『ともに食事をする喜び』
共同体はあなたの生活の中で主イエスとともに食べ、飲む豊かな交わりをするために努力すべきことは何ですか。
まことの信仰とは神様とともに食事をすることです。
キリスト教は食卓の共同体です。
食卓にともに座って食事をしながら、まことの共同体を経験します。
私たちは、その食卓でご飯を食べるのではなく愛を食べるのです。
「わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をする」
というみことばのように、まことの信仰は互いに食べたり飲むことです。
私たちはイエス・キリストの肉をパンを通して、血をぶどう酒を通して、神様が施してくださった祝福をともに味わいます。
すなわち、主イエスの罪の赦しの恵を深く味わうことです。
ここにまことの天の平和があり、この世の人が感じることのできない喜びがあります。
*見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
(黙示録3:20)
ハ・ヨンジョ先生著
幸せな朝より
共同体はあなたの生活の中で主イエスとともに食べ、飲む豊かな交わりをするために努力すべきことは何ですか。
まことの信仰とは神様とともに食事をすることです。
キリスト教は食卓の共同体です。
食卓にともに座って食事をしながら、まことの共同体を経験します。
私たちは、その食卓でご飯を食べるのではなく愛を食べるのです。
「わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をする」
というみことばのように、まことの信仰は互いに食べたり飲むことです。
私たちはイエス・キリストの肉をパンを通して、血をぶどう酒を通して、神様が施してくださった祝福をともに味わいます。
すなわち、主イエスの罪の赦しの恵を深く味わうことです。
ここにまことの天の平和があり、この世の人が感じることのできない喜びがあります。
*見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
(黙示録3:20)
ハ・ヨンジョ先生著
幸せな朝より
先日、教会のある姉妹の家に泊まらせていただいた。
おいしいお食事とあたたかいお布団、やさしい言葉、すてきな音楽をもって迎えてくださった。そして、聖書を開き、たくさんの話をした。すべて、神さまのはなしだった。わたしにはその時間が尊く、幸せだった。
私は、その食卓でご飯を食べたのではなく、愛を食べたんだって、このメッセージを読んで思った。
