結局更新してないじゃん

の反省更新三連発パート2。遡って読んで下され。


さて宮島を後にして次は原爆ドーム。

勿論こちらも初。

思いのほか小さかった事にびっくりしたのだけれども、私を完全に無口にさせるには大きすぎる存在でした。

平和記念公園と資料館にも行って参りました。



私は今でも住民票を移していない生粋の北海道民で、

それを言い訳にするとかではないのだけれども、祖父母は健在だし、戦争中も特に変わった事は無かったというし、戦地にも赴いてないし、親戚も皆戦争で亡くなった人はいないし、地元に戦争の爪あとも無ければ、周囲に戦争を語れる人が実はいない。

つまり私にとって「戦争」とは、この上なく実感の無いものの一つではある。


それでもやはり、小学校の国語では、毎年必ず戦争の物語を読み物として組み込んである。

小学校に3年間程しか行っていない私が、初めて授業として物語を読んだのは実は小学校6年生の時だ。

自分で言うのは若干気が引ける気がしないでもないけど、当時は学校で一番勉強の出来た私が文章を読むのが上手なのは至極当たり前の事で、全員の前で朗読をした事がある。



自分に戦争の実感は無い。当たり前だが記憶なんてものもない。

ただ文字を追っているだけ。

物語は川を中心に展開する。戦争で変わらなかったのが川だけ、という物語。

24にもなった今でも忘れない事がある。


「それでも川は流れている」


という一文。

皆亡くなって、辺りが焼け野原になり、面影を無くした街に、川だけが流れている。

実際に見ているわけじゃないし、感情の込め方なんてわからない、

それなのに私は、自分で読んで、つぅーと涙を流した。

でも不思議と、涙で声が詰まったり、声が震えたりとかはしなかった。

涙をぼろぼろ流しながら、私の声は一層生気を帯びて、最後まで文章を読みきった。

読まなきゃいけないと思ったから。


後に先生から聞いたが、その日市の教育担当みたいな感じの人が視察に来ていて、私の朗読で泣いたらしい。



あれは何だったのか。


その答えが、資料館を見ていて、明確な言葉には出来ないけれども、少しわかった気がした。



これは紛れもない「人災」で、

「エライ人」と言われる人たちが、大きな喧嘩をした。

その代償は、「戦争はいけないことだ」というまともな精神を持った一般人の大きすぎる死で、原爆が落とされてはじめて、戦争は終結に向かった。


人間がやったこと。

人間が人間をこんなむごい形で死に至らしめた日。

それを今こうして自分の目で確認する事によって、小学校の頃のあの朗読の記憶も蘇り、自分は無意識にこれを人に伝えなきゃ、と思っていたのではないかということ。


そして今大人になった自分が受け止めたこの事実は

自分の中で絶やしてはいけない「どうして」と「繰り返さないで」という思いになった。



哀しい?苦しい?辛い?

何だろう、どれも当てはまらないかな。



自分が何故今生きているか。

当たり前の事じゃなくて、自分は今生きているのは、奇跡に近い事。

この人災の資料を見て、今自分に出来ることは、などと大げさに問うつもりはないのだが

生きるという事の責任感とその意味やありがたさを常に胸に纏う事くらいはしなきゃなんない。



戦後の日本を支えた物の正体が 何となく透けて見えるこの頃は
平和とは自由とは何か 国家とは家族とは何か 柄にもなく考えてたりもしています
(1999年、夏、沖縄/Mr.Children)