俊(ジュン)は《清流館》に来てから

厩番(うまやばん)のハラボジを

 

手伝っていた

「コマャ(ちびっこ)

馬房の掃除は大事なんだ」

ハラボジは小さかった俊(ジュン)に

見合う力仕事を少しづつ教えた

馬の糞を片づけたり 寝藁を敷き換えたり

今では 

餌やりもさせて貰えるようになっていた

俊(ジュン)は水桶に水を満たしながら

「ハラボジ

医仙様から 仔馬を頂いた」

馬の体を藁で擦り 蹄の手入れをしている

ハラボジは 顎で《群青》を差した

「ああ 聞いた こいつだろう」

「名も付けて貰った」

「《群青》か 良い馬だ

お前が責任を持って面倒みるんだぞ」

「うん 頑張るよ」
 

(あの旦那の掌 岩みたいだった)

これから始まる鍛錬

俊(ジュン)は小さな胸に

期待と不安を抱えて

眠りに落ちていった



早起きし身支度を整えた俊(ジュン)は

厩の前で 赫(ヒョク)を待つ

「朝は 仔馬の世話をしろ」

「はい」

それが終われば 飯を食って

郷校(ヒャンギョ)※に通え
高麗時代の学校

 

終われば駆け足で戻って来い

飯の用意が出来てる

腹八分目食えば

そこから 剣の鍛錬だ」

赫(ヒョク)は昼間 木を削り

俊(ジュン)が使う木剣を拵えていた





仕立て職人の母親と一緒に

妓楼に入って来たコマ(ちびっこ)は

「俺は迂達赤になるんだ」が

口癖だった

頑張り屋の俊(ジュン)を

 

妓生達は可愛がった

だけど その夢は夢のまま終わると 

 

口には出さぬが 皆が思っていた

 

それがある日 マンボ姐さんが

立派な仔馬と男を連れて来た

「大護軍様との約束は

本当だったんだねぇ」

 

妓生達が寄ると 俊(ジュン)の話になる

 

「俊(ジュンは)迂達赤に成れるかな?」

「成れるさ 

毎日頑張ってるじゃないか」

「そういえば 俊(ジュン)は

郷校(ヒャンギョ)に通えるように
※高麗時代の学校

なったと聞いたけど」

珊瑚(サノ)が思い出したように言う

「先月から通い始めたらしいよ」

真珠(チンジュ)の返答に

「それじゃ 剣の鍛錬は夜しか

出来ないんじゃないのかい」

「俊(ジュン)は

何時(いつ)寝るんだよ」

「まったくだ」

可愛い弟分の為に出来る事は・・

「いいかい 

俊(ジュン)を大きくする為に

躰に良いものを沢山食べさせて・・」

「分かってるよ 姉さん」

 

そこに居る皆が 頷いた

 

 

妓楼の灯りが灯り始める前に

厨のアジュンマの所に

妓生の姉さんがやって来る

「これ 

俊(ジュン)の膳に乗せておくれ」

卵を取り出し

「頼んだよ」と出て行く

入れ替わりに違う妓生が

「アジュンマ」 

「お水ですか? 珊瑚(サノ)姉さん」

「違うよ 

俊(ジュン)に食べさせて」

客が土産に持って来た菓子を

差し出す

「直接渡せば喜ぶ顔を見れるのに」

「良いのよ 照れるじゃない」

照れ臭さを誤魔化す様に

足早で厨を出る珊瑚(サノ)と

 

ぶつかりそうになった

 

真珠(チンジュ)の手には

雉がぶら下っていた

「アジュンマ」

「まぁまぁ 

真珠(チンジュ)姉さんまで」

手渡された雉を捌くよう

下働きに言い付ける

その様子を見ながら

真珠(チンジュ)が言う

「皆 嬉しいんだよ」

チェ大護軍が迂達赤隊長を

務められた頃から兵は実力主義

身分は問われ無くなったが

その昔は両班の子息が選ばれていた

【妓楼から 迂達赤の兵が出る】

俊(ジュン)は妓生の希望になった


 



一歳を迎えた《群青》は

赫(ヒョク)が銜(ハミ)を付け

鞍を乗せ 手綱を付け 

人を乗せる事に

慣れさせる訓練を始めた

仔馬の成長と共に

俊(ジュン)も育っていく

素振りから始まった剣の修行は

足さばきと共に上達していった

掌が固くなり 剣を握る手になっていく

昼間 

めったに表に顔を出さない赫(ヒョク)が

俊(ジュン)が郷校(ヒャンギョ)から

持って帰った問いに答えている

「此処は こう解釈できる

解るか?」

「はい 腑に落ちました」

中庭で話す二人を

遠巻きに見ていた水晶(スジョン)が

 

「行首(ヘンス)様

赫(ヒョク)の旦那は

学もお有りなのですね」

「・・そのようだね」

科挙試験で

 

文科・武科共に首席で合格された

赫(ヒョク)様の前途は

 

明るく輝いていた

それなのに

あの日 私が頼んだばかりに

両手を赤く染め 

泥濘(ぬかるみ)の道を歩かせてしまった

翡翠(ピチュイ)の手が

チマを強く掴み小刻みに震えていた


 

《群青》が人を乗せられるようになると

乗馬の習錬が始まった

「下を向くな 真っ直ぐ前を見ろ」

目線が下がると高さが恐れに変わる

赫(ヒョク)の言葉は厳しくも

俊(ジュン)を見る目には情が籠っていた

「ありゃ 知らない人がみたら

父子に間違えられるな」

下働きの男衆の何気ない言葉に

翡翠(ピチュイ)の胸が締め付けられる

許婚だった頃

赫(ヒョク)様は私の手を取り

晴れて夫婦(めおと)になったら

子は沢山欲しいと仰っていた

夫人を娶(めと)れば

その願いも叶うのではないかと

若い妓生を世話係にしても

まるで興味を示さず

俊(ジュン)と梅花(メファ)を

見る目だけが和らいでいた



「梅花(メファ)さんを呼んでおくれ」

アジュンマに呼び出された梅花(メファ)が

行首(ヘンス)の部屋の前で声を掛ける

「梅花(メファ)です

お呼びでしょうか」

「ああ 入ってちょうだい」

子飼いの妓生では無く

医仙の伝手で来た

縫子の梅花(メファ)に

翡翠(ピチュイ)の言葉は柔らかい

「頼みがあって 呼びました」

「はい どんな御用でしょうか」

「これを」

 

スッと差し出された

風呂敷(ポシャギ)に包まれた

金青(こんじょう)※色の衣が一揃い

紫を帯びた暗い上品な青色 紺青の古名

「貴女の仕立てと言うには

無理があるけれど・・」

「拝見しても宜しいですか」

風呂敷の結び目を解く

「見事な出来です」


アガッシ(お嬢様)と呼ばれていた頃

刺繍や旦那様の衣を仕立てる

針仕事は花嫁修業の一環だった

「多恵(ダヘ)殿」

私を呼ぶ優しい声が耳の奥に今も残る

(一枚ぐらいは縫って差し上げたかった)

「此処に居る間の着替えになれば」と

言い訳を呟き

反物を取り寄せ 昼間 仕事の合間に

少しずつ縫い始めた

「張・赫(チャン・ヒョク)様に

俊(ジュン)の鍛錬の礼だと

貴女が拵えた事にして渡して欲しいのです」

「行首(ヘンス)様が

直接お渡しに・・・」

「いいえ」

きっぱり断る声の後

「ねぇ 梅花(メファ)さん

余計なおせっかいかも知れないけれど

これを きっかけに

赫(ヒョク)様と親しくなれば 

俊(ジュン)の父親代わりを引き受けて

貰えるかもしれないわ」

「それは どういう意味でしょう」

「迂達赤に入る準備をしている

 

俊(ジュン)に父親が居ない事が

 

不利になるのではと・・」

「そういう事でしたか」

「それに

俊(ジュン)が迂達赤に入れば 

兵舎住まいになる

俊(ジュン)が全てと言っている

あなたが寂しくなる

俊(ジュン)の

 

父親になってくれる人が

いれば 心強いかなとも考えたの」

「お心遣い頂きありがとうございます

ですが 私はもう何方とも

縁を結ぶつもりはありません」

風呂敷(ポシャギ)を受け取り

頭を下げる梅花(メファ)は

胸の内で呟く

(張・赫(チャン・ヒョク)様の

 

視線の先には

行首(ヘンス)様が居られるのを

お気付きでは無いのでしょうか)



 

 

夕刻  

俊(ジュン)の鍛錬が終わる

頃合いを見量り

母親がおずおずと俺に声を掛け

包みを渡す

「余計な気を遣うな」と固辞したが 

俺の寸法で拵えた物だから

貰って貰わなければ困ると

押し付ける様に渡され

仕方なく 居所に戻り

風呂敷(ポシャギ)の結び目を解く

中から出て来た

金青(こんじょう)色の衣から

微かにあの方の香りがした

「まさか 多恵(ダヘ)殿が・・」

頭に浮かぶ己に都合の良い事を

頸を左右に激しく動かし振り払う

『赫(ヒョク)様』

頬を染め俺を呼んだ女人(ひと)が

父の所為で

二親も屋敷も失くし妓生に身を落とした

何と詫びようとも

苦界へ落とした男の血が

俺にも流れているのだ

「有り得ない希望を抱いてどうする」

赫(ヒョク)は

 

衣を風呂敷(ポシャギ)に包み直し

箪笥の奥深く仕舞い込んだ