勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。
しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設(原文ママ)に行く子供が増えてしまった。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。(さるさる日記より引用)


これが、マスコミがやりだまにあげている文章だ。

竹原阿久根市長のブログの記事でもう一か月前のものをまだぐだぐだやっている。


やりだまにあげている部分が、つまりは

昔出産は医療技術があまりなく産婆の仕事で死産が多かった。でも今は医師の高度医療によって死産にならず機能障害を持ったまま生まれ育つケースが増えた。結果的に養護施設に行く子供が昔より増えて「しまった」というところ。

マスコミにいわせると、障害者への差別的発言じゃないかということらしい。

そこじゃなくて、差別的発言は、先の「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事というのは間違いだ」というところじゃないかと思うんだけど・・・


つうか、この竹原市長のブログは結構こういう政治的には不適切な文章が結構あります。そしてこの市長のすごいところは、「事実であり、謝罪はもちろん、撤回もしない!」というところ。いや、すごいね。


この議論は、死生観、宗教観であって、批判云々じゃないと思うよ。


竹原市長は「生きるのがつらい障害ならいっそ死産だったほうがよかった」という死生観で、

マスコミは「どんなにつらくとも死よりも生きていたほうがいい」という死生観を強要しているのではないだろうか?


これは、治らないのに、いたずらに死期を延ばすだけの「延命治療」の是非に通じる。

医師による「尊厳死」の是非の問題に通じる。


マスコミは、あおるだけでどうしようもないな。

マスコミがすべきことは、「市長よ、じゃあ、どうすんだ?あんたは、その問題について何をするんだ?まさか、何もしないのか?」と問うべきことはこうじゃないかと思う。


こういうマスコミに対して、おもしろいかな、もう市長はこの一文の中で回答しているんだよね。

「マスコミさん、センチメンタルだけじゃ責任は果たせないよ」ってね。


さらにマスコミがすべきことは、養護施設、障害者施設の現場がどういう状況なのか、環境なのか?改善されるべきところを報道し追及すべきだ。

言葉尻をついて、叩いて、笑ってるだけ。机の上だけの商売だな、マスコミは。

そんなことなら、おいらだってできる。