1996 10/9 チトワン国立公園 バチャウリ ネパール
より一部
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チトワンはエナジーの宝庫
孔雀は木立の天辺で鳴き
その幹でトカゲがこちらを観て
その視線は共に遥かヒマールの遠遠にやる


夕闇になる瞬間に太陽の
繊維のたなびきに似た放射を
深紅から深藍に変えるころ
目の前に広がるラプティ河、向こうの草原
更に向こうの深いジャンガルからヒマール
一面全てが何千万の蛍の銀河になる

私はその光のウエーブの中
ラプティ河に映るアルタイルから
天を仰ぐ星々の戯れと一体となって

大地から私を通り
突きあがるものの感動と感謝にむせぶ

やがて闇と光のみになり
闇の住人達の生活が始まった

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物資世界。それは鏡の森。

木に触れないで森を抜けることができないように、
物資に出会わずにこの世界を旅することはできない。


インドにはこういう喩えがある。
 
深い森を歩く人がいるとしよう。

その人が、木々のざわめきを
小鳥の語らいを心楽しく聞き、

周りの自然に溶け込んだように
自由に歩き回れば、
そこで幸福な一日を過ごすだろう。

だがその人が、
例えば毒蛇に出会うことばかりおそれ、
歩きながら不安と憎しみの気持ちを周りにふりまけば、
それが蛇を刺激して呼び寄せる結果になり、
まさにおそれていたように毒蛇に噛まれることになる。

 
生きることは「神々との変容と実現」だという。
この世界の大半は「喧噪と貧困」だともいう。


天国地獄の概念は古い比喩だが、

そこが天国だとすれば、
私のいるここは地獄なのだろうか?
そこを地獄と呼ぶならば、
ここが天国なのだろうか?

人生を旅する私が見るのは、
天国だろうか?
地獄だろうか?

 
いまここの旅を生きるさなか


世界は私に呼びかけてくる

「さあ、いらっしゃい!あなたは実は私なのだ」