準語の「だ」に将来なるのではないかと思われる。テレビの影響で山口もそのうち「だ」になるのかなあ。

次に西日本独特のアスペクト(相)の話をしようと思う。アスペクトってなんじゃいって思われるから普段使いなれている言葉でいうと、「進行形」と「完了形」が西日本では区別されるということ。
標準語では区別されず「している」で済まされ、動詞や文脈にたよるしかない。
「もう祭りは終わっている」「彼は死んでいる」は、完了を表す。
「今本を読んでいる」「手紙を今書いている」というと、現在進行中です。
動詞や文脈でどっちか判断しているわけである。
これは、関西では江戸時代に区別がなくなったそうだが、兵庫県の神戸を境にいまだに区別をしている。
進行形には動詞に「よる」をつけて、完了形には「ておる→とる/ちょる(とう/ちょう)」をつける。
だから、「終わっとる」「死んどる」は、標準語と同じ完了形だが、
「終わりよる」「死による」は、終わりつつある、死につつある現在進行形をあらわすことができる。
「本を読みよる」「手紙を書きよる」なら今現在そうしている進行形で、
「本を読んどる」「手紙を書いとる」ならもう読み終わったし、書き終わっている完了を表している。

「英語の完了形は日本語にないから日本人には難しい」なんて言葉を聞くが、おいらにとっては、ものすごく簡単だ。
Spring has come.というお決まりのフレーズも、「春が来とる」であり、Spring is coming.は「春が来よる」である。
標準語にしようとすると、ちょっと考えてしまうが、西日本人ならものすごく簡単。
でもなぜか、西日本の中学の英語教師は標準語で訳させようとするから「日本語に完了形はない!」と言い切ってしまって実にもったいないことをしている。

先日見たもので、

The man is turning on the TV. 
進行形をいつも「ている」と思っていると、「テレビをつけている」となって間違いだ。「テレビをつけようとしている」が正解だ。なんて書いてあった。
なるほどなあ、って思う。これも、西日本人なら「テレビをつけよる」で一発簡単。has turnedなら「つけとる」で簡単。

あるいは、こういう解説を読んだときには、「ああ、この人は東日本の人で英語の完了のニュアンスがまだできてないんだなあ」って思った。
完了形は過去形で表すことができるというもの。
I have lost money.は I lost money.でも同じだというのだ。
そりゃなくしたことには違いないけど、過去のニュアンスと完了っていうニュアンスの違いってもんがあるわけで、それをすっとばして、同じだっていうのは、完了というものが「ガッ」と体に入ってない人なんだろうなって思った。
過去形は過去だけの話だ。カネをなくしたのは過去の話。今のことはどうでもいい。
現在完了形は、過去から現在の話だ。カネをなくして、今もないのだ。
現在完了形は、今が大事だ。

しかもさらに応用的な用法があって、
A「天気予報では雨が降るって言ってたけど、今、外、どうかなあ?」
B(窓から外を眺めて)「降ってるよ!」
は、現在進行形だと思って「降りよるよ」だと思ったら間違いで、「降っとるよ」でもどちらでもいい。
が、ニュアンスが違う。
前者は、現在の進行している状態のことだけ。後者は過去降り始めて、現在に至るわけで、結構ずっと降り続いている感じのニュアンスだ。つまり、英語でいう「現在完了形の継続用法」
学校で習う英文法には完了には、完了・結果・継続・経験のそれぞれ用法がある!とされている。
それで、どのような訳がいいか学習していくわけだが、実際の文章を読んでいく最中いちいちどの用法か考えられるわけがない。ニュアンスをつかむのが一番大事だ。完了形には種類があるっていってるのは学者と教科書だけで、アメリカ人も西日本人も感覚は1種類で自然に使っている。
(もちろん、英語の動詞と日本語の動詞が完全に対をなしているわけじゃないから、違いもいろいろありますよ。でもニュアンスは同じ)

純粋な神戸弁と九州弁は、離れているのに、偶然「よう」「とう」を使う。これまた面白い現象だ。お互いがマネしてるって思うときがあるみたいだ。
中国地方の多くでは「よる、とる」を使う。おいらの山口県西部(長州)と大分、宮崎では「よる、ちょる」が原型。それが変化しておいらは「よー、ちょー」を普段使い、大分では「よん、ちょん」が使われる。



ただ、残念なことに、テレビの標準語の影響と東日本からの大量移住で、神戸、広島や博多の都心部では全部「とる(とう)」に置き換わりつつあるのだそうだ。