「愛してるよ」
そう耳で囁かれ、私は二の腕がぞわぞわと蠢くのを感じた。気持ち悪い。何でそんな台詞を恥ずかしげもなく吐けるのだろう。やはり私はこの人と相容れることはできないんだわ。
私は思わず彼を突き飛ばすと、裸足のまま外へ逃れた。辺りはすっかり暗くなっていた。6月の湿った空気が私を包む。足の裏に食い込むアスファルトのでこぼこが少し痛いが、私は構わず走った。彼のアパートがみるみる遠くなる。ふと振り返ると、彼がドアの前で手を振っているのが見えた。私も手を振り返した。
気持ちが落ち着いてきた。頭の中で彼の言葉が反響している。愛してるよ、愛してるよ、愛してるよ。だったら何なのだろう。愛してるよ、だから、でも、何なのだろう。
いつも彼と散歩に来る公園に来た。暗い。公園の地面は湿っていた。ひんやりとして、気持ちいいかもしれない。ふふん。一歩二歩と、確かめるように公園の中に入っていく。
愛してるから君を殺したい。一回くらい、言われてもいいかもしれない。愛してるから君を食べたい。イイネ!カニバリズムだ。そういう小説を昔読んだことがある。文字で見ると、ただグロッキーなだけだった。愛してるから君と結婚したい。ありがちだな。そう思いながらベンチに腰掛ける。
愛してる、けど君とは一緒にいられない。ううん、なんだか深いワケがありそうだ。実は血の繋がった兄妹だった、とかね。兄は妹に恋をするわけだ。愛してる、けど嫌いだ。これも深そうね。パラドックス、屈折した想い。
私も彼のことは愛してる。はずだ。けど大体、愛するって何なんだろう。彼のことは愛してるけど、彼に「愛してる」なんて言われたくはない。一緒にいるだけでいいのに、何で言葉にしちゃったんだ?誰が「愛する」なんて言葉を作っちゃったんだろう。愛する、愛してる、愛してた、愛しちゃった。馬鹿だなぁ。
鼻の頭にぽつりと、雫が滴った。見上げると、鉛色の雲が私を押しつぶすように群がっていた。もうすぐ雨が降る。帰ろう、彼のアパートに。きっと彼は待っている。愛する私が戻るのを。今度は言えるだろうか。「私も愛してる」って。
「愛してるよ」
結局私は、帰ってきた私にまたそう言った彼の顔面をグーで殴ってしまった。鼻の骨が折れたと喚く彼。鼻血を垂らしながら、涙目で私を見てくる彼。もう一度、今度は右目を殴ってみた。鼻血を飛ばしながらひっくり返る、とてもキュートな彼。やっぱり、私も彼のことを愛してたみたい。
「愛してるわ」
私は思わず彼を抱きしめながら言った。