で、遡ること3年前

突然リストラにあった我々は

3ヶ月で11年間住んだボルネオ島を出なければならなくなった。


1歳でイギリスから引っ越してきた娘にとっては人生全てを過ごした土地だ。


で、日本に来た。

(詳細は過去の投稿で)


後片付けを夫に任せて

娘と日本に戻ってきたのが12月初め。


一週間後に私立中高一貫校の試験があった。

帰国子女枠は英語の面接と日本語の作文が試験科目である。


娘には小さい頃から私が日本語を教えた。


赤ん坊の頃から絵本を積み上げて

刺激的な玩具(特にデジタル系)を排除して

自分から能動的に働きかける玩具を厳選し

(つまりボーッとしてれば楽しませてくれる玩具を避けて)


しかも台所とリビングに柵を設けて

絵本の山と娘を置き去りにして

私は台所に隠れて本を読んだり料理したりした。


娘がお腹減ったり退屈したりして不平不満を言い出すまで放置したのだ。

なぜか?

退屈させたかったから。


退屈した時に絵本で自分を楽しませる事を身に付けて欲しかったのだ。


見事に娘は策略に乗り1歳に満たない頃からかなり長い時間一人で絵本を見て楽しく過ごしたものだ。


話は戻る。

こうして本が大好きになった娘は

(もしかすると母親より?)

3歳過ぎた頃には自分でひらがなとカタカナを読むようになった。


本の読み聞かせをしなくて済むようになった私を見て羨ましく思った夫が英語のフォニックスという教育法で英語の読み方を教え込んだ。


果たして娘は4歳頃には親が放っておいても一人でどんどん英語と日本語の本を読んでくれた。


本当に狂ったように読んでいた。

どこへ出掛けるにも本を5、6冊抱えて歩いた。


で日本語はその後進研ゼミの通信教育を取り寄せて勉強した。


ひらがな、カタカナまでは良かったが漢字が出てくるようになって速度が落ちた。


何度覚えても実際に日常生活で使う事のない言語は定着しにくいのだ。


そのうち英語の方が楽になり読む本も英語ばかりになっていった。


それでも進研ゼミはかじり付いてやっていた。


私も途中で面倒臭くなって

「もう止めようよ(お金かかるし)」と言っても娘は首を縦に振らない。


身に着いてるのか着いてないのか分からないが6年まで続けたのだ。


6年生の終わりに突然日本に帰ってくることになった娘は私に得意げに

「進研ゼミ止めなくて良かったでしょー?」と言った。


日本の中学受験なんて知らない私は娘の受験に全く不安を抱いていなかった。


国際バカロレア認定校が我が娘を落とすはずがないから。


作文は少し練習したが

「日本に住んだ事のない子供でここまで書ける子供は居ないから大丈夫」と言い切った。


受験の直前に娘が私に言った。

「おかーさん、私、この試験に落ちたら私達どーなるの?」

私はそれを聞いて「うーん🧐」と思わず絶句した。

確かに住む土地ももうその学校のある土地と決めてかかっている。地元の公立中学に入学手続きなんかも一切してないし。


「大丈夫だよ」と言ったものの、無茶な親のせいでこーんなストレスをかけられる娘を不憫に思ったものだ。


果たして試験の日。

試験が終わって建物から出てきた娘は横断歩道を渡って道路の反対側に立っていた私の前まで来たら無言で涙を流し始めた。


作文で「日本の文化について書きなさい」という課題の「文化」という言葉の意味を思い出せなかったのだそうだ。

そこで一行しか書けなかった娘は試験中に泣き出して一旦教室の外に出たのだそうだ。


「そうか、そうか、大丈夫だよ。で、面接は?」

面接は今までで1番印象に残った出来事を聞かれて数ヶ月前に盲腸で入院して手術を受けた話をして外国人の先生を笑わせたのだそうだ。


「じゃ大丈夫だよ」と言いながらも作文が書けなくて泣き始めた娘の姿を想像したら不憫で仕方ない。


果たして娘は合格した。

が、今考えるとそれが良かったのか悪かったのかは分からない。。


娘の苦労の始まりだった。😭