えまりんのtakara


えまりんのtakara

素朴なグミの花です 目立たない花ですけど

枝イッパイ 無数に咲いているのを見ると

なんだか気高さを感じます

この花の色はなんといえばいいのかな~と

いつも思います


桜並木も美しいけど この グミの花の並木を

着物姿で歩いてみたいな~音譜和~っ!平安ニコニコ



えまりんのtakara


今日は タンポポの綿毛を集めて土と混ぜて

チビッコたちの庭のところどころに撒きました


ハミハミしても大丈夫な植物を植えようと思い

庭に自生しているヨモギやクローバーなど

移植すると 大喜びのチビッコたちは


サラダ! サラダ!? サラダンダ・・・?サラダッタ


と言いながら ハミハミしています


ちなみに 上の犬語を訳してみますと


うわ~っ!サラダやんか 

おおっ! サラダ・・・食べていいと?

んぎゃ~!サラダがイッパイだ~どうすんだ?

ああ! おいしいサラダやった


・・・と こうなりますニコニコ


えまりんのtakara

                さつき(貴公子)

えまりんのtakara


枝を イッパイ広げて のびのびと

咲いていました


お見事 天晴れな咲きっぷりに拍手しました


今年は例年になく メリハリの利いた天候で

寒い季節には当然のごとく寒くて 正月早々

大雪が降ったりでしたので 植物たちは

咲き急ぐこともなくて じっくりと エネルギーを

蓄えていたようです


用事で出かけた帰りに 毎年恒例の植木市に

出かけてきました

開催地の百年公園の川べりには菜の花が

こ~んなにも 美しくて 風に揺れていました


えまりんのtakara

今日は風が冷たくて やや 肌寒い日でした


寒ければ 被災地の方々のことを思い

暑ければ 暑くなる前に皆さまの生活が

落ち着けるようにと願い

雨が降れば 降ったで 雨で困られる方も

いらっしゃるのだろうと思う


そう思いながらも 明るく元気に生きようと

他人さまの苦しみや辛さを 胸に抱きながら

生きている方々は 世界中に たくさんだろう


もう 無責任に脳天気な時代は終わって

足の引っ張り合いも終わって

思いやりの時代へとステージアップした

地球という惑星


今年 植えた桜が 来年には大木になって

ゆさゆさと花をつける というような急激な

進展はないにしても 確実に人々は3.11衝撃 

驚きや 怒りや 悲しみを乗り越えつつあります


か細い小さな桜の樹木が 春夏秋冬

艱難辛苦を乗り越えて 一年一年と

成長するように 日本という国も みんなで

見守りながら 新たな成長を遂げるのだから


美しい桜の国である日本が

       元気でありますように・・・桜エール

跳べ 広がれ 高く高く 天まで届け桜


えまりんのtakara

なにかの衝撃により 個人的意識の壁が

木っ端微塵に砕け散ったとき

もはや 小さな人間の自己防衛による

生き方は不可能となります


今回の地震 津波による人口放射能被害は

人知の及ばぬ自然の驚異というものを

まざまざと 見せ付けられました


また ここで 誰かを責めるという結果論での

発言がチラホラと聞こえ始めましたが

それは もう 時代遅れというものです


人知の限界を 自然が教えてくれたという

現実に覚醒されて 若き純粋な人たちの

素直な気持ちによるご支援の思いやりを

汚すことなく受け入れるならば これまでの

自己防衛的な小さな考えは恥ずべきこと


一連のビジョンは 丁度 今の日本のように

生命維持装置が危ういときに経験しました


その頃は 食事も取れず痛みと苦しみで

瀕死の状態 生死の境にいました

一歩 間違えば死ぬ方法を探し実行しかねない

まさに 極限状態で この頃から苦手だった

絵がそこそこ 描けるようになり 驚きましたが


おそらく この極限状態での生死のせめぎあい

生死の狭間こそが生命を司る本質の通路の

開通するとき


ここに あるものは なにもありません

あるものと ないものが 拮抗しています


身体はある なのに 生きようとか死のうとか

なにもありません 自我の調整放棄

限りなくゼロ(零)です


ここに在る姿は 非常に安らぎのある

穏やかな 自分本来の姿です


この世に生まれた瞬間

初めて 呼吸して この世の光を見て

無心に生きているだけの「わたし」と


これまで さまざまな経験を積んで

泣いたり笑ったりで 生きてきた「わたし」が

出会う場所 故郷の原風景なのですが


そうなった時に 本来の自分が生きてきます

新しい「わたし」が 本来の「わたし」を

押さえ込んでいましたが 故郷に戻ると

二人の私が握手して お互いに

「ようこそ」と声を掛け合うのです

そして 二人はひとつになり仲良く生きていきます


記憶の扉を開いて 懐かしい声を聞きながら


これまで 数々のビジョンを体験してきましたが

それは あたらしい「わたし」に 本来の『私』が

呼びかけてくれたのではないだろうかと思います



えまりんのtakara

2011.4.11の朝日