明人は、幼少時からかなり真面目で、体調不良で学校を休む以外は毎日学校に登校をし、毎日好き嫌い問わず授業に参加し、毎日学校から出される宿題や課題を完ぺきにやりこなしていた。成績も偏りはあっても、他の優等生と引けをとらないほどの学力を持っていたため、家族も安心し、家族は調子に乗って、レベルや進学校に強いこだわり、高いレベルの高校に行ける学力、順位に関係することは、クラスでいい位置にいなきゃいけないことを強要した。点数が百点満点中基本九十点越さないと母親が酷く怒鳴ることもあった。また、通知表の数字にもすごく家族がこだわりを持っており、常に高い評価じゃないといけないという考えが強かった。理由は特に目立つものはなく、ただ周囲や親戚に自分の子供を自慢したかっただけなのだ。常に子供が優秀な位置にいて、優秀な学校に行くことで、安心、満足していたのだ。そのため、明人は数字、数値にもすごく強いこだわりがあった。そのため明人は、本当は頭の中では考えられなかった勉強を必死に高校時代までやり抜いてきた。苦痛で体調不良を何度も起こしながらも。勉強はできるけど明人にとっては「面倒くさい」もので、苦痛にすぎなかった。そしてそれはいつしか明人にとって「生きるための手段」だとか「その場しのぎ」的存在になっていた。

大学時代の中ごろまでは、「勉強したらどうにかなる」だとか、そんな風に考えていた。しかし、勉強をするにしても「何のために勉強をするのか」などといった「目的」がなかった。例えば、親が有名な病院の医者。だから親のやっている仕事を見て、自分もそんな親のように「人を救う人」になりたいからと、医者のことを研究し、そのためには難関大学に通い、難関の国家試験に通らなくちゃいけないなどと目的が明確なためそのために勉強は必須。しかし明人には、そういった目的もなくただ、親や教師に「言われたから」勉強するだけにすぎなかった。

そこから、アスペルガー症候群にある特性の「一つのことにしか集中できなく、一度に複数のことをやることが苦手、できない」点と「ただ、人に言われたことのみやる」という点が明確だった。

人と話すにしても、感情を出せないものだから、人にちゃんと物事が伝わってないことが多く、話すにしてもロボットみたいな感じだった。

そのためもあって、初めてつまずいたことが、就職活動だった。

それまでは、「勉強さえできれば何とかなる」そう思っていた明人も、勉強だけじゃどうにもならないこともあることを知った。

しかしその失敗は、明人が悪いのでは無く、アスペルガー症候群の特性や偏りが原因だった。大学の教授や、半端な企業の採用担当は、それを「話を聞かない」だとか「話が通じない」「自分をちゃんと分析しなかったから」だと当時、頭ごなしに言われた明人は、余計ストレスを感じていた。