くるくる
最近、関川夏央氏の『家族の昭和』を読んだ。
向田邦子、幸田文、吉野源三郎
脚本家の鎌田敏夫(「金曜日の妻たち」が有名)を視点に
昭和を論じた一冊で
滅びの美学、近在する「歴史」の面白さに
一気に読み終えた。
昭和は近くてすでに遠い。
そして戦前と呼ばれた時代は
さらに遠くなった。
実家の母は、特に洋裁を学んだわけでもないが
一台の足踏み式ミシンを持っていた。
母はカタカタとそれを踏んで
小学校6年生のときに
日光の修学旅行にでかける私のために
夜を徹して一日でワンピースを縫って
着せてくれた。
娘のハレを手作りでという親心のありがたさも
もちろんあったが
それ以上に当時は「手作り」=「安上がり」
だったからだと思う。
今は逆だ。
既製品を探したほうが
残念だがコストは、はっきりいって安いし早い。
今でも作ってもらったそのデザインを
はっきりと思い出すことができる。
淡いグリーンの生地に
白いレースの襟と前立てをつけた
ワンピースで、おしゃれに見えるようにと
奮発してくれたのだろう。
イミテーション・パールのボタンが
5個ついていた。
私はこの母の器用さを
残念ながら、傍らにいて継承することは
なかったが、ひとかたならぬ料理への
興味と食べることへの情熱は
しっかりともらい
手作りに対する手先の器用さは
私の娘へと
どうやら隔世遺伝したようなのだ。
引越しのときなにげなく荷造りした中に
娘が以前使っていた簡易編み機があり
この間整頓したときに出てきた。
ひさしぶりに「ああ、これか」と思い
箱を開いた。
なんとかまだ使えそうだがマニュアルがない。
手芸で有名なハマナカの製品で
サイトでチェックしたがすでに販売していない。
だめもとで、問い合わせをしたら
廃番になった商品にもかかわらず
コピーでマニュアルを無料で送付してくれた。
この恩義に報いるには
何かを作るしかないないなぁと(笑)
女の子のあそび
リリヤーン編みの特大版と言えば
なるほどと、おわかりかもしれない。
違うのは、リリヤーン糸は星形に
編み機にかけるが
この編み機は一応本格的なジャージー編み
つまり、メリヤス編みの輪編みと
平編みができる。
ごそごそと押入れの天袋からずっと
放っておいたモヘアの残り毛糸を
これまた発掘してきて
この冬の節電対策のために
30分ほどで残り毛糸を
活用してマフラーを編み上げた。
今、活用されている家庭用のミシンや
編み機はどれくらいだろう。
(じゃーっ!じゃーっ!とアイロンの頭みたいな形を
びっしりとかけた針に走らせる編み機。
これを専門に教える学校まであったくらいだが
今、全国にいったいどれくらい生き残っているのかしら??)
手芸は今、贅沢な時間の使い方のひとつに
なってしまったような気がする。
欲しいものを自分で
コツコツ作るしかなかった時代があり
大量に生産された中から、
選んで消費する時代へと移り
時と世につれ
その器具もはやり、すたり、滅びていく。
だが、女性は本能的に一部
手仕事でなにかを産する欲求がDNAに
プリントされているのではないかと
感じるときがある。
手を動かしていくと
それがひとつの形をなして
機能を帯びていく。
もし美しかったり、可愛らしかったりしたら
心がふわりウキウキと
弾みだす。
もうひとつ大きな効能を忘れていた。
無心になれることだ。
もくもくと。
編み物は、自分の頭を
せつなからっぽにしてくれる。
この簡易編み機をくるくると廻し
マフラーを作りながら
私の目は無心に
編み機の針につぎつぎと
吸い込まれる糸をひたすらに追った。
そのとき、ぽっかりと
静かな無心のときがおとずれた。
時間は、人に残酷なばかりではない。
やさしく癒す魔法を
ほどこしてくれるときがある。

