前回の続きです。
理想の会話に代表されるのは、祖父母と孫の会話ではないでしょうか
と、申し上げました。
理由は、
そこには、「普遍の調和」があるから。
だからわたしは、娘の音に、週に一度、日曜日の朝、必ず九州に住む祖父母に電話をかけて一週間の出来事を話してあげるようにと教えています。
そんな祖父母と孫の会話は10年近く続いています。
今、音は11歳です。
正直、かなり面倒臭がるようになりました。
それでも、ちゃんと電話をかけさせます。
ある時、音がこう言いました。
「ばあばは、わたしが話をしてもさ〜。「他になんかない?」とか、『他にどんなんことがあった?』とか聞くばかりでさ〜つまんないんだよね。話することもないしさ〜。電話かけるの面倒くさい。やめたいな〜」
そう言いました。
もちろん、その気持ちはわかります。
わたしも子どもの頃、ある時期から祖父母との会話がつまらなくて仕方がなかったですから。
「じゃあ、ばあばにいろんなことを質問してみたら?ばあばが5年生の時はどうだった?とか。どんな中学校だったの?とか。そうしたら、ばあばもいろんなことを思い出して、ためになる話をしてくれるかもしれないよ」
「別にそんなこと聞きたくないし。そこまでしなくちゃダメなの?正直、つらいんだけど」
「じいじとばあばにとっては、音の声を聞けない方が辛いんだよ。考えてもごらん。もし、あと数年しか生きられなくて、唯一の楽しみが週に一度のこの音との会話だけだったら。あと何回、楽しめる?音にとってはただの電話かもしれないけれど、じいじとばあばにとっては、それが唯一の楽しみなんだよ。それを奪われたらどう思う?自分の立場になって考えてごらん」
「じゃあ、どうやって楽しませてあげたらいい?」
「会話は相手を楽しませてあげるものじゃないよ。お互いが楽しむものなんだ。たくさん質問してみな。質問するだけで、音も不思議とばあばとの会話が楽しくなると思うよ」
その日の夕方、音は改めてわたしの父母であるじいじとばあば、そして、奥さんの母であるおばあちゃんに電話をしました。
そして、普段はしない質問をたくさんしてみました。
「ばあばは小学校の時、どんな授業が好きだった?」
「給食はあったの?好きなおかずは?」
「じいじは友達と喧嘩とかした?強かった?」
「おばあちゃんは学校がお休みの日は何をして過ごしていたの?」
結局、3人と2時間。まるで友達のように、時たま「あはは〜」笑い声をあげて会話をしていました。これほど長く電話で話したのは初めてのことでした。
「どうだった?」
「じいじもばあばもおばあちゃんもいつも話している感じと全然違った。ものすごくよく喋るし、ものすごく楽しそうだった」
「音はどうだった?辛かった?」
「ものすごく楽しかった」
「どこが楽しかった?」
「ばあばがものすごく楽しそうに話してくれたからかな〜。なんだ、ばあばっていっぱい話すんだって思った」
「ねえ?じいじやばあば、おばあちゃんがどれだけ音と話したいと思っているか、わかったでしょう?その期待に応えてあげられたら、嬉しくないかい?」
「そうだね。なんだか気持ちいいね。嬉しい。今までわたしの態度悪かったからな〜。ひどいことしたな〜」
「それが自分でわかればいいんだよ。会話を楽しむってのは、そう言うことなんだよ」
「うん」
いまさら匿名の書き込みを否定するつもりはありませんが・・・
わたしもこうやって、ブログで一方的にわたしの考えを発信しています。
でも、わたしの考えていることが受け入れられているのか、そうでないのか、
いくら発信しても、どんなに呼びかけても、わからないものはわかりません。
だから、正直、時々虚しくなります。
わたしはSNS世代ではないので、やはり一方通行は不安になるのです。
だから人と会いたい。人と会って直接顔を見て話したい。
でないと、正直、相手のことなんて何もわかりませんから。
今の若い人は、一方的に発信することに慣れすぎてしまっていて、不特定多数の見えない相手に対して言っていいことといけないことの境がよくわかってないのだろうな〜と思うことがよくあります。
あるSNSの意見に対して、仮に反対意見を持っていても、その発信がきっかけとなって自分が炎上するかもしれない。
その恐れから発信できない人がいる。
逆にあえて、炎上を煽る発言もあるでしょう。
その炎上に乗っかる人もいる。
それが友達同士のグループラインでも同じようなことが起こる。
場をコントロールすることに優越感を感じる人は、常に最初に過激な意見を発信するし、それに追随する人はどんな時でも追随し続ける。
その状態が、ただただ自分にとって心地いいからそうしているのでしょうが、人と人との会話というのは、そんな単純なものではありません。
だからと言って、難しいもので決してないはずです。
でも、
複雑=面倒臭い
こういう発想になってしまうと、もう面と向かっての会話は、億劫なものでしかなくなってしまいます。
そうなってしまった人を見ていると、
コミュニケーションの素晴らしさを知っているわたしとしては、とても悲しい気持ちになります。
ただ、知っておいて欲しいのは、
匿名であろうが軽はずみに言った言葉であろうが、SNSの書き込みには、必ず証拠が残る。
つまり、
あなたの発言は2度とかき消すことはできないと言うことです。
それが意味することは何か?
発言には常に責任が伴うと言うことです。
相手の顔の前で相手に発した言葉より、匿名で書き込んだ言葉の方が責任は重い。
今はそう言う時代です。
それだけ多くの人の目に触れるし、影響力も大きいのです。
にもかかわらず、その人の眼の前では言えない言葉を、平気で書き込む。
これはもう完全にコミュニケーションの逆転現象です。
こう言う状態のまま、少年少女から大人に成長した人間が社会にでて、大人の会話をきちんとできるようになるのか?
わたしには甚だ疑問です。
だから、
もっと若い時から、
会話とは何か?を成長とともに順を追って経験することが大切なのです。
会話を純粋に楽しめる人になるために
子供の時の親との会話はどうだったか?
10代、20代、30代となってどう変わっていったのか?
友達のとの会話は昔と今ではどうなのか?
社会人になって、上司と上手にコミュニケーションが取れないのはどうしてか?
その原因はどこにあるのか?
いつから自分は人と直接会っての会話を楽しめなくなってしまったのか?
大人になっても、子供のままの心地よさを会話に求めてはいなかったか?
大人になってしまった会話の苦手なあなたはいまさら、子供からやり直すことはできません。
人と直接会って話をすることは、やはり億劫なのです。
そんなあなたが会話を楽しめるようになるためにはどうすればいいのでしょう?
「まず与えん」
やはり誠意をもって相手の話を聞く。
ここに立ち戻るしかありません。
富は、まず与えるから得られるのです。
労働力をまず提供するから、その対価が得られます。
人の幸せを第一に考え実行する人のところに富は集まります。
そうすれば、富がより速いスピードで多くの人に分配されるからです。
会話もそれと同じです。
人の話を誠意を持って聞いてくれる人のところに人は自分の話をしに行きます。
自分の話を積極的にする必要はありません。
まず、相手の話を聞くのです。誠意をもって。
意識してやることはそれだけです。
それだけで、あなたは会話を楽しめるひとになっているでしょう。
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