西京から戻って来たヨンは 

 

康安殿で王様への謁見を済ませ

 

急いで屋敷へと帰って来た

 

門を潜ると 

 

庭に出ていたウンスを見つけ顔が綻ぶ

 

(待ちきれずに 迎えに出ていたのか)

 

「イムジャ 戻りました」

 

 

笑顔と共に 駆け寄って来るだろう

 

と 思っていた人は

 

「お勤め  お疲れ様でした」

 

両手で鬼剣を受け取る仕草をした

 

「剣など後で良い」

 

抱きしめようとした俺の腕を擦り抜け

 

「お客様がお待ちよ」と 

 

玄関へ顔を向けた

 

「客?」

 

後ろにいる テマンに合図を送る

 

フッと風が動き テマンの姿が消えた

 

 


玄関で鎧を脱ぎ 

 

いつもなら湯殿へ向かう足を 

 

ヨンヒが用意した盥で濯ぎ

 

鬼剣をウンスに預けて

 

ヨンは居間へ入った

 

「旦那様 お久しゅう御座います」

 

そこには

 

自分がウンスに贈った衣を身に着けた

 

女人が頭を下げていた

 

「お前は 誰だ?」

 

顔を上げた女人がヨンの顔を見て驚く

 

「あ・あなた様が チェ・ヨン様ですか」

 

「如何にも俺が チェ・ヨンだが」

 

鬼剣を剣立てに納めてきたウンスが

 

居間に戻ると

 

二人が顔を見合わせたまま

 

何ともいえない雰囲気が漂っていた

 

「イムジャ この方は何方だ 

 

何故 イムジャの衣を纏われて居る」

 

「えっ

 

知らない人なの?

 

梅花(メファ)さん・・・」

 

ウンスが 

 

固まっている梅花(メファ)に尋ねると

 

「奥方様 申し訳御座いません」

 

消え入りそうな声で梅花(メファ)が答えた

 

 

 

「どう言う事なのか 説明してもらおう」

 

「私が騙されていたようです」

 

梅花(メファ)の声が震える

 

「その兵は・・・

 

チェ・ヨンの名を騙ったやつは

 

何処の兵だと申しておった」

 

「き・北の戦場の近くの邑(むら)で

 

知り合いましたが

 

迂達赤チェ・ヨンとだけ」

 

「最初から俺の名を騙ったのか?」

 

「はい」

 

(・・・はっ  呆れた

 

俺の名が騙りに使われるとは)

 

「そいつとは いつ別れた」

 

「俊(ジュン)が生まれる

 

直ぐ前が最後でした」

 

六年前・・・

 

イムジャと出逢う少し前か

 

「それから 連絡は」

 

「ございません」

 

 

大人たちの声に目が覚めたのか

 

客間から起き出して来た俊(ジュン)が

 

「母ちゃん

 

この人が おいらの父ちゃんか?」

 

寝起きの目を擦りながら聞いた

 

「違う・・・

 

お前の父ちゃんじゃなかった」

 

梅花(メファ)は

 

張り詰めていた気持ちが

 

気まずさで 恥ずかしさに変わる

 

「おいらの父ちゃんは

 

チェ・ヨンじゃ無いのか」

 

温かい料理 柔らかい布団 

 

溢れるたっぷりのお湯に浸かれる湯殿

 

明日から毎日 自分の傍にあるのだと

 

思ったとたん目が覚めた

 

「それじゃ 

 

おいらの父ちゃんが嘘をついたのか

 

おいらの父ちゃんは嘘つきだったのか」

 

手に入れかけた幸せが

石鹼の泡のように消えたのが悔しくて

俊(ジュン)の言葉が荒くなる

 

「坊主 名は何と言う」

 

目の前の大きい男が問う

 

「ジ・俊(ジュン)」

 

 「俊(ジュン) 

 

 お前の父は 嘘つきではない」

 

「で・でも

 

本当のチェ・ヨンじゃなかった」

 

子供心にも 

 

この人が自分の父では無いと分かって

 

俊(ジュン)は悔しさで唇を噛む

 

梅花(メファ)が 

 

失礼な口をきいた息子を

 

窘(たしな)めようとした時

 

ヨンが言葉を続けた

 

「俊(ジュン)

 

お前はチェ・ヨンが 何と呼ばれているか

 

知っているか?」

 

高麗の虎 高麗の鬼神

 

言葉にした途端

 

怖さが込み上げ 声が小さくなる

 

「そうだ 

 

お前みたいな子供でも知ってる」

 

梅花(メファ)は

 

これ以上は下がらないと思えるほど

 

頭を下げ

 

「大護軍様 

 

ご無礼の程 お許し下さい」

 

許しを請う梅花(メファ)に

 

心配いらないといういう風な

 

視線を向けた後 俊(ジュン)に

 

「お前の父は 兵だと聞いた

 

兵は戦に行く

 

その留守の間 

 

お前の母と 

 

母の腹にいたお前を護る為に

 

俺の名を騙ったのだ」

 

『大護軍様 それは 違います』と 

 

言おうとした梅花(メファ)の手を

 

ウンスは握り 微笑みながら頸を振る

 

「俺の名を使えば 

 

誰もお前の母とお前に無体を働かないと

 

お前の父は考えたのであろう

 

それほどに お前の父は

 

母をお前を大事に思っていたのだ」

 

俊(ジュン)の頬に涙が零れた

 

それを拳でゴシゴシと擦る

 

高麗の子供は

 

六つでも男なんだとウンスは知る

 

 

梅花(メファ)は

 

大護軍が俊(ジュン)を気遣い

 

掛けてくれた温かな言葉に涙が溢れ

 

手に握り締めた手巾で

 

目頭を抑えようとして気付く

 

「奥方様

 

奥で着替えさせて頂いても

 

宜しいでしょうか?」

 

「どうして?」

 

「この衣をお返し しなければ」

 

「あら 良く似合ってるから 

 

貰って下さいな」

 

「こんな 高価な衣は頂けません」

 

凛とした言葉に

 

(そうよね

 

自尊心は尊重しないと)

 

「じゃぁ 交換は?」

 

「奥方様に差し上げるものなど

 

何も持っていません」

 

そう言う梅花(メファ)の

 

手元を見たウンスは

 

「その握り締めている手巾

 

ちょっと見せて貰える?」

 

差し出された手巾は 

 

麻の布に色糸で

 

綺麗に縁取りがされていた

 

「これは

 

梅花(メファ)さんが縫ったの?」

 

「はい」 

 

ウンウンと 

 

ウンスは手巾を見ながら

 

何度も頷いて

 

「梅花(メファ)さん 

 

帰る場所はあそこで無くても良い?」

 

ウンスの眸がキラキラと輝き出した

 

「奥方様 どういう意味でしょう」

 

(イムジャ 

 

また何か 思い付きましたね)

 

ヨンは

 

ウンスがこんな表情をする時

 

忘れかけていた

 

我が夫人は天人だったと思い出す

 

「ヨンヒさ~ん 

 

私の婚礼衣装を出して」

 

厨に向かって声を掛け

 

それから 梅花(メファ)に向き直し

 

「あのね 私の知り合いに

 

仕立てのプロ集団がいて」

 

「ぷ・ろ とは何でしょう?」

 

「あっと・・・

 

衣を仕立てるのが

 

凄く上手な人達がいてね」

 

ウンスの弾む声と表情に 

 

良き人達なのだと分かる

 

「奥方様 お持ちしました」

 

ヨンヒの手には

 

あの日ウンスが身に纏った 

 

菊の刺繍の施された婚礼衣装が

 

握られていた

 

「これを見て」

 

梅花(メファ)が

 

息を呑むのが分かった

 

「見事な出来で

 

何と言っていいのか 言葉が出ません」

 

「梅花(メファ)さん

 

これを作ってくれた人達が居る所で

 

働かない?」

 

「私が・・ですか?」

 

うんうんと頷き

 

「確か 

 

今は《清流館》専属じゃなかったかな?」

 

ヨンを覗き込む

 

『仕方ありませんね』 と言いたげな 

 

息を一つ吐いて

 

「テマナ

 

翡翠(ピチュイ)に繋ぎを」

 

天井に声を掛ける

 

すると 風が動いて

 

テマンの気配が消えた

 

ウンスは 嬉しそうに微笑み

 

「その場所は 妓楼なんだけど

 

そこなら仕事をしながら  

 

俊(ジュン)を育てる事が出来るわ」

 

「奥方様 宜しいのでしょうか? 

 

私達親子は いわば騙りを働いたも同然 

 

そんな者に・・・」

 

恐縮して言葉も続かなくなる母親の傍で

 

大人の話を

 

静かに聞いていた俊(ジュン)が

 

話したい事があると

 

ヨンと母親の前に姿勢を正し 

 

頭を下げた

 

「大護軍様 母ちゃん 

 

おいら悪い事をしました」

 

「俊(ジュン)」

 

ウンスは俊(ジュン)に頸を振る

 

(言わないで 言わなくて良いの)

 

ウンスを見て

 

俊(ジュン)も 頸を左右に振った

 

「おいら 医仙様に怪我をさせた」

 

ヨンの頬がピクリと動く

 

「俊(ジュン) 

 

あんた何て事を」

 

梅花(メファ)の顔から

 

血の気が引いていく

 

「おいらの母ちゃんから

 

父ちゃんを奪ったのは

 

医仙という人だと聞いたから

 

母ちゃんが泣いているのは

 

医仙の所為だと思った

 

それで腹が立って 

 

奥方様に石を蹴った」

 

驚いたヨンはウンスの顔を見る

 

『嘘付いて ごめんね』 

 

口パクで伝える ウンスに

 

ヨンは言葉を失う

 

「おいら達を

 

迎えに来てくれたアジュンマが

 

母ちゃんに

 

医仙様が自分で転んだと

 

言っていると聞いて

 

違うと言いたかったけど

 

本当の事を言ったら 

 

父ちゃんのいるお屋敷に

 

連れて行って貰えないと思って

 

黙っていたんだ」

 

二人の前で

 

自分の罪を告白した俊(ジュン)は

 

ウンスへ向き直ると 頭を下げ

 

「奥方様 ごめんなさい

 

おいら ちゃんと罰を受ける」

 

「奥方様 申し訳ございません

 

私達の行く末まで

 

心配して下さった奥方様に 

 

俊(ジュン)は大それた事を致しました

 

ですが 私を思い した事です 

 

罰は私にお与え下さい」

 

床に額を打ち付けんばかりの

 

勢いで梅花(メファ)の頭が下がる

 

ヨンは

 

『どうしますか?』と 目で訊く

 

「う~ん そうね」

 

ウンスは 暫く考えた後

 

「俊(ジュン)頭を上げて

 

それじゃ 罰を言うわ」 

 

罪の告白をしたものの

 

どんな罰を与えられるのか怖くて

 

正座した膝の上で拳を握り締めた

 

ウンスは

 

その小さな握り拳を優しく包み

 

「お母さんがお仕事をしている間

 

あなたは体を鍛えて文字も覚えなさい

 

そして 

 

お母さんを護れる強い男になりなさい」

 

想像もしていない言葉に

 

俊(ジュン)の目が大きく見開く

 

「そ・それが罰なのですか?」

 

梅花(メファ)は思わず訊いた

 

ウンスは微笑み

 

「いい? 

 

強い人とは 力が強いだけじゃ駄目よ

 

もちろん

 

物事を沢山知ってるだけでも駄目

 

本当に強い人は 

 

弱い人 困っている人を

 

護れる人の事を言うのよ

 

分かる? 俊(ジュン)」

 

ウンスは もう一つの高麗に居る

 

ジュンギを思い出していた

 

(ジュンギ ・・・

 

優しくて強い男になってるかな)

 

ヨンは優しい眸でウンスを見詰め

 

その眼差しを 俊(ジュン)に向けた

 

「強くなれ 俊(ジュン) 

 

十五の齢を数えたら

 

都に来て迂達赤の門を叩けるように」

 

(・・・強い男になる)

 

ウンスの言葉を

 

頭の中で反復していた 俊(ジュン)は

 

大護軍の言葉に驚く

 

「おっ おいらが迂達赤に?」

 

「ああ 待っている」

 

「母ちゃん」

 

梅花(メファ)の目から涙が零れ落ちていた

 

 

「大護軍」

 

テマンが戻って来た

 

「碧瀾渡(ピョンナンド)に

 

繋ぎが付きました」

 

 

来た時と同じように馬車に揺られて 

 

二人が帰って行く

 

でも 行き先は 

 

あの都の北の外れの集落では無く

 

温かく優しい人たちが待つ場所へ

 

 

「ヨンァ 

 

アボジになり損ねたね」

 

「偽の子など要りません」

 

そう言うと ウンスを抱き上げ

 

「本当の子を作ります」

 

熱く甘い口づけが 

 

二人の夜の始まりを告げた