▶︎10年

 

2014年9月27日22時10分

 

母が逝ったのである

 

ふむ、10年になるのだな・・・と

 

毎年「死」というものを考えるのもこの9月である

 

いわゆる「死後の世界」というものがあるのであろうことは何となく分かる 

 

それは霊感のない私でも妙な体験をしているからなのだ

 

20年以上前の話ではあるが、友人の葬儀に参列するため安いビジネスホテルに宿を取った時のことである

 

ホテルの部屋に入ると折り畳み式のタオル干しが壁に立て掛けられていた 広げるとM字になるようなやつである

 

状況としては折り畳んで斜めに壁に立て掛けられているという普通の状態

 

私は通夜に行くべく準備をするわけであるが、部屋に入って先ず手を洗う

 

手を洗っているとガタン!と何かの音がしたのだ

 

「ん?」と思い部屋の方へ行ってみるとタオル干しが倒れていたのである

 

部屋の床は絨毯なのであるが、摩擦の問題なのでタオル干しの脚がズルッとスライドして倒れてしまうことは別段不思議でもない

 

しかし私は倒れたタオル干しを上から見下ろしながら腕を組んで考え込んでしまった

 

頭の中は「まぁまぁ意味分からんな、これ」という状態に陥った

 

そうなのだ、倒れ方がおかしいのである

 

壁に斜めに立て掛けてあるタオル干しが倒れるのは、絨毯と接触している脚が壁とは反対側へスライドして倒れるのである

 

つまり、壁と接触しているタオル干しの上部は壁の方を向いて倒れていないとならないのだ

 

しかしながら、私が見下ろしているタオル干しは絨毯と接触している脚の位置を起点に壁とは反対側にタオル干しの上部が向いて倒れていたのである

 

この状態にするには立て掛けられている壁の裏側からピンポイントでタオル干し上部の位置に強力な衝撃を与えて弾かないと成立しないのである

 

それこそ壁に穴が空くような衝撃になるであろうと思う

 

そして「あ〜そういうこと?」という結論に至ったのだ

 

恐らく友人が来ていたのではないか? でも私が無反応なので怒ったのか、知らせるためなのかタオル干しを手で倒したのではないか?

 

こちとら見えないので無反応なのは致し方のないことなのだが、そもそも手でタオル干しを倒せるならば、私の肩でも叩きゃいいのにと内心思った

 

準備を済ませホテルからタクシーで斎場へ向かい、棺の中の友人の顔を眺めがら心で呟いた第一声が「さっきホテルでタオル干し倒した?」となるのも無理はないと思う

 

そういえば今年、我が家でも妙なことがあった

 

2ヶ月?3ヶ月くらい前だったであろうか?

 

夜、私が風呂から出て隣の台所へ入った時のことである

 

脱衣所を背にして台所の右側に食品庫に使えるクローゼット調のスペースがあっていつも開けっぱなしにしているのだ

 

で、私が脱衣所と台所の境の扉を開け、台所を通ってリビングへ行こうとしたら私の1mくらい前だったであろうか?

 

私の目の前を左から食品庫スペースへと人影がスーッと移動していったのである

 

私もその姿を目で追って最終的に食品庫に顔が向いていたわけなのだ

 

寝ている時だったら寝ぼけていたのか、夢だったのか・・・と思えるのであるが、何せ風呂から出たばかりなのでそういった脳内の逃げ道もなく、かといって考えても分からんのでこちらもスルーさせて貰った

 

そんなわけで霊感のない私がそんな妙ちくりんな体験を他にも何度かしているので、どんな世界なのかは皆目見当もつかないけれども死後何かしらの世界はあるのだろうな・・・と思っているし、そうでなければ説明がつかんのである

 

仮に死後の世界があるとするならば、むしろそっちがメインの世界なのではないかと思うのだが

 

そうであるのならばこっちの世界を離れるというのはある意味卒業であって、母が旅立った今日の10年目は卒業10周年記念なのかも知れない

 

ということは、今日は母の卒業10周年をお祝いしないとならんってことになるのである

 

「こっちはすごく楽しんでいるから、あんたも思いっきり楽しんでから来なさい」

 

そんな声が聞こえたら心は軽くなるのだが・・・