元夫が亡くなる1年前、最初の夫が腎臓癌で亡くなった。
私の立場をよく理解してくれて最期までよく頑張ってくれた。
孫たちに1年に一度、クリスマスプレゼントとお年玉を用意して連絡してくるだけだったが控えめな思いやりに溢れるおじいちゃんになっていた。
私たちは結婚が早かったので互いに思いがすれ違い離婚も若さゆえだったと思う。
離婚するときも深刻な問題で責め合うわけでもなかった。
人との付き合いが苦手な人で私のただ一人の肉親である母に対しても冷たかった。
幼い子ども3人、当時は働く環境も整っていなくて経済的にも厳しく空っぽの冷蔵庫を開けてとうとう彼の前で大声で泣くこともあった。
「俺にどうしろというんだ!」
と言われてもどうしようなかった。遊び歩くわけでもない、女遊びをするわけでもない。
でも話し合うこと、二人で協力することも拒否された。何を考えているのか、全く分からなくなった。
義理の父と運送の仕事をしたけれど義理の父母も経済的に厳しかったらしく私たち親子が食べていける収入はもらえない。
のちにわかったのは義理の母がサラ金から多額の借金をしていたことだった。
このことについては後で触れようと思う。
近所の子供たちの勉強を見てあげて子供のおやつ程度の金額は得られたけれどこのままではいけないと思い、ローンを組んで車の免許取得。
一歩踏み出そう‥。
免許をとって複数の学習塾の採点助手をした。
それだけで食べられるはずもなかったが育児手当や生活保護費も申請する覚悟で離婚に踏み切った。