二人目作ろうか、
三連休の土曜日の夜、旦那の突然の一言が寝室にズシンと重く響いた。
私の中で曖昧にしてきた思考についに終止符が打たれた気がした。
私は頭の中で必死にその返事を探した。だけど上手く言葉にならなかった。人に自分の気持ちを吐露するのは久しぶりだった。自分が何を思っているのかどう考えていたのか、伝えようと決めていなかったことだから上手くまとまっていなかったと思う。
ぽつりぽつり、思いつくままに短い文章をたくさん並べた。旦那はいつも通り冷静に聞いていて自分の気持ちも話してくれた。
ただ一つわかったことは、お互い今の生活には満足しているということだ。このままでもいい、という意見が同じだったのは少し安心した。けれどももう一人という選択肢があるのも同じだった。
ただそれにはタイムリミットがあることが一番の難点だった。だけど今すぐに、に私は待ったをかけてしまった。
今妊婦になってさらに子供を連れてる自分が想像できなかったのだ。もちろん欲しくないわけではない、その思いは何度も伝えた。それはわかるよと何度も頷いてくれた。要するに、また妊婦になって出産する私の心の準備がまだできてなかったのだ。
でもこの日を機にまた考えるようになると思う。今までよりもっと現実的に。想いを伝えてくれてありがとう、と旦那に伝えた。
しかしながら自分自身のキャパシティを考えると、人を育てるなんて一人しか無理なんじゃないかと思う時がある。周りは兄弟がいる家族の方が多いけれどそれは周りであって私ではない。
何を躊躇っているのだろう。わからなくなる時がある。いつか、なら今、でもいいんじゃないか。グタグタになってしまうぐらいならいっそ今踏み込むべきなのではないか。様々な案が日によって違う形で頭をよぎって一貫性がまるでない。私は曖昧なこの状態で妊娠してしまうことはいけない事だと思っている。
案ずるよりも産むが易し、は誰が言った言葉なのだろう。産んでよかった女性か、産んだこともない男性が言ったのかもしれないな、と思う。産むことは容易くはないし、案ずることもなく産むなんて無責任だと思う。
大事なのはいつも自分がどうしたいかだと思う。だけど今回の場合は、自分たちがどうしたいか、だ。私たち二人の問題だ。だかしかし産むのは私であって彼ではない。
あたりまえだけど私の意思が優先されてしまう。そうなった時、少しのことで揺らいでしまうような弱い意思だとダメだと思う。
私の取り柄は気持ちに一貫性があり、意思表示がはっきりしとしていてどんなことにもブレない信念があることだと思っている。どっちつかずの宙ぶらりんの気持ちの今のままじゃ私はきっと妊娠を経て出産に立ち向かえないかもしれない。
それに出産を終えた後には二人を育てるという人生の壮大なストーリーが待っているのだ。楽しみでもあるけれどそこにはとてつもなく大きな責任が伴う。もちろんそれは夫婦で力を合わせれば、私たちなら必ず乗り越えていけると信じているけれど。
スタートを切るのが怖い。選択するのが怖い。少しだけ時間をください。