人が見えてくる
だから、わたしは相手が大企業の社長であろうが、
入社1年目の平社員であろうが、学生であろうが、
初対面の人には必ず敬語を使います。
学生であろうが、「○○くん」と呼ぶことはありません。
ある程度の信頼関係ができるまで、相手が心を開いてくれるまではしっかりある一定の距離を起き、相手が話しやすい距離感や環境を作ることに心を注ぎます。
普段、わたしが一緒に仕事をさせていただいている方々も全く同じです。
記者の先輩後輩。
編集者のキャリア。
カメラマンの年齢もわたしには全く関係ありません。
皆同じです。
わたしと同じか、それ以上。
つまり、誰であろうと目上の方に対する態度と同じ態度を取るように心がけています。
そうなると、何が見えてくると思いますか?
人が見えてくるのです。
特に若い人。
わたしより全然若い人。
仕事で知り合ったような若い人は、最初は、わたしのような目上の人間に対しては、誰だって緊張していたり、警戒していたり、手探り状態で接してきます。みんな優等生の態度です。
でも、わたしの態度がどんなときでも対等であり、自分の意見をちゃんと聞いてくれる相手だとわかるとすぐに心を開いてくれます。
当たり前ですが、人は初対面の相手には警戒をします。
でも、職場や楽しい場で出会った相手に対しては、できれば早くその警戒を解きたいと思っています。なぜなら、そのような場で出会った相手は「いい人に違いない」そう思いたい。
性善説ですね。
その本音は、無駄な労力を使いたくない。自分が早く安心したい。相手を気楽に話せる相手にしたい。という、甘えた感情です。
でも、本当に自分にとっていい人なのかどうかは、正直、わからないわけです。
その心配をわたしはできるだけ早く解いてあげられるように心がけます。
警戒していた若い子が心を開き、優等生が良い子の一面をたくさん見せてくれます。
そして、お互いにある程度の慣れのようなものが出てきたとき、ようやく、相手の本性が表面に現れるようになるのです。
「これから何でも教えてください」
「風さんには同僚に言えないことや愚痴でも何でも言えるからありがたいです」
「一緒にいいページを作っていきましょうね」
最初はそう言っていた若者も、時間が経つにつれて、
「どこまでわがままが言えるだろう?」
「これくらいの無理だったら聞いてくれる人かな?」
「ある程度、風さんに全部任せちゃっても大丈夫そうだな・・・」
「たとえ、自分がミスを犯しても、風さんだったらカバーしてくれるし、最悪、彼の責任にしてしまえばいいし・・・」
わたしのいないところで、陰口のようにそんなことを言っているという話を耳にするようになります。
そして、
「記者は編集者の言うことさえ聞いていればいいんですよ。やり方は全部こっちで考えますから」
「しょせんフリーですよね。社員の気持ちなんてわからないんだから、余計なことは言わないでください」
「記者なんて代わりはいくらでもいますからね。どうせ日銭が欲しいんでしょう?だったら黙って言われたことだけをやってくださいよ」
そういうことを直接、言ってくるようになる。
そのようにどんどん豹変していく若者をたくさん見てきました。
もちろん、若者だけではありませんね。40、50になってから豹変する人もたくさんいます。
管理職になった途端、昨日まで公言していたことと、180度全く違う主張をし始める人もたくさん見てきました。
本当にたくさんの人がこのような状態に陥っています。
本当に本当にたくさんの人がこのような状態に変貌していくのです。
なぜでしょう?
「電通」の問題を思い出してください。
自殺した彼女は、日々、とてつもない労働時間とノルマのプレッシャーを受けていました。その過程でどんどん心が壊れていったのだと思います。
ツイッターで自殺をほのめかす言葉を何度も書き込んでいるのに、社内に心の内を打ち明けられる仲間がいなかったのかもしれません。
会社を辞めると言う選択肢はなかったのか?
そう言う意見もありますが、その選択肢が浮かぶ前に心が壊れてしまったのだと思います。
ものすごく会社のことを信頼し、愛していたとしたら、辞めるという選択は一番難しい選択かもしれません。
わたしは運よく、心が壊れる前に辞める決意をしましたが、辞める意志を会社に伝えてから、実際に退職するまでの数ヶ月間は、本当に心が壊れてしましそうなくらいに辛かった記憶があります。
辞めて25年が経ちますが、今でも、その職場での夢を見るくらいです。
しかも、それは決まって、仕事で自分が追い詰められているときです。
あの時の記憶が、いつまでも、何年経っても、わたしを追いかけてくるのです。
「絶対に忘れさせないぞ〜」
こうなったら、もうホラーです。
つまり、どんどん豹変していく若者も、これと同じだと言うことです。
特に編集者なんていう職業は、1年中、心の休まる瞬間なんて片時もありません。これが退職まで延々と続くのです。
自分の担当しているページに穴を開けることは絶対にできません。
インフルエンザにかかっても休めない。(事実そうなのです。わたしは休みますけど)
上司からのプレッシャーはものすごいものがあります。
その上司もまた上の上司からのプレッシャーがかかる。
その上司もまた同じ。
わたしたちのような記者は、そういった組織の末端にいますから、逆によく見えるのです。
そもそも出世といったプレッシャーがない。
報道では、一回のミスが命取りになる。その雑誌の生命線に関わります。
もし、若い編集者がミスをすればどうなるか?
上司にも、その上司にも、そのまた上司にも責任が及び、編集長の責任となり、局長の責任となり、会社全体の責任になります。
常にそのようなプレッシャーの中で生きていると、どうなるか?
皆が皆、そのプレッシャーに耐えられる人間ではありません。
耐えられる素質のない人はどんどん豹変していきます。
豹変した結果、耐えられるようになった人は、自分を守るために自分より弱い立場の人を攻撃するようになるのです。
つまり、人として、どんどん落ちていきます。
会社はそこを救いあげてはくれません。
もし、自分がそんな立場になってしまったら、あなたはどうしますか?
もし、会社の中での肩書きがなくなったら、あなたは何者なのですか?
「素のわたしは、こういう人間です(きっぱり!)」
この発言を自分に対しても誰に対してもできる人が、これからの時代は求められるのです。
言い換えれば、
この発言が出てこなければ、あなたはこれからの時代を生き抜いていくことはできないでしょう。
社会は、優しくありません。甘くない。
あなたが人に対して、平等に敬意を抱けない人間なのだとしたら、
今は会社でうまくいっても、必ずしっぺ返しをくらいます。
だから、わたしは何度も聞くのです。
肩書きを外したあなたは、一体何者ですか?
もう一度、聞きます。
肩書きを外したあなたは、一体何者ですか?
