自由貿易は危険?
〜ワインと自由貿易、保護貿易について考えてみます。
 
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TPPの話が話題ですが、その中で自由貿易、保護貿易という言葉がでて来ます。
 
フランスよりもチリワインの輸入量が追い抜き一位となりました(参照 2017年発表ワイン貿易統計)。これも、自由貿易がなせるものですが、その中で日本産のぶどうだけで作られる日本ワインはどうなるのでしょう。

また、日本は保護貿易主義だ、とかTPPは自由貿易を拡大するものだ、トランプは自由貿易を後退させる、という表現をよく見ます。
 
トランプが自由貿易を否定し、TPPから離脱し保護主義に転じているため、そのトランプへの反動のためか、自由貿易をもっと推し進めるべきだとの意見も多く見られるようになっています。
 
そもそも、この自由貿易。この根拠は何なのでしょうか。
 
比較優位論と言う概念があります。これが自由貿易の根拠と言われています。この比較優位論は一見非常に説得的な考えであります。しかしよくよく考えるとこの概念の危うさが見えてきます。
 
今ここで、比較優位論について、その歴史を踏まえて、ワインとの関係も踏まえて詳しく検討してみたいと思います。
 
 
比較優位論とは?
 
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自由貿易の理論的根拠である、比較優位論を提唱したのは、イギリスのデヴィッド・リカードという経済学者です。
 
そもそも比較優位論とは何なのでしょうか?
 
これは、自由貿易の中で、それぞれが自分の得意な分野に特化することで、労働生産性が増して、互いにより良いものを受けることが出来るという考えです。
 
デヴィッド・リカードは、この具体例として、イギリスとポルトガルとの間の毛織物とワインの話を例にあげます。
 
 
 
 
毛織物とワイン
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イギリスは毛織り物を作るのが得意です。これに対し、ポルトガルはワインを作るのが得意です。
 
そこで、自由貿易を進めれば、ワインはポルトガルが作ってイギリスが輸入し、毛織り物はイギリスが作ってポルトガルが輸入すれば、お互いの高い労働生産性により、良いものがお互いの国にもたらされます。
 
それぞれの国が、得意分野の産業で努力し、良いものを生産し、それぞれの国が、苦手な分野の生産品を輸入しあえば、それぞれの国の生産者が、能力の高い分野における労働者によって、短時間で生産することで、それぞれの国の消費者は、安く良い製品を享受することができます。
 
自由貿易を進めれば、イギリスがポルトガルに対して毛織物を輸出することができると言うだけでなく、ポルトガルもイギリスに対してたくさんのワインを輸出することができ、お互いの国の経済力も向上するというものです。
 
これがデビット・リカードが提唱した比較優位論です。
 
 
 
 
弁護士と秘書とタイプライター
 
また、ノーベル経済学賞受賞者であるアメリカの経済学者ポール・サミュエルソンは、この比較優位論について「弁護士と秘書」の例で次のように説明します。
 
ある弁護士は、弁護士の仕事も、タイプを打つのも得意だったとします。また、ある秘書は、タイプはそれなりにできるが、弁護士の仕事はほとんどできません。
 
この場合、秘書は弁護士に比べてタイプの仕事に比較優位があるというのです。それは、秘書に比べて弁護士の報酬が高く、弁護士がタイプを打つことで高額の弁護士報酬を受ける機会を失うためだからなのです。
 
弁護士がタイプを打つかわりに秘書がタイプをうち、その間、弁護士が弁護士の仕事をすることで、弁護士も秘書も仕事を得ることができ、クライアントも安く良いリーガルサービスが受けられるというものです。
 
 
イギリスとポルトガル。弁護士と秘書。自由貿易により、互いに高い労働生産性を提供し、貿易をすることで、良いものを受けることが出来る。これが比較優位論からみた、自由貿易の理論的根拠です。
 
 
 
 
 
比較優位論は危うくないか?
 
 
でも、本当にそうでしょうか?この比較優位論については、同時に危うさも秘めているものと思われます。
 
経済学は、抽象化することで、複雑な問題を分かりやすく、考えやすくしているのでしょうが、現実と乖離しないように常に検証が必要と考えます。
 
ポルトガルとイギリス。弁護士と秘書。いずれも、遠い世界だからなんとなく、そうか、という気もしてしまうかもしれません。
 
しかしながら、もっと、身近な、わかりやすい例で考えると、この考え方の危うさもご理解いただけるのではないでしょうか。
 
まず、このイギリスとポルトガルの例について、フランスと日本におけるワインと自動車の関係に置き換えて考えて見ます。
 
言うまでもなく世界的な生産量で考えれば、フランスが圧倒的にワインの生産量が多いです。ワイン生産量についてみると、フランスは46,700千hℓで世界1位(O.I.V.発表による2014年予測)。これに対し、日本のワインの生産量は95,098kℓです(2013年度の国税庁統計情報データにおける果実酒製成数量。注1)。
1kℓは1,000ℓで、1hℓは100,000ℓですので、リットル換算すると、
   フランス4,670,000,000,000ℓ
    日本             95,098,000ℓ
となっています。この数字だけ見ても圧倒的な差がついています。さらに日本の統計基準は、酒税法上の「果実酒」でありワインだけではありません。にもかかわらず、フランスと日本の間においてはこれだけの差が生じているのです。
注1:日本ソムリエ協会2016年教本には95,098ℓと記載されていますが誤記と思われます。
 
これに対し、自動車は、日本はが世界3位の9,278,238台の生産量を誇り、フランスは11位の1,970,000台です(OICA 2015年統計)。ただ、1位は中国の24,503,326台で、2位はアメリカの12,100,095台であるところを見ると、既に自動車についてみれば、自由貿易が進んでおり、単純に各国の生産台数を比較すると言うだけでは不十分なのかもしれません。
 
いずれにしても、比較優位論で言えば、ワインはフランスに、自動車は日本に比較優位があります。そこで、比較優位論の考え方を推し進めるのであれば、日本は、日本ワインの生産をやめてフランスのワインを輸入し、フランスもルノーの生産はやめてトヨタだけ輸入すれば良いことになります。
 
このように比較すると、この比較優位論についての危うさがわかりやすくなります。
 
比較優位論の考え方を徹底すれば、比較劣後の国はその産業を止めて、比較優位の国からのみ製品を輸入すれば良いと言う考え方になります。
 
この考え方を徹底するのであれば、フランスはルノーの生産を中止して、トヨタだけ輸入すればよいということになってしまうのです。
 
 
 
ワインの場合は?
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続いて、ワインについて考えてみましょう。
 
今、日本食ブームもあり、日本ワインが世界的に注目をあび、ワイナリー、生産者の努力のおかげで、日本ワインの美味しさは、ここ10年で比較しても格段にいいもの、美味しいものが作られています。
 
しかし、この比較優位論でいけば、日本は、さっさと日本ワインの生産を諦めて、フランスのワインだけを飲めばいい。そういうことになります。
 
この比較優位論の危うさは、さらに、フランスとアメリカとを比較してみると、より深くわかります。
 
フランスワインは、ご存知の通り、世界一の品質を誇っています。しかしながら、アメリカを代表とする、ニューワールドのワインは、味もよく、値段も安く、フランスの中でも、フランスワインの消費量は落ちている中で、アメリカワインの消費量は増加しています。
 
値段が安いものが良いものであるという比較優位論の前提で言えば、値段と言う点で比較すると、ワインについては、アメリカの方が比較優位であると言えます。
 
そうであるならば、フランスはワインの生産をやめて、アメリカワインを飲めば良いということになります。
 
比較優位論を徹底するとこのような結論になってしまうのです。さすがに、これはおかしいと、誰もが思う結論でしょう。
 
 
 
 
弁護士と秘書の話
 
今度は、弁護士と秘書の話を考えてみましょう。
 
実は、大手事務所をはじめとして、多くの東京の事務所は、地方の事務所と比較しても、弁護士にくらべて秘書の数が少ないような実感です。タイプどころかもっと簡単な秘書がすべき様々な仕事を弁護士が行なっていることも多いと聞きます。
 
これは、東京の多くの事務所がタイムチャージ制をとっていることが要因です。タイムチャージは、パートナー弁護士(経営者弁護士)とアソシエイト弁護士(勤務弁護士)とで、また、さらに経験年数等で細分化されて、その一時間当たりの料金が異なります。そして、最も低い(むしろ、金額が発生しない)のが秘書による仕事です。
 
「秘書にやってもらうとタイムチャージが取れないから、この仕事は一年目のアソシエイトがやっている」
 
これは、東京の多くの法律事務所で言われている言葉です。
 
私としては、正直、この状況が良いとは思えません。自分の経営している法律事務所は、他の法律事務所と比較して、圧倒的に多くの秘書に頑張ってもらっていますが、そういう事務所は日本では少数なのです。
 
また、単純にお金の問題だけと言うものでもありません。法律事務所における仕事は複雑であり、これを秘書が行うにおいては、秘書の方の相当な努力と指導する方の相当な熱意が必要なのです。
 
法律事務所の中においては、単にタイプを打つという仕事は少ないのです。ただ単にタイプを打つと言うものではなく、たくさんの情報を理解、整理しながらタイプすることが求められるのです。
単純な秘書による作業と複雑な弁護士の仕事、というように簡単に分けられるものでもないのです。弁護士と一緒とのあいだで仕事を分担するためには、複雑である仕事の一部分を単純化する工夫とプログラミング処理を含む技術的な対応。そして秘書が複雑な仕事出来るようになるための高度な研修システム。何より、スタッフ全ての強い熱意が必要となってくるのです。
 
そして今の日本においては、小泉元首相のころの急激な司法改革によって、弁護士の数が急増し、秘書を雇用すると言うよりも、若い弁護士を多数、そして、私たちが新人弁護士のときに比べても、遥かに安い賃金で雇用すると言う方向に至っているのです。
 
若い弁護士の能力が、弁護士の急増によって低くなっているから低い賃金でも当たり前などと言う指摘がありますが、これは間違ってると思います。
 
若い弁護士の能力が低いのではなく、急激な司法改革によって、弁護士の数が急増したため、弁護士の就職先である法律事務所の受け皿が足りなくなりました。
 
そのため、指導をしっかりしようとはせず、若い弁護士を安い賃金で雇用するような法律事務所にも、若い弁護士が就職せざるを得ず、能力が低い弁護士が増えたかのようにいわれてしまっているのです。
 
反面、単純に秘書の数を増やせばいいのではありません。宣伝広告費が非常に高い事務所の中には、秘書の数が極めて多い事務所もあります。このなかには、弁護士の費用を減額し宣伝広告費に回すために人件費を下げるために秘書を採用し、結果、仕事の質が落ちている事務所もあるのです。
 
弁護士だけでなく、秘書がともに切磋琢磨して高いリーガルサービスを提供することが大切なのですが、必ずしも、多くの法律事務所はそうなってないのが現実なのです。
 
比較優位論の仮定が正しければ、多くの法律事務所が、弁護士に加えて多くの秘書がリーガルサービスを提供していることになるはずです。
 
しかしながら、現実の多くの法律事務所においては、この比較優位論が言うような状況になっているものでは無いのです。
 
 
 
 
 
どうすればよいのか?
 
 
弁護士と秘書、イギリスとポルトガルのワインと毛織物。
 
どちらの例も、比較優位論を元に抽象的に考えると、なんとなく、そうかと思ってしまうのですが、現実の世界では、必ずしも正しい認識とはいいきれません。にもかかわらず、比較優位論が一見正しく見えるその背景には、弁護士と秘書、イギリスとポルトガルのワイン産業と毛織物産業の実態が、あまり馴染みのない、遠い世界だからではないでしょうか。
 
日本とフランスの自動車とワインという、身近な問題に置き換えるとおかしくなるのは、この比較優位論に危うさがあるからだと思います。
 
比較優位論そのものを間違いと考えるわけではないのです。しかしながら、比較優位論を振りかざして、自由貿易は良いもので、保護貿易はよくないという単純な発想は危険だといえるのです。
 
自由貿易を単に徹底するのであれば、比較優位がある方は良いのですが、比較優位がない産業は、急激に淘汰されてしまう危険性があるのです。
 
だからといって、保護貿易をして、極端には鎖国してしまえば、国内産業は却って競争力を失っていまいます。
 
保護貿易と自由貿易のバランスを保ち、自由貿易を進めるときには、同時に、比較優位のない産業を守り発展させるための政策を、抽象的にではなく、具体的に慎重に検討すべきなのです。
 
単に、トランプがTPPに反対しているから、それに対する嫌悪感から、
「自由貿易主義を理解できないのはけしからん。比較優位論をわかっていないのではないか。」
などと、抽象的に議論することには気を付けないといけないものだと思います。
 
比較優位論は非常に説得的な概念ですし、自由貿易も大切なことです。
ただ、一方のみを考えてバランスをとらないといけないのだと思います。
 
単に、日本に対するワインの輸入量を増やすために関税をなくすということだけを考えるべきではないのです。関税を撤廃した先にある、日本ワインへの影響を考えて、日本の政府は日本ワインの生産への技術、人を含む援助を同時に進めるべきなのだと思います。チリワインの輸入が増加した背景にあるように、日本のワイン製造技術をチリに伝えたように、アメリカからの技術支援も、よりうけやすい制度設計を進めるべきです。
 
原産地保護の制度の拡充、日本ワインのさらなる明確な定義づけを含むワイン法の制定、食用のブドウのみならずワイン用のブドウの生産力の向上、高齢化社会を迎えているブドウ生産者への承継支援、農地法の見直しその他、やるべきことはたくさんあるのだと思います。
 
単に、日本の自動車メーカーの工場がアメリカにたっていること、アメリカの労働者数の増加を主張しあうのではなく、日本の自動車メーカーがアメリカと真摯に対応していること、技術支援も含めしっかりと行っていることを伝えていく、行っていくべきなのです。
 
弁護士の世界でも、単に弁護士を増やす、秘書を増やすというのではなく、しっかりと正面から向き合って、弁護士と秘書が共に熱意をもって自己研さんしてクライアントのために尽くしていくという努力を行うことが重要で、その努力を行えるような支援・仕組みを考えていくべきなのだと思います。
 
比較優位論の考え方で、比較優位を伸ばすことは素晴らしいことだと思います。反面、比較劣後の産業が切り捨てられないような、配慮と支援が重要なのだと思います。
 
単に、抽象的に自由貿易主義・比較優位論を考えず、現実を見据えて、バランスを考えて、熱意と努力と配慮と支援を進めていくことが大切なのだと思います。