2020年3月11日早天祈祷会 川村師 ヨハネ19:17~27

19.20
イエス様が十字架にかけられたとき
ピラトがユダヤ人へのあざけりで掲げた罪状書き。
「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」
世界の言語で書かれた。

人間の過ち、サタンの攻撃を用いて世界的な宣教の業ができる。
3月に予定していた学生会の集会。
コロナウイルスのために中止になってしまった。
映像による若者たちへのメッセージが始まった。
この時期に新しく、神様が与えて下さった方法。

福音宣教を始めるとき、困難、敵の攻撃に会う。
しかし、それすらも主は用いることができるお方。
神様の全能の御手を信じてゆだねる祈りをしましょう。

23
イエス様が来ていた衣をとられ、裸にされてしまった。
どうしてイエス様が辱めを受ける必要があったのか?_
命をとられるだけでいいのでは?
私たちの罪と同時に、恥をも取り去ろうとしてくださったため。
創世記、アダムとエバ、は裸であったにもかかわらず、恥ずかしく思わなかった。
罪を犯した後に、恥ずかしいという思いがわいた。
神様から、家族から隠すためであった。
心の深い部分が見えてしまったなら、認めてもらえなくなる。

罪は恥をもたらし、人と神様の間、人と人の間に壁を作ってしまった。
人類初の家族が傷つき壊れてしまった・・・

人は誰でも恥をもっていて、周りとの間に壁を作って、
弱みや罪を人に見られたくないと思っている。

仕事、家事、SNS、新聞、テレビ・・・
教会の働きや奉仕にかくれるということもある。

家にいるのに、家族に囲まれているのに寂しさを感じることもあるのではないのではないか。

十字架は、イエス様が私たちの罪を、恥をすべて背負ってくださった。
人からの拒絶される恐れから完全に自由にする神の力であるということ。

アダムとエバのために、動物を殺し、彼らに衣をつくり着させた。
イエス様の衣がはぎとられ、イエス様の身代わりとなることで、キリストを着るものとさせられた。

イザヤ61:10
「わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。
主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、花婿が冠をいただき、
花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。 」


十字架の上で両手を広げられたイエス様が、私たちの一番隠したい恥、弱い自分自身を
すでに抱きしめて下さっている。

主は、私たちの心の一番深い部分まで知っておられてもなお、
私たちを愛する娘よと呼んでくださるのである。

神の恵みが魂に染み渡るように、十字架の前に立ち、見上げる必要がある。

26.27
十字架のもとで、新しい神の家族を建てられた。
サタンの攻撃で倒された家庭を建て、新しくしてくださった。
キリストの血潮による贖いのつながりを持った家族。
王であるイエスが、私のために、私の隣に立つこの人のために、
辱めをうけ、血を流してくださったということを
思う時に、壁が取り除かれ、神の家族とさせてくださる。

神の家族になることを主は願っておられる。
教会がこのような家族になるように、
私たちの愛する者がこの家族に入ることができるように祈ります。