梁石日(ヤンソギル)という男
何気なく週末の日経の夕刊を開いた。
「自分自身を生き抜く」と題して
作家の梁石日氏が語っていた。
ビートたけしが主演した映画「血と骨」の
原作を書いた人だ。
曰く
人は人生で問題を抱え込んだり
失敗したりして、先が見えなくなることが
あると思う。
それが何かは人によって異なる。
一人ひとりの人生は違うのだから。
ただ、それをすべてひっくるめて
たとえ他人による結果であったとしても
自分が引き受けて前に進むしかない。
大震災のような、突発的な出来事で
自分の一切合財をすべて失うという
経験は、人生に一度あるかないか。
だから、何かに置き換えて語るのは
難しいし、私がどのような
言葉を発すればよいのかわからない。
もちろん心がけだけはきちんと
向き合う姿勢は大切だと思う。
ああ、とても彼らしい言葉だと思った。
自分を生き抜けと。
がんばる、がんばらないはこの一行には
どちらかというと、ふさわしくない形容詞だ。
ただ、決して後ろ向きにはなるなと
肝腎なところはツボに一刺しを忘れない。
人はそれぞれの物語を必死で
生きていく。
すべての体験を抱え前進する。
もうかなり前のことになる。
一度神奈川大学の公開講座で、
30人ほどの一般社会人を前に彼が
講演を行ったときに
聞きにいったことがあった。
そのときのことをものすごく正直に言うと
「あれ?意外と若い」
目の前に現れたのはまぎれもなく
失礼を承知で言うと、初老にしては
童顔の面影を残した
実際の年齢より10歳ほどサバを読んでも
わからなかっただろうという雰囲気の人だった。
バリバリの戦中派。
戦後は大阪で「アパッチ」と呼ばれ
肉体を酷使し
鉄くずを掘り出して闇市で取引し
生き抜いていたのが信じられない小柄な人。
(「夜を賭けて」に書かれている。
開高健は、彼を取材して「日本三文オペラ」を
書いた)
さらに、突っ込むとその日の梁石日は
男性として微塵の錆も感じさせなかった。
これと思った女性に、一本釣りでも
その場でやりかねないような「現役臭」が
ふんぷんとして
私は女性としてまっすぐ彼にみられる勇気は
とても持てそうになかった。
一瞥でスリーサイズはおろか、それまでの
人生の起伏まで読み取ってしまうような
目の持ち主。
それでいてまったく脂ぎっているような
いやらしさが感じられなかったから怖い。
結局、とんでもないヤバい男性なのに
そして外見が飛びぬけたイケメンでもないのに
常に女性に囲まれているような男性とは
こういうタイプの人のことだろうと思う。
(梁石日が、イケメンではないということでは
ないので、念のため)
20代に当時で億という単位の借金
それもかなりヤバい借金のために仙台に
つてを頼って国内高飛びをして
鳴りをひそめたつもりが
かの地では、当地の夜の世界の女性たち
ほぼ全員と関係ができてしまったために
さらにヤバい恨みを買って東京に出奔。
穏やかそうな外見とは
相容れない内面を隠し持ち
破天荒な生活をふつうに送らしめる男性だけが持つ
底しれない人たらしの血が通い、巡っているであろう
彼の両手を見ながら話を聞いた。
その日は、ユニクロっぽい
紫と白のストライプのボタンダウンのシャツに
チノパンというカジュアルな
いでたちだった。
私はまぶしく檀上の彼を見上げたが
心の中では、妙ちくりんな安堵を覚えた。
「ああ、こんな男性が恋人だったり家族だったり
したら、本当に大変すぎる。
その大変の充実度が恐ろしすぎる。
人生に交錯するようなことがなくてよかった」
これはもはやアホな妄想に近い(笑)
講演は1時間半ほどで終わり、会場から質疑応答を
受けますという段になった。
私は平素は、人の後ろに隠れるタイプだが
この日は「はい」と挙手してみた。
一番だった。
どきどきしながら、一番聞いてみたかったことを
直接たずねてみた。
「20代の始めに詩作に打ち込み、以後40代半ばまで
文学とはまったく疎遠であったにもかかわらず
その後の創作に至るのには、何か当時はメモか日記を
ものしていらっしゃったのですか?」
うなずきながら質問を聞いたあと、予想外の答えが
返ってきた。
「いや、まったく書いていません。
覚書も、読書メモすらもない。
第一、毎日生きるのに必死で読書する時間すらないような
すごい人生だったから。
もちろん学生だったときは、これまた
とんでもない量の本を読んではいたけれども
偶然、仙台の古本屋でたまたま書棚にあった
一冊のヘンリー・ミラーを
たまたま引っこ抜く偶然がなかったら、今の僕は
ありません。
だから、『血と骨』は、ずっと書きたかったが
自分の中に時が満ちて書けるようになるまで
かなり時間が必要でした。
書きたくてもかけなかったのです」
私は、初めてまっすぐにその目を見た。
視線に射抜かれて「ありがとうございました」と
やっと答えた。
帰宅するために、みなとみらいのランドマークタワーの
行きかう雑踏にまぎれつつ
「そうだったのか。本当にすごいな・・・」と
夢うつつだった。
日経の新聞には、最新の梁石日のプロフィール画像も
掲載されていた。
目の鋭さは変わらない。
右頬のほくろも。
チェックのカジュアルなシャツも、あいかわらずの
雰囲気だ。
でもすっかり銀髪となり、ふくよかに顎の線が消えた彼は
今では好々爺に見える。
梁氏は、講演のときの私の質問など
まったく記憶のかけらにも残っていないだろうなと思う。
新聞の記事を読みながら、心臓がバクバクで
必死で聞いてみたかったことをコトバにした
自分のスケールにしがたい心の震度MAXを
昨日のことのように思い出した。