こんにちは❗
「❤️食❤️を見直してライフチェンジ❗」を実践中のひろこです。
長崎に向かっています。
初めて九州の地に足を踏み入れることになりました、、
初めての九州が、「長崎」から入ることとなり、感慨ひとしおです。
スウェーデンにある日本の茶室「瑞暉亭(ずいきてい)」の保存活動に携わるようになって6年。
ようやく、長崎の地に降り立つことができます。
そして、前々から思っていた6月に、、
自分で計画した旅とはいえ
「図らずも、、」という思い、、
「瑞暉亭ものがたり」は長崎から始まります。
1869年、のちに初代瑞暉亭を誘致したスウェーデン女性の夫となる人物が長崎の地に降り立った、、
イギリスから船に乗り、アジアを目指していたスウェーデン人の男性に、当時の長崎はどう映ったのでしょうか⁉️
当初から日本を目指していたのか⁉️ それとも、、寄港地の長崎のまばゆい光に誘われて、この地で下船することを決めたのか⁉️
資料がない今、、
当時に思いを馳せ、推察するしかありません。
私は、いつしか、、
「長崎のまばゆい光に誘われて降り立った」と信じるようになり、、
そして、長崎に行くのであれば、6月、と思うようになりました。
初めて降り立つ長崎の地で
私が、どう感じるか、、
私なりの答えを見つけてみたいと思います。
昨年2018年は、スウェーデン日本外交関係樹立150周年でした。
上記のスウェーデン人の男性へルマン・トローツィグは、その翌年に来日したことになります。
へルマンは、長崎のブルーム商会で働き、のちにグラバー商会の仕事に携わります。
トローチィグ家には「へルマンは、のちに日本の総理大臣となった伊藤博文らの密航を助けた」という言い伝えがあったとか、、
公文書を調査した小野寺百合子氏によると、それは史実と異なる、、という見解も出されていますが、私はトローチィグ家の言い伝えにロマンを感じています。
密航、、つまりご法度であった海外遊学を行うにあたって、果たして公文書に真実が記されただろうか⁉️という疑問を感じるのです。
伊藤博文が帰国後、兵庫県知事になった際に、荒れていた神戸の外国人居留地をおさめるために、警察署長にへルマンを指名しています。
伊藤博文とへルマンとの間に強い信頼関係があったことが推測されます。
へルマンは、神戸の地で生涯を閉じ、神戸の外国人墓地に眠っています。
次は、神戸の外国人墓地を訪ねたいと思います。
へルマンの晩年、そして結婚したスウェーデン人女性イーダ・トローツィグの日本文化への思いも紐解いていければ、、
読んでくださって
ありがとうございます❤️
ひろこ