台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅 -2ページ目

台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

台湾華語は研究中(専門)、台湾語は独学中、台湾へはいつも一人旅!の、たまりが、台湾華語と台湾語、台湾旅行と台湾映画と台湾ドラマ、台湾文学について語り尽くします。詳しい自己紹介はテーマ「ごあいさつ」の中に。台湾語と台湾華語の違いについての説明もあります。

20013年の台湾映画『阿嬤的夢中情人』が、『台湾ハリウッド』としてリバイバル公開されているらしい。という情報を得て⬇️、またまた台湾映画の話でございます。台湾の50〜60年代は台湾語の映画が大人気だった、というお話。



『阿嬤的夢中情人』(20013年)の当時の邦題は、『おばあちゃんの夢中恋人』。華語の「夢中情人」というのは「夢の中の恋人」という意味なのに、「夢中恋人」とはどういうこっちゃ⁉︎と界隈がざわついたものです。結局『台湾ハリウッド』になったんですね。いいと思います(何様?笑)!

映画は、笑えて泣ける楽しいコメディ、老夫婦の愛の物語です。60年代の台湾で、台湾語映画の脚本家と女優の卵として知り合った二人。彼らを取り巻く人々の様子と、さらには当時量産されていた台湾語映画製作の裏側も描く、一つの歴史映画でもあります。このブログでも昔、「映画の中の台湾語」という記事でチラリと紹介しています(その1/その2)。





台湾映画の歴史は前回ご紹介しましたが、戦後初期(1945年から4,5年)には官営の映画会社による政策宣伝映画しかありませんでした。セリフは、当時の台湾ではまだ普及してなかった新しい「国語(中国語)」のみ。誰も聞き取れず、内容はつまらない。観客はほとんどいなかったそうです。

それが50年代に入り、何基明が初めて民間の撮影所を作り台湾語の映画を製作します。庶民の楽しみであった台湾の伝統芸能、歌仔戲(ゴアヒ)を16㎜フィルムで撮っただけのものでしたが、娯楽に飢えていた台湾の人々の間で人気爆発。その映画『薛平貴與王寶釧』(1956年)は、50年代〜60年代の台湾語映画隆盛期の幕明けを知らせるものとなりました。

空前の台湾語映画ブームを牽引加速させたのは李行監督。彼自身は1949年に国民党とともに台湾に渡ってきた「外省人」でしたが、処女作『王哥柳哥遊台灣(上。下』(1959年)は、セリフが全編台湾語のコメディ。大人気を博し、当時の台湾映画の代名詞とも言える作品となったのです。



台湾語映画の人気は本当にすごくて、制作が追いつかないくらい。スタッフや機材も万年不足状態で、逆にどこも半休業状態だった官営の映画会社(中国語映画を作っていた)から借り出していたそうです。