愛犬が息を引き取った。

 

お盆に獣医さんに「もう長くはないですよ。」と言われた時から、2か月ちょっとだった。

 

最後の2週間はもう辛くて見ていられない程で、身が引き千切られるような気持ちになった。

 

一日中苦しそうにほとんど目を閉じて、水しか口にしなかったが、それでも娘や夫が帰宅すると目を開き、尻尾を力なく振った。

 

亡くなる二日前の夜、痩せ細り呼吸が苦しそうな愛犬を撫でながら、獣医さんに言われた「安楽死」という言葉が頭をよぎったほどだ。

 

 

 

 

しかし、その二日後、飼い主にその苦渋の選択に長い時間を与えないかのように、ついにその苦しみから解放され、天国へと召された。

 

悲しくて悲しくて、これが現実だとは受け止められない気持ちと、愛犬がやっと苦しみから解放されて良かったと安堵する気持ちがあった。

 

その後は人間と同じように、悲しみの中、火葬に向けて着々と準備をして行くだけだ。

 

 

 

 

赤いボタンが押され、火葬される。

 

火葬場に背を向けうつむき、とてつもなく情けない感情でトボトボと力なく歩く。

 

不妊治療を長くしていて、死産した時もそうだった。

 

これほどまでに自分の無力感を知らされる瞬間を私は知らない。

 

 

 

 

元々は生後間もなく捨てられていた犬で、初対面の時には、段ボール箱の中に何匹もの兄弟と一緒に芋虫のようにモゾモゾと固まっていた。

 

一つの命なら何とか守っていけそうだと思い、その中から一番食いっぱぐれてそうな、一番小さく成長が遅れている片手に収まるくらいの小さな小さな赤ちゃん犬を引き取った。

 

兄弟で一番小さかったその犬は、獣医さんにちょっと肥り過ぎですねと言われる程、丸々とさせてしまった。

 

13年間毎日一緒に過ごし、阿吽の呼吸で生活した。

 

犬ならばみんなそうなのかもしれないが、家族の誰よりも空気を読み、とても賢く、健気で、純真無垢で、人の気持ちに寄り添った。

 

無償の愛をくれる存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

今は後悔する事ばかりだ。

 

あの時、出かける私を見て、不安そうな目をしていたのに、留守番をさせてしまった事。

 

もっと一緒に過ごし、もっと撫でてやればよかった。

 

私が辛かった時、いつもそばにいてくれたのに、私はそうしてあげられなかった。

 

愛犬が亡くなって、初めて一人になった時、嗚咽する程泣いた。

 

こんなに泣いたのは小学生ぶりくらいだ。

 

 

 

 

 

今はまだ、面影が感じられる物や景色に触れる度、いちいち涙がこぼれる日々だ。

 

 

いつも飲んでいた水入れ。

暖かそうに包まっていたピンクの毛布。

いつも可愛い耳をピンと立て世間を眺めていた窓際。

「お散歩」と聞くと目をキラキラと輝かせる事。

話し掛けると頭をかしげ一生懸命に聞き取ろうとするところ。

車のエンジン音で誰が帰ってきたかすぐにわかるところ。

尻尾をはち切れんばかりに振って出迎えてくれるところ。

 

 

 

この一つ一つをどうしても想い出し、小さな苦しさを何度も何度も日々重ねて、悲しみが薄れていく事も知っている。

 

近所の人は、亡くなった事を告げると愛犬のために涙を流し、「幸せだったと思うよ」と励ましてくれる。

 

もしも、愛犬が幸せを感じてくれていたとしたら、それが本望だ。

 

 

 

ペットが死ぬと虹の橋を渡り、苦しみから解放され、元の元気な姿で楽しく自由に過ごす、という話がある。

 

これは、この話が本当でないと、残された人間は自分の気持ちを支えられず、とてもじゃないが耐えられないからだ。

 

私も漏れなくその話を信じたい。

 

散々苦しめられた癌が治り、元気いっぱい走り回り、天国のような所で暮らしているところを想像している。