とある出来事で
いかに自分が
「役に立とう」と
自動反射的にスイッチが入ってしまうかを
実感した
「役に立つこと」は
良い事のように見えるけど
自分を犠牲にすることと
セットになっていたりすると
結局は、いつか、どこかで
無理が効かなくなって
ひずみが出る
「役に立つこと」は
一見、良い事のように思えるけど
長い目で見ると
周りのエネルギーを奪ったり
周りのやる気をそいだり
周りを無能にしかねない
「役に立とう」とすることで
「役に立つ自分」をアピールしていたり
「存在価値」を高めようとしていたり
「有用感」にひたって悦に入っていたり
「マウント」を取っていたり
自動的に
あれこれやらかしていたことを思い知る
だからといって
「役に立たない人間になろう」
とか
「役に立たなくても
存在しているだけでOK」
とか
いきなり転換するのは
難しい・・
なので
「役に立ち方を変えよう」
から始めようと思う
「役に立ちたい」というの気持ちの奥には
「愛」があるのだから
その「愛」の発露を
止める必要はない
ただ
「役に立ち方を変える」
たとえば・・
手を出したり
口を出したり
ではなく
「見守る」とか
つまるところ
「心配」からの言動ではなく
「信頼」からの言動に変える
ということ
「しんぱい」から
「しんらい」へ
「ぱ」を「ら」に変えるだけだけど・・
そこを変えるだけで
未来は大きく違うはず
#役に立つ
#役に立とうとすることで周りのやる気をそぐ
#役に立ち方を変える
#心配を信頼に変える
#愛に加えるのは心配ではなく信頼