「医仙様が 市井で転ばれて 

 

お怪我をされたそうです」

 

明日の兵の配置を

 

チュンソクと決めていた執務室に 

 

トクマンが飛び込んで来た

 

「何!」

 

扉を蹴り開け 大護軍が飛び出す

 

 

駆け込んだ典医寺に イムジャは居らず

 

「侍医 あの方を何処へやった」

 

手の先からチリチリと蒼白い光が出ている

 

「落ち着いて下さい 大護軍様

 

医仙殿は坤成殿にいらっしゃいます」

 

「王妃媽媽の所に?」

 

「はい」

 

坤成殿で王妃媽媽を診察出来るくらいの怪我

 

と 言う事か・・・

 

ヨンは 大きく息を吐き出した

 

「では 大事無いのだな」

 

「打ち身と膝の傷で 

 

全治五日というところでしょうか」

 

「傷の具合はどうだ 残りそうなのか」

 

イムジャの小さく丸い膝を思い浮かべる

 

「段々と薄くなり 残る傷ではありません」

 

傷が残らないと聞き 

 

漸(ようや)くヨンの表情が和らいだ

 

「分かった  

 

侍医 すまなかった」

 

「いえ」

 

大護軍はクルリと踵を返すと

 

迂達赤の青い衣の裾を翻し

 

脱兎の如く飛び出していかれた

 

(医仙殿が 

 

ご自分で転んで付けた傷でも

 

あのご様子

 

もしも本当の事がお耳に入れば・・・)

 

チュ侍医は事が上手く運ぶよう

 

願わずには いられなかった

 

 

 

ヨンは坤成殿に向かう回廊で 

 

いきなり襟を掴まれ 引き摺られる

 

「コモ(叔母上)」

 

「何処へ行く」

 

「イムジャは?」

 

「大事無い 

 

それより王様がお前をお呼びだ」

 

「王様が?」

 

 

 

康安殿で頭(こうべ)を垂れるヨンに

 

「大護軍 西京へ出てはくれまいか」

 

「西京・・・ですか」

 

「大護軍が奪還してくれた

 

西京の軍事基地の軍を

 

強化したいと考えておる

 

そこで

 

大護軍の目で視察して来て欲しいのだ」

 

(西京で何かが起ころうとしているのか

 

斥候(せっこう)から

 

らせは受けていない・・・

 

王の配下の耳が何か 掴んだか?!)

 

「承知致しました  

 

で 出立は?」

 

「今直ぐに 

 

大護軍以外の人員その他は任せる」


ヨンは 直(ただ)ちにと言われた 

 

王の言葉の意味を読み取ろうと

 

考えを巡らせ 同行させる兵を決めた

 

「御意」

 

ウンスの怪我の状態を

 

自分の目で確かめる刻すら与えて貰えず 

 

ヨンは慌(あわただ)しく

 

西京へと出立して行く

 

(すまぬ イムジャ 

 

コモ(叔母上)と侍医が 

 

大事無いと言った 

 

それを信じ 

 

五日・・五日後には

 

必ず傍に)

 

 

 


チェ尚宮は

 

武閣氏の執務室に残してきたウンスに 

 

声を掛けた

 

「大丈夫か?」

 

「はい・・・いいえ

 

ちょっと ショックが大きくて」

 

手にした茶器が小さく震えていた

 

チェ尚宮はウンスの前に座り

 

「天界の言葉は分からぬが

 

そなたが傷ついた事は分かる」

 

ウンスの頭が段々と下がっていく

 

「六つと言うて おったな」

 

「はい」

 

「それならば ウンス

 

そなたに出会う前の事だ」

 

「ええ」

 

「あの頃のあいつは 

 

死ぬ事ばかりを考え

 

日々を送って居った と 

 

話した事を覚えておいでか?」

 

やっと ウンスの顔が上がり

 

目を合わせ 小さな声で答えた

 

「はい 覚えています」

 

「そのような時に

 

女人を抱くなど思いも因らぬが

 

万が一 

 

その子がヨンの子であるなら

 

チェ家の跡を

 

継がせる事も考えなければならぬ」

 

「・・・はい」

 

チェ尚宮は スッ~と息を吸い込み

 

決心したように話を続けた

 

「ウンスや

 

ヨンは許せなくとも 

 

その子を許してやる事は出来るか?」


「叔母様?」

 

ウンスは

 

チェ尚宮が言おうとしている

 

言葉の意味分からなかった

 

「あの子の名が 

 

チェ家 縁(ゆかり)の名のようで

※高麗(コリョ)開国の功臣
  崔俊邑(チェ・ジュノン)

 

万が一を

 

頭の中から捨てきれないのだ」




 


 

 

「何方(どなた)か 

 

いらっしゃいませんか?」


薄暗い家の中から 

 

不安そうに出てきた女人に

 

ジウォンは頭を下げた

 

「此方は梅花(メファ)様の

 

お住まいでしょうか」

 

「はい そうですが・・・ 

 

何方(どなた)様でしょう」

 

「お迎えに上がりました」

 

「えっ?」

 

訝(いぶか)しがる梅花(メファ)の様子に

 

「お前は誰だ!」

 

気の強そうな男の子が母親を護るように

 

両手を広げ二人の間に立った

 

「あなたが俊(ジュン)ね」

 

「お・おいらを知っているのか?」

 

驚く俊(ジュン)に微笑んで

 

ジウォンは 梅花(メファ)に向かい

 

「高麗大護軍チェ・ヨン様のお屋敷に

 

ご案内するよう申し付かって参りました」

 

「・・・」

 

状況が飲み込めない母親を尻目に


「父ちゃんが俺達を呼んでくれたのか」

 

俊(ジュン)の声が弾む

 

「いいえ 奥方様からの招待です」

 

急に 俊(ジュン)が怯えた

 

「おいら行かない」

 

「俊(ジュン) どうしたんだい」

 

後退りする我が子に梅花(メファ)は驚く

 

「おっ おいらを捕まえに来たのか?」

 

「いいえ」

 

梅花(メファ)は 

 

迎えに来たといった女人に尋ねた

 

「どういう事でしょうか?」

 

「先日 

 

市井で俊(ジュン)と奥方様が出会われ

 

その折 

 

奥方様がご自分で転んで

 

お怪我をなさいました

 

その事を自分の所為と

 

勘違いしてるのではないかと」

 

事実と違う事を言われ 

 

俊(ジュン)は戸惑い 言葉が出て来ない

 

「奥方様は

 

俊(ジュン)に 気にしないで

 

屋敷に来るようにと 仰って居ります」

 

梅花(メファ)は 

 

突然の誘いに不安な気持ちもあったが

 

会いたかった人に 

 

この子を見せてやりたいと

 

俊(ジュン)の手をぎゅっと握り

 

「伺います」と 返事をした

 

「表に馬車を用意して居ります」

 

屋敷に向かう道中 馬車の中で

 

ジウォンは梅花(メファ)から 

 

チェ・ヨンと名乗った

 

男の風体を聞き出していた

 

 

 

「お屋敷に 着きました」

 

馬車から降りた二人に

 

「いらっしゃい お待ちしてました」


梅花(メファ)は目の前に立つ人の

 

緋色の髪とその美しい顔立ちに

 

棒のように突っ立ったまま言葉を失くした 

 

が 直ぐさま我に返り

 

「お招き頂きまして 

 

ありがとうございます」

 

頭を下げる梅花(メファ)に隠れるように

 

俊(ジュン)が後ろから こっそり覘く

 

(怒ってないのか?)

 

「こんにちは 俊(ジュン)」

 

ウンスに笑顔で声を掛けられ

 

顔を赤らめ 下を向いた

 

「梅花(メファ)さんと

 

お呼びしても良いかしら」

 

「・・・奥方様」


「お疲れになったでしょう

 

さぁ 遠慮しないで入って下さい」


門を潜(くぐ)り 中庭を通って

 

玄関へと向かう

 

「母ちゃん 広いお屋敷だな

 

此処に おいらの父ちゃんが

 

待ってるのか?」

 

キョロキョロと辺りを見回しながら

 

黒い瞳がヨンを探していた

 

ウンスは

 

複雑な思いで俊(ジュン)の顔を見た

 

黒い瞳 意志の強そうな口許

 

(似てる・・・かな)

 

玄関先にヨンヒが待っていた

 

「奥方様 

 

湯殿の用意が出来ております」

 

「ありがとう 

 

じゃ そっちからにしようか」


こっちこっちと

 

ウンスは手を振りながら奥へと招いて 

 

二人が着いたと同時に扉を開け 

 

小部屋を通り奥の扉も開けると

 

湯気が視界を遮った

 

其処には 

 

大きな箱に溢れそうなお湯が張ってあり

 

目の前で ポソンを脱いだウンスは

 

「俊(ジュン)入っておいで」

 

おずおずと入った俊(ジュン)を

 

木の椅子に座らせ

 

小さな盥にお湯を汲み 

 

「俊(ジュン)手を浸して」

 

言われるまま 

 

俊(ジュン)は手をお湯の中に入れる

 

ウンスは傍にあった丸い塊にお湯を

 

少し垂らして両手を擦り合わせた

 

すると フワフワとした泡が出て

 

それを俊(ジュン)の掌に乗せた

 

梅花(メファ)の見ている前で

 

石鹸の使い方を教え 

 

「髪の毛も洗えるから  

 

ちゃんと濯いで泡を落としてね」

 

ウンスは足を拭きながら

 

「梅花(メファ)さん 

 

ゆっくり湯を使って下さい

 

着替えは出た所の

 

小部屋の棚に用意してあります」

 

メファは後ろを振り向き

 

綺麗に畳まれた二つの衣の山を見た

 

「奥方様 

 

ご配慮 ありがとうございます」



 


『今日 ヨンが帰って来る』

 

ウンスは

 

叔母様の双肩に重く圧し掛かっていた

 

チェ家の跡取りの事を

 

今まで気付かないでいた

 

その事を申し訳なく思い

 

「子供と母親を 

 

あの人に会わせましょう」と 

 

自分から口火を切り

 

二人を屋敷へ呼び寄せる事を

 

チェ尚宮に提案したのだった



 


その頃ジウォンは 武閣氏の執務室で

 

馬車の中で梅花(メファ)から聞いた

 

チェ・ヨンと名乗った男の風体を

 

チェ尚宮に話していた

 

「まず 背丈が違います

 

梅花(メファ)さんの拳二つ程高い と

 

伺いましたが 

 

それでは大護軍様より随分と低く

 

それからお顔立ちも

 

違い過ぎるように聞き取りました」


「それでは 誰かが チェ・ヨンと名乗り

 

梅花(メファ)と言う女人を

 

手込めにしたと言うのか」

 

「その様です」

 

「な・何という事

 

誰だ チェ家の家門を汚す奴 

 

絶対に許さぬ」

 

武閣氏の長の怒りで

 

辺りの空気までが震えた




 

「どれがいい?」

 

湯上りの梅花(メファ)さんを連れて

 

衣裳部屋へと案内した

 

「此処に あるもので 

 

気にいった物は ある?」

 

ズラリと並べた衣に

 

「奥方様

 

私には もったいなくて」

 

「何を言ってるの

 

これが全て

 

あなたのものだったかもしれないのよ

 

そうよね 

 

この女性(ひと)は

 

チェ・ヨンの子供を生んでいる

 

今 私がヨンに愛されてると言っても

 

チェ家の跡取りを生んでいる

 

梅花(メファ)さんが

 

屋敷の女主人になるべきかも知れない

 

梅花(メファ)は

 

ウンスの言葉に遠慮しながらも

 

一揃えの衣を選んだ

 

「それでは奥方様 

 

お言葉に甘えまして これを」

 

梅花(メファ)が選んだ 

 

紫陽花色のチマとチョゴリは

 

まるで 

 

この女性(ひと)の為に誂えたように

 

その顔に映り 

 

とても 六歳の子のいる母には見えなかった

 

「良く似合ってる」

 

 


湯殿から出た俊(ジュン)は ヨンヒさんに

 

厨で 先に夕餉を食べさせて貰っていた

 

「奥方様」

 

着替えを済ませた梅花(メヒ)と

 

衣裳部屋から出て来たウンスに

 

ヨンヒが声を掛けた

 

「どうしたの」

 

「俊(ジュン)さんが 

 

寝てしまわれました」

 

子供でも緊張したのね

 

「親子で湯を使わせて頂き

 

久しぶりに

 

お腹もいっぱいになりましたので」

 

そう言って

 

梅花(メファ)は

 

眠った俊(ジュン)の頭を 

 

愛しそうに撫でる



 

「奥方様 寝床を用意しました」

 

ヨンヒの声に 

 

俊(ジュン)を抱き上げようとした

 

梅花(メファ)さんを制し

 

「ドンマンさん 

 

奥の客間に運んで下さい」

 

そして


「梅花(メファ)さん 

 

旦那様との久しぶりの再会でしょう

 

せっかくの衣装が 皺になるわ」

 

「奥方様」

 

これで ヨンが帰ってきて

 

テレビのご対面番組みたいになったら

 

私は何処に居ればいいの?

 

まさか閨に籠もる訳もいかないし・・・

 

困ったなぁ

 

そんな事を考えていたら 

 

膝にポツッと滴が落ちた

 

(いけない)

 

慌てて袖を大きく振って涙を誤魔化す

 

「旦那様お帰り まだかしら 

 

ちょっと見て来るわね」

 

ウンスは庭先まで駆け出していた