まずは告知です。
新月・満月のヒーリングを行います。
今回は満月のヒーリングをほぼセミオーダー的に
提供いたします。
詳しくは下記記事をご覧ください。
2011年3月11日。
あの日のあの出来事がなかったら、
わたしは今、少なくても今より燻った生活を
送っていたと思う。
あの日、たまたま仕事の関係で、
金曜日は午前中だけの勤務が
1日勤務に変わっていた。
わたしは当時も独身で、
親の住まいに居座るようにいて
毎日居場所がないと思いながら
暇さえあれば車を走らせていた。
こんな田舎暮らしが嫌だ。
でも出ていくアテもない。
結婚する予定だった相手は、
付き合いを続けていくうちに
どんどん仕事が減ったと嘆いていた。
若くして職人だった彼が
今なら引く手数多、
持て囃される職業に就いていた彼が、
わたしと別れた後、仕事が増えたのかは
知らない。
けれど、彼との結婚が
どこか逃げ道だと思っていたわたしにとって
14年前までの田舎暮らしは
文字通り死んだような日々だった。
たとえそれほど暮らしが良くなってなかろうと。
そんな燻った毎日に、
突然訪れた大災害。
前兆はあって、3月9日にも
津波が来るほどの地震があったが、
まさか数日後にあんなことが起こるとは
多分誰も思ってなかったと思う。
14時46分。
船酔いするような長い揺れに
まず停電が起きた。
わたしは当時小さな郵便局に勤めていたが、
多分お客様はいなかった。
局長がATMの停電対策をしながら
ラジオをつけた。
恐らく始めは情報すらなかった。
わたしは停電が長引いたら夜の懇親会は
無くなるのかとぼんやり思っていた。
数分で復旧するはずの停電が長引く。
暖はファンヒーターも使っていたが、
石油ストーブに切り替えて、
局長が手持ちのキャンプ道具を出しながら
近くのガソリンスタンドに
ガソリンを入れに行った。
わずかな電源に車を使用するためだったろう。
そのうちに津波の情報が入り始めた。
時間はどれくらい経っただろうか。
晴れてはいなかった。
曇り空は周りを早く暗くする。
薄暗い中、だんだん明らかになる情報。
局長がわたしに家に電話をするように勧めた。
わたしの実家は防波堤があったが、
海の目の前なのだ。
家電に電話をする。
今の時間なら父がいるはず。
血も繋がらない戸籍も繋がらない父だが、
誰よりも頼りになる人だ。
電話は、繋がらなかった。
回線が混み合ってるのではない音がした。
この時点でわたしの家に津波が入ったと悟った。
日常が崩れた音がした。
こんなにもあっさりと、
これからも続くであろうつまらない日々が
突然終わることを知った。
その頃になると、
ラジオでも非難の呼びかけが激しくなっていた。
父は、仕事で自分の店に行ってる母は。
わたしはどこで合流したらいいのか。
一気に不安が押し寄せた。
その時職場の電話が鳴った。
鳴ったと思ったが、
母はわたしから電話があったという。
記憶が定かでない。
いつもとは明らかに違うコール音。
今後の待ち合わせ場所を告げられる。
母の友達の家に身を寄せることになった。
とりあえずそこへ向かうように指示される。
母と父は無事だと安心して、
職場を後にする。
時間は多分16時前後だっただろう。
空は曇っていたがまだ明るかった。
途中山を越え、津波が来ていないルートを
手探りで下がりながら帰宅する。
待ち合わせの場所に父と母はいなかった。
どうやら津波を見に行っていたらしく、
危うく飲み込まれそうになっていた。
そのことを昨日母に言ったら
「津波で自分の家がどうなったのか
見に行きたかったんだと思う」
と、父のことを言っていた。
災害時に現場を見に行って巻き込まれ、
亡くなる人の心理を顧みた。
夜のことはあまり覚えていない。
断水、停電はどこもあり、
寒かった中、夜通しアナウンサーの声が
夜明けを待つ希望を伝えていた。
あの夜、あのアナウンサーの
必死に訴える声がなければ
心が折れていた人が多数いただろう。
能登だったが、これから暗くなる時の災害は
「状況がわからない」という不安に襲われる。
あれほど夜が明けるのを
待ち遠しく思ったことはなかったと思う。
次の日、現状を目の当たりにした。
戦争の跡地という言葉が当てはまる状況だった。
あるものがなく、そしてないものがある。
日常ってこんなにもあっけなく
なくなってしまうのかとしみじみ思わされた。
東北の3月はまだ冬で。
とても寒くて途方に暮れながら、
それでも一刻も早く片付けなければと
手を動かしていた。
復興の支援の声は程遠かったし、
他の地域の状況の情報も知らなかった。
あんなに大事になっていたと知ったのは、
震災から5日後位だった。
あの日、本当に運が良く色んなことが繋がり、
今の人生があると思うけど、
あの日があったお陰で
人生が狂ってしまった人も多い。
その分かれ目はなんなのか、
答えは分からないけれど。
ただ、今の日常がどうであろうと、
明日も明後日も同じ日々が続くことはなく、
失ってみて初めて「変わらずある」ありがたさを
思い知ることになるのだと知った。
それと同時に、
動かなきゃと思っていても
先延ばしにしていると
強制的に動かざるを得ない現実がやってくる
ことも嫌というほど思い知らされた。
あれから14年。
わたしはあの2011年の5月の初めに
あっさりと家を出ると決めて、
その次の日に住む場所の候補が上がっていた。
今でも人生変えたくても変わらなくて、
地団駄を踏む時も多いけれど、
時期が来るとあっさりと流れるように
次々決まっていくことを知っている。
そして母も実家を出て
慣れない土地で暮らしている。
あの土地はわたしたちには
やっぱり合わなかったのだろうが、
それでも動くことになったきっかけが
14年前の今日の日だということを
わたしたちは知っている。
あの日がなかったら。
後悔する人もいるだろう。
わたしたち家族も大きなものを失った。
でも
同時にあの日があったから。
何かが動き出した人もいる。
人は清濁併呑で変化していく。
その事実だけは忘れないように。
自宅を丸ごと失った病院の守衛さんは、
片付けるものがないから吹っ切れた。
と、早々に語っていた。
人の底力を思い知らされた。
わたしたちは弱くて強い。
弱さを知ると、強さも知る。
弱さを知ってるわたしたちは、
強い。
宇宙からのエネルギーを取り入れることで、
今まで頑張ってきた心と体を癒して
もっと楽に毎日を過ごしませんか?
毎日ヒーリングを受けたい方や、
ヒーリングは習得したけど
あまり自分では実感が湧かない方へ
インナーチャイルド、
過去の傷を癒すお手伝いを致します。
まずは1週間のヒーリング体験から。
最後まで見ていただき
ありがとうございます😊

