離れて暮らす両親に、あと何回会えるか | 僕の息子は『ルフィ』と『エース』です。

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以前、ブログに離れて暮らす両親にあと何回会えるか?

そんな事を書いたことがある。
テレビかラジオで見聞きした情報。

(平均寿命 - 今の両親の年齢) X 年間に会う回数

20回も会えないのか…

今思えば、もっと貴重な時間だと考えておけばよかったと思う。


6月21日(土)
父は、転倒により後頭部を強打
急性硬膜下血種により亡くなりました。
77歳でした。
前週の14日(土)の夕方に実家近くの道路で転倒。
通りがかった近所の人が救急車を呼んでくれました。
救急車に乗り込むまでは、痛い、痛い。と言っていたそうですが、
その後は、意識不明のままでした。
最初に運ばれた病院では、処置できず他の病院へ転送されました。
が、この段階で脳内の出血量が多いので開頭手術も出来ないと言われていました。
おまけに、延命治療を施すかすぐにでも家族の同意を取ってほしいと言われました。

姉、僕、弟、みんな実家を離れています。
平日に交代で実家へ戻り、母を連れてお見舞いを続けていました。
お別れの日が、明日かもしれないし、三ヶ月後かもしれない。
ただ、その日を待つだけだと遠まわしに言われてました。

一週間頑張ってくれましたが、21日(土)未明に亡くなりました。
翌日、葬儀、火葬を済ませ、自宅に戻り初七日
遺影の写真は、父の希望で2年前の正月に撮ってました。
ほんとにいい笑顔をしてます。
お坊さんのお経を聞きながら、遺影を見つめると涙が溢れました。

亡くなる前の月に家族で実家へ帰りました。
どう言う訳か、もう車来たんやろ?米用意しとくから取りに来い。と電話がありました。
GWは、事故で車が無くて帰省してなかったので、寂しいのかな?なんて思ってましたが、
何か意味があったんですね。正月に会ったきりのお別れでは、悔しくてたまらなかった。
呼んでくれてありがとう。今となっては、貴重な最後の思い出です。

7月21日(月)には、大型ごみをゴミの処分場で受け付けてくれる日だったので、
軽トラック2台分を往復して持ち込んで処分しました。
実家も母一人になるので、まだまだ処分するものが出ます。

7月26日(土)
四十九日

後は、まだ残る片づけに墓石の準備、寒くなるまでに納骨してやりたいと思います。
土地、建物の登記変更もあるか。

母親が一人で暮らしている。
田舎なので不自由な事ばかり。
自転車にも乗れない母親。
名古屋に来るか?と聞いてみたが、そんな暑いとこ行かれへん。と一言。
しばらくは、元気かな?とも思うが、人の一生なんて分からないもんだ。

あと何回会えるかな。
思い出は増えるかな。