東京の雪景色(゜▽゜)✨


感情も五感も己の脳の電気信号が作り出している幻(仕組み)であることを体感として知ってしまっても、「魂の震え」という幻影だけは、どんなに些細なことでもあえて解体しないで残しておくのだ。
だって完全に空(くう)に達してしまったら、そこで召されちゃいそうじゃない…?(T▽T)
圧倒的な自然の神秘を目の当たりにしたとき、
理屈を超えた無償の愛や慈しみを知ったとき、
不可能な壁を越えた自己超越の瞬間、
芸術に共鳴し泣きたくなる気持ち…、
いや、例えはもっと小さくていいな
自分で弾くピアノの倍音の響きや、植物の導管を流れる水の気配、目の前で昆虫たちが草を食む音も、すべて…
喜びや愉しさに心が踊ること、美しいものを美しいと感じられる心は、「これも脳の反応なんだなあ」と理解しながらも、その反応がもたらす極上の味わいを素直に堪能している。
怒りや傷つきや不安といった防衛にエネルギーを奪われなくなればなるほど、その余力すべてを、世界の美しさや命の繊細な機微を感じ取るための「センサーの出力」に回せている感じがする(笑)。
とはいえ、これは「負の感情」をまったく感じないという意味ではないんですよね。
ただ私には、それに振り回されない自由がある。
感情の波が来てもそれが自分の「仕組み」のどこから、なぜ発生したかが見切れるようになると、その波に溺れることなく乗りこなせるようになるのだ。
この不自由で豊かな「人間という乗り物」に乗って、世界の機微をまだもうしばらくはサンプリングし続けたいと思う。
これは生への執着というよりも、上質な音楽を聴き終えるまで席を立ちたくないという、純粋な好奇心かもしれない。
「これは幻だ」と笑いながらも、その幻に心震わせたいという欲があるうちは、まだまだ此処に留まっていられるでしょう(T▽T)w