令和にもなって米騒動になるんか?!と
驚きを隠さないのですが、
その最中、何と7キロのお米を譲り受けました!
 
 
母が!!真顔
 
 
 
わたしと母の2人暮らしなため、
それほど消費量は多くないのですが、
 
 
 
それでも残り2キロのお米だけだと
ちょっと心許ないねーなんて、
呑気なことを言ってたんですね。
 
 
そしたらその直後に、
母の長年の友達から電話があり、
 
 
農家さんから直に買い付けてるお米が
余ってるからもらってくれない?
 
 
とのこと。ポーン
 
 
 
え?!このご時世に?!?!
なんてタイムリー!!
 
 
 
思えば平成の米騒動時には
高校生だったわたし。
 
 
調理実習にお米が必要だという時も、
ありがたいことにお米は
農家さんから買い付けていて
困った記憶はほとんどなくて。
 
 
ほんとしあわせだなーって思うと同時に、
改めて母の人付き合いってすごいと思いました。
 
 
 
 
母は結構気前よく物を上げたり、
お金を出したりするんですよね。
 
 
そして頂き物に対しても、
必要以上に拒まずありがたく受け取る人。
 
 
 
つまり、物をあげたり受け取ったりに、
罪悪感がない人だと気づいたんですよ。
 
 
 
何でもそうだけど、
罪悪感があると人は受け取れない。
 
 
そして罪悪感があると、
人に差し出せない。
 
 
 
卑しかったり、人からものを奪う人は、
自分に劣等感を抱いていて、
常に罪悪感に見舞われている。
 
 
 
罪悪感で傷ついていれは、
人に優しく出来ないし
自分にだって労ることもできない。
 
 
 
だからまずは自分を労わって優しくする。
自分を甘やかすることが大切になってくるし、
 
 
 
その必要性を、
まず理解する必要があったりするんだよね。
 
 
誰かに与える前に
まず自分に目いっぱい与えなければ、
満たされることを知らないから。
 
 
 
ちなみに、母に米を譲ってくれた人もまた、
遠慮なく欲しいものは伝えてくるし、
母と出かけた際の食事代も、
お互い気前よく
奢ったり奢られたりしているようです。
 
 
 
無償で与えることのできる人は、
とても器が大きいと思うけれど、
 
 
お互い与えたり、与えられたりする
フェアな関係だからこそ、
バランスが保たれる。
 
 
そんな世の中の摂理も
忘れちゃいけないなと、
炊き立てのご飯を食べながら噛み締めました。もぐもぐ
 
 
いただいたお米は美味しかったです。もぐもぐ
 
 
 
 

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