【小野寺百合子著

「バルト海のほとりの人びと」】



「ムーミンシリーズ」や

「長靴下のピッピ」の翻訳者として知られている

小野寺百合子さん


第二次世界大戦中には
陸軍武官であった夫とともに
ストックホルムに滞在し


平和工作のために、夫を助け
暗号文の作成、解読などを行っていた・・


が、


残念ながら、それが実を結ぶことはなかった・・


著書「バルト海のほとりにて」に
当時のことが詳しく書かれている


2016年には

NHKの終戦スペシャルドラマ
「百合子さんの絵本」
〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争〜

となった



小野寺百合子さんの
スウェーデン時代から始まった
交流関係が書かれているのが

「バルト海のほとりの人びと」
〜心の交流をもとめて〜

である


1935年にスウェーデンに建てられた

茶室「瑞暉亭(ずいきてい)」の発案者
イーダ・トローツィグとの交流


スウェーデンの商社

ガデリウス社の創業者の妻
ガブリエル・ガデリウスとの交流


そして

藤原銀次郎が寄贈した初代瑞暉亭について


また、自身が陰で支えた
新瑞暉亭について・・


新瑞暉亭の横で撮った写真には
祖母や母も写っている



小野寺百合子さんと
私の母方の祖母は
女学校の同級生であった


祖母は幼少期から
藤原銀次郎のもとで育った
事実上の養女である


1935年に建設された「瑞暉亭」が
1969年に焼失した際には

小野寺さんから祖母を通して
藤原銀次郎が再興の祖と言われる王子製紙に伝えられた



それから約20年の歳月を経て
イーダ・トローツィグの孫娘である
ウメ・ラードブルフと
ギャビー・ステンベルグが立ち上がり

1990年の瑞暉亭再建が実現した


ウメとギャビーが来日した際には
祖母の自宅に移築された
藤原銀次郎が愛用していた茶室で
茶事が催され

懐石料理を教えていた祖母が
腕をふるった


ウメとギャビーとともに
小野寺さんもお越しになり
祖母の3人の娘たち(母と叔母たち)も
手伝った・・



現在の瑞暉亭は


初代瑞暉亭を発案したイーダ・トローツィグの孫娘たち

初代瑞暉亭を寄贈した藤原銀次郎ゆかりの製紙会社4社

トローツィグ家とも親しく、藤原銀次郎とはビジネスを超えた関係を育んでいたガデリウス社


(再建当時、ガデリウス社の名誉会長であったタロー・ガデリウスは、青年時代に藤原銀次郎とともにスウェーデンの森に入り、瑞暉亭の庭石を探した経験を持つ)


トローツィグ家、ガデリウス家、藤原家を繋いでくださった小野寺百合子さん


そしてもちろん

ストックホルムの民族学博物館

当時の館長ウラ・ワグナーさん


皆々様のお陰で再建が実現したのだ




瑞暉亭は
スウェーデンと日本の友好のシンボル
と言われているが


国と国との友好は
その国と国の人びとの心の交流が
その根底にあることを知った


そして私自身も

瑞暉亭と関わる中で
多くの方々と出会い、交流をしてきた


交流の中で
互いの文化の違いを理解していく


理解あるところに
争いはない


国際交流は
争いのない世界を創る第一歩


世界平和への布石なのだ


と身を持って感じている



小野寺夫妻の
第二次世界大戦中の平和工作は
実を結ばなかったかもしれない


けれど

そこから始まった
スウェーデンの人びととの心の交流が

たしかに

平和への道に繋がっている

と、私は信じたい




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