蔵書の扱い
岩波書店の「図書」編集部編、
『書斎の王様』
を読んでいる。
この本には、
「FEB. 18, 1986 読了」
という、若かりし頃の僕のサインが書かれている。
四半世紀ぶりに蔵書の中から取り出して、読んでいる。
蔵書の整理中に見つけた岩波新書だ。
蔵書を整理して、古本屋に売り払う時期なのだ。
何度古本屋に売り払う時期が来ても、残る本は残る。
知らぬうちに積み重なる本。
最近はアマゾンの段ボール箱も積み重なる。
この立体感が「本」の実感なのだろうと思うのだが、
iPadなる書籍の強制二次元化マシンの登場により、立体感喪失の危機が迫る。
本は人間の餌じゃないんだよ。
効率化された牛舎の牛が食らう餌のように、
平面化された擬似書籍を与えられたところで、
紙とインクの匂いがしない、
つまるところ、
アロマもブーケも感じられない、
そんな文字の羅列に、
僕らの未来をすべて託すわけにはいかないだろ?
『書斎の王様』
を読んでいる。
この本には、
「FEB. 18, 1986 読了」
という、若かりし頃の僕のサインが書かれている。
四半世紀ぶりに蔵書の中から取り出して、読んでいる。
蔵書の整理中に見つけた岩波新書だ。
蔵書を整理して、古本屋に売り払う時期なのだ。
何度古本屋に売り払う時期が来ても、残る本は残る。
知らぬうちに積み重なる本。
最近はアマゾンの段ボール箱も積み重なる。
この立体感が「本」の実感なのだろうと思うのだが、
iPadなる書籍の強制二次元化マシンの登場により、立体感喪失の危機が迫る。
本は人間の餌じゃないんだよ。
効率化された牛舎の牛が食らう餌のように、
平面化された擬似書籍を与えられたところで、
紙とインクの匂いがしない、
つまるところ、
アロマもブーケも感じられない、
そんな文字の羅列に、
僕らの未来をすべて託すわけにはいかないだろ?