おいらの故郷の長州って言ったら私塾の松下村塾(藩校は明倫館)なんだけど、(ぜんぜん違うが)大坂には適塾っていうのがあった。それに興味があって、いろいろ読んでる中、福沢諭吉の自伝を、ずっと立ち読みしてた。


適塾っていうのは、医師、蘭学者の緒方洪庵が創った蘭学塾。今の大阪大学医学部の源流で、現存の適塾は大阪大学が管理している。



塾生で一番多い出身地は面白いことに、長州藩(現山口県)なんだそうだ。その中でも大村益次郎は塾頭になっている。その次が緒方の出身地岡山県からが多く、次が地元大坂出身者だという。

漫画家の手塚治虫氏の曽祖父も塾生で立派な医師だったそうである。手塚氏も大坂生まれで医学博士で有名だよね。


で、なんといっても塾頭であった福沢諭吉だろう。



かれの自伝には、この時の暮らしぶりが詳しく書かれてある。


で、おいらが興味をもったのが、蘭学塾の蘭語(オランダ語)の学習方法だ。


まず、入門すると、オランダ語の基礎を先輩から学ぶ。2冊のオランダ語の本を学んでいって、終了すると、あとは、もうずっと独学が中心になるんだそうだ。



蘭和辞典が一冊しかなくて、みんなで取り合いだったそうだ。自分で使うのは、もちろんだが、その辞典を写して、各大名に売るアルバイトもしたりする。普通の本を写すよりも、割りが良かったらしい。



で、いくつかの上級から下級のグループに分かれている。そして5日に1回(毎月6回)、集まってテスト会をする。

順番に1文1文、和訳していくのだ。そして、よかったら○をゲットできる。「解釈」しそこねたら●。そうやって決められたところまでみんなで順番に和訳していく。


3ヶ月間トップで○ゲットできたら上のグループに昇格できるというシステム。


面白いでしょう。日本の伝統的な英語教育と同じだと思ったら、吹いてしまった。



オランダ語は知らないから、英語でたとえると、

「じす・いず・あ・ぺん。これは、筆なり。でござる。」

  「左様でござろう。○。次の方」

「あい・あむ・あ・ぼーい。我は少年なり。」

  「○。次の方」

「あい・えいと・あ・ほっと・どっぐ。我は熱い犬を食ろうた。でござろうか。」

一同、笑。

  「そうではござらん。メリケン人は犬は食らわんでござる。これは名前でござって、腸詰肉入りパンのことでござる。」

「パンと申すは、何でござるか?」

  「麦の粉をねって焼くメリケンの饅頭のことでござる」

「なるほど、メリケン人は、肉まんを食べるのでござるな」。

一同、笑。



と、こんな具合だったかどうかは、知りませんが(笑)



話を元に戻すと、当時は、いかに正しく文を解釈して日本語に訳すことができるか、が大事であった。いや、それだけと言ってもいいだろう。


それが150年たった現在でも似たような学習方法を踏襲しているっていうんだから、いやはや、すごいもんだ。

当時、要求されることは、西洋の知識を日本に広めること。そのために西洋の書籍を日本語に訳すことに力が注がれた。だからいいのだ。

今、求められるのは、日本人が国際的な舞台でどう主張できるかが問われている。国際競争力を高めることだ。和訳という受身ではなく、能動的でなければならないのだ。


日本でも、昨今、これは言われて、行政も学校も、努力しはじめているかのように見える。

少しは「まし」になっただろうか。おいらのときは、完全に適塾的英語授業だったんだけど。


改善させようって思ってもね。教える能力のある英語教師がいないでしょ?どうするの?(笑)根本的な問題だ(笑)

小学校から教え始めるっていっても、誰が教えるの?(笑)



で、福沢諭吉は苦学して塾頭になり、さらに彼の出身である中津藩の江戸屋敷で蘭学講師をするために江戸に行く。


講師をしながら、あるとき横浜外国人居留地を訪ねてみると、これが、オランダ語が全く役に立たない!看板すら何が書いてあるのかさっぱり。ものすごい衝撃を受けたわけです。

安政の五カ国条約によって居留地はできた。アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアであり、オランダ人もいて当然なのに、オランダ人はもちろんのこと、オランダ語を理解する人が全くおらず、探してやっと少しできる人と筆談したんだとか。


この衝撃的なことを受けて、「もう英語学習しかない!」ってえことで、江戸で英語を教えるてくれる人を一人さがして、通いはじめるが、忙しい人でなかなか教えてくれない。しかも、ただ聞きかじり程度しか知らないわけで、「じゃあ、もう誰かさそって独学だ!」と思い立った。


人を誘って一緒に学ぼうと思ったわけだ。これが福沢のするどい所だ。大海原に出るには仲間がいるのが心強いのだ。そしてよき競争相手が自分のモチベーションを持続するという切磋琢磨というものを熟知していた。

今、外国語を学ぼうとする人は、まず、一緒にする仲間を誘ってみるというのは挫折しないひとつの方法だと言える。


で、まず神田孝平を誘ったが断られた。

次にさそったのが先ほど言った塾の先輩の大村益次郎。

大村は、「英語なんて学ぶ必要はない」、とかたくなに拒んだという。「英語のものはオランダ語に訳される。そのオランダ語訳を読めば十分だ。わざわざ今さら、英語なんて。」と断られた。


最後にさそったのが、原田敬策(一道)。彼は承諾して一緒に英語を学び始める。


英語の先生もいなければ、日本語で書かれた英語の学習本なんてのもないわけだ。想像するだけですご時代だって思う。今、日本の本屋に行けばどこでも英語の学習本だらけだ。その本の質が悪いって言うのは贅沢な話なのかもしれない。



二人の学習法は、二人ともオランダ語に通じていたので、英語-オランダ語の対訳を検討して、文法・文構造を学んでいく。

このとき、英語とオランダ語は非常に似ているので、オランダ語を初めたときゼロから学んだように、未知なるものをまたゼロからスタートすることではないと気づいてほっとしたみたいだ。

英語に最も近い主要な言語はオランダ語で、現在オランダ人の90%が英語を話すことができるといつか話したことがあると思う。


数ヵ月二人で学んだあと、福沢は咸臨丸で勝海舟らとともに渡米をする。

残された原田は、大村益次郎を誘ったらしいのだ。

すると今度は大村も承諾して、横浜にいるローマ字で有名なヘボン(ヘップバーン)氏に習いに行ったんだとか。ちなみに、原田は、それからまもなく、オランダ士官学校に数年留学した。



福沢がその後、蘭学・英学塾の慶応義塾を作ったことは、よく知られている。



後日加筆!!!!

今気づいた!まったくの偶然だけど、「JIN」(日曜20時TBS)に緒方洪庵出ていますね。

武田鉄也氏が演じています。このドラマは西洋医学所での話です。

当時(1862年)緒方は、幕府の要請で江戸で医学書頭取になっています。

ここで一番偉い伊東玄朴取締役も出ていています。福沢が一緒に英語をやろうと誘って断られた神田孝平と一緒に学んだ原田一道は伊東玄朴に蘭学を学んでいます。

勝海舟も出ていますが福沢は勝と咸臨丸で渡米してますね。

いろいろ人が繋がっていて、このブログのスピンオフですかね(笑)



床屋が掘った王様の穴
大坂・適塾
若者よ、大志を抱け


床屋が掘った王様の穴
みんなが大好きな人(笑)