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大戦の敗北を予期して農業に従事し、ケンブリッジ・スタイルを心身ともに体現していたと思える白洲次郎(身長185センチメートル)にとっては、占領の屈辱は耐え難いものであったと思われるが、愚かな人間を相当高いところから観察して、謂わば戦後処理の救世主のごとく活躍する。その生涯に「プリンシプル」を貫き、あたかも日本武士道の最後の担い手としての自覚と精神を余すところなく体現して見せた。天皇に対する思いは計りがたく、「symbolを象徴」と翻訳し憲法の草案に魂魄さえも投入せんとしたのであるが、自前の憲法を産み出すことができなかった悔恨、日本精神なかんずく「大和魂」を永遠に留めんとするそのプリンシプルは壮絶を期していたと思われる。
その孤高に輝く精神は、「戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない」というプリンシプルを形成し、マッカーサーに楯突き、「従順ならざる唯一の日本人」として歴史となった。この精神は講和条約でも厳然と発揮され、日本の戦後復興の大きな舵取りに貢献したのである。
武相荘白洲 次郎 1985(昭和60)年没
憲法9条の「交戦権」を持たないというところについての疑問については徹底的に議論する必要がある。
安保闘争の時代と現在とでは取り巻く状況(情況)も人間的な或いは思想的な背景も異なっている。自己の生存についての自然権が犯されようとするとき、驚異の存在に対抗し威嚇し時には戦うのが必然である。
日本が原子爆弾を落とされて致命的なショックの時代を乗り越えるに際して、この押し付けられた憲法を容認せざるを得なかった歴史性となかんずく米国の思惑も今や次の段階に突入したと思われる。戦争を永遠に放棄するというのは、「できること」ならそれに越したことはない。
侵略戦争という国家発動的な軍事力行使は慎まなければならないが「核を打ち込まれる」可能性があって「ぶち込まれたら」「そのとき考える」なんてすっ呆けた発言をする為政者の戯言を鵜呑みにしておくわけにはいかない。
目聡い輩はシェルターを買っているようだが生温い。日本全体をシェルターにしなければダメだ。
日本人の戦闘力を殺ぎ、民主化という甘い言葉に日本の精神は骨抜きにされ続けてきたのである。米国の核の傘と言っても絶対的なものではないし、ロシア・中国を含めた核の傘でも安心できないというのが現実だ。
北朝鮮が6カ国協議をどう利用するかについては猿智恵程度と思われるが、核保有国としての既得権を示し世界の主導権争いに抜けぬけと登壇しようというところだ。虚勢社会日本の精神状態ではそうした北朝鮮の動きに対しても鈍感だし、「アメリカが守ってくれる」、「北朝鮮も中国・アメリカの関係性からしてとんでもない行動はしない」とたかをくくっているが、この危機的な情況を日本のためにどう捉えるかが今後の地球の将来並びに日本の未来に重大な意味を持っているということを夢寐にも忘れてはならない。それは日本が本来の『自立国家』(米国の核の傘に入って守ってもらうという植民地国家「日米安保条約による日本植民地化の永続性」からの開放)を確立するための最後のチャンスであることを意味し、永世中立国家「スイス」のような国家として成立する最後のチャンスであることを自覚しなければならない。
日本が「平和を希求」し「永遠の平和」のために貢献していこうとする政治姿勢は唯一の被爆国として当然の国家的な心情であり守り続けた思想であり哲学である。然しながら北朝鮮のような核保有国が狂乱する可能性がある時代において日本が核を保有しないことの方が極東における平和は維持できないのではないか?日本が非核三原則で核を造らないことを決めているわけだが、その理性的な日本の立場がどれだけのもんじゃって感じにもなってきている。インド・パキスタン・北朝鮮・そしてイラン、これからも続々と核保有国が増加することだろう、その都度アメリカが空爆をする可能性は低い。造ったもん勝ちという時代性に乗って核は拡散し一触即発の時代が来る可能性がある。理性国家というのがあって、核保有を正当化しているとしたらそれ自体が問題だ。所詮、地球上に核兵器は不要なのだ。抑止力として長い冷戦を経て新しい時代に入ったとしたら、核保有国に対する制約と核実験を実行することがあった場合の制裁を地球レベルで人間が制度化しなければならない。
核実験を行った国は「国家の解体を承認する」とか、現に核を保有している国は段階的に廃止する(廃止しない場合も国家を解体・分割することを承認する)ことを決議しなければならない。絶対的な強制力を地球レベルで全国家が承認し徹底的に実施することだ。核は、これから10世紀くらいは「地球並びに人間を死滅させるためだけのもの」だからだ。 (updated 2006.11.01 09:37:59)