読んでたらうけたwえ
意外と今でも
同じこと思ってたりしたw
全部、中3の2~3月!
blog書いてて良かった~笑
①
時間って不思議だね、
いつのまにか問題を解決させたり軽減させたり。
限られた数しかなくても、その一瞬一秒がすごく貴重で。
やっぱ、人間は気まぐれな生き物?
一度思ったことを生涯貫き通すなんて不可能!笑
矛盾なんて、人生を見渡していったら
当たり前みたいなもんだよ笑
記憶に残ってる範囲での話でケチつけてんだね日頃。
しかも、中学でどんなに成績優秀だったとしても
そのことは高校とか就職とかでは関係ないことでしょ?
そう思うと、色んなことをやるのが無駄に思えてきちゃう。
ま、そこでいかに自分が楽しめる人生を送るかで。
結局は全て自分の為にやってることなんだろーね☆
②
ちょっとズレるけど
中田裕二氏から学んだのは
自分を受け入れること。
今更かもしれないけど
素直になるのは難しいし
他人に心を開くのには勇気もいる、
だから無理に素直になろうとは
決して思わないし、
むしろそうなりたくない。
自分が「自分」っていう枠組みで
生まれてきた以上、
その中で自分が少しでも
納得のいくものに
自身で変えていかないと
どうしようもないね。
だから例え過ちを犯しても、
他人によって傷ついても、
それらは自分自身が
背負っていく1つのモノであって
隠したり消滅するのは不可能。
もちろん、自分に嘘をつかせれば
表面的には可能になるけど、
その人自身がそれでいいのなら、
納得が行くのなら、
別に構いません。
他人がどうこうする問題じゃないしさ、
あたしはやっぱり
自分に嘘をつくのは嫌です。
何事に対しても思ったことは貫きます。
でもね
一旦頭で考え直すと
これは違うんじゃないかって
思うことはもちろんあるでしょ、
そうしたら今度はその「嘘」を
「本当」に変える努力をします。
だって
隠したところで
その「罪悪感」っていうのが
さらに圧し掛かるじゃんか。
ポジティブ精神だとしても
片隅にそれは残るね、
少なくともあたしが、です。
自分を認めて修正する、
そんな繰り返しになるのかな、
「生きる」っていうのは。
日々の生活でどんなに
「人の為」と言っても
根本は「自分の為」だと
最近思うな~
「自己中心的」とはまた違う。
人の為になることで
自分がまた1つ経験を積んで
考えが深まるんじゃないか、と。
戻るのは「自分」
始まるのももちろん「自分」
よくわかんないけど、
少しでも自分を
「自分の理想像」に近づけたい。
理想像自体が明確なものではないし
完璧なんてものは分からない。
外見を極めたい人もいるだろうけど
あたしの場合は芯の太い人です、
↑抽象的過ぎるけど
「自分を持つ」ってことかな、
決められた人生なんてないけど
多くの人と似たような人生なんて
つまらないね、
一見平凡でも
自分自身が心で納得できる
自分が自分に責任を持つ
そんな人生を生きたいと思います、
中学校生活、
たくさん過ちを犯しました。
それはもちろんマイナスです、
やるべきでないことを
犯してしまったんだから。
でもそれによって余計に
自分自身が納得したんだな~
「経験」ほどモノをいうのは
ないと思うよ、
たぶん高校生活で
それは背負うことになると思う。
それは仕方のないこと。
ただし、
色々と犯したことで得たものが1つ。
「自分自身を認め理解する努力する意識を持った上で、広く他人を受け入れる心」
自慢みたいに聞こえるかもしれないけど
そう言いたいんじゃない、
自分で唯一確信の持てるものであって
それと同時に
あたしの人生の根本の精神。
ポジティブともいえるだろうけどね、
なんといいますか…
軽く流しとくみたいな
楽観的なんではないんだよ、
時間がかかっても
相当葛藤しても
認めさせるっていう。
根から修正する、
まとめられないけど
そういうこと。
③
小さな幸せを
大きく捕らえられるように
なりたいんだな、
社会を大きく見渡したら、
目立つ活躍をする人もいれば
地味な作業を淡々とこなす人もいて
だからこそ社会が成り立ってて
そう考えたら、
必ずしも欲を大きく持つ必要なんて
ないと思います、
断言できる人間なんて
いないから
自分の感じ方だし自由だけど