ありがとう | ご飯、ときどき雑記

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ありがとう


春のかおりを束ねた
花々に目をなごませながら
父親に電話で詫びをいれる。


ご飯、ときどき雑記-春の香りたち

昨日、実家の父とひさしぶりに口論になった。
こういう場面は口下手のわたしに
最大の試練となる。
もとより、旧い世代の父にしてみれば
「こどもが親に口ごたえなぞもっての他」
だからだ。
頑固おやじの典型、歩くカタログみたいだ。


特に長女のわたしは、だまって拝聴するより
ないだろうと、今のいままできてしまっている。
飲みこんできたさまざまな思いは
ひとたび爆発すれば、自分で制御できないと
こころのどこかで危ぶんでいる。
それは父親に対して
愛情を喪失してしまっていたり
尊敬の念をもはや抱くことができない
ということでは全くない。
自分が、適切に相手を納得させるよう
言葉を尽くして話すことができなかったもどかしさだ。
これだけ長生きしてきて
凹むに十分。
なんとおのれの未熟なことである。


だから、私が口をいざ開くと父親は
「お前は理屈っぽすぎるっ!」と見事にキレる。
とりあえず目の前のテーブルは
ひっくり返さないにせよ、噴火する。


わたしは3人きょうだいで
2つ下の弟と4つ下の妹がいる。
弟や妹は、そんなことはない。
弟は「寡黙」を武器とし、一過をノンシャランと待てと
達観しており、
妹は末っ子の要領よさで、逆に歯に衣きせぬことも
反論してさらりと通してしまう器用さがある。
同じ両親から生まれて
順番でこうも違ってくるものだろうか。


昨日は口論の果てに
おしだまって席を立ち、
「それじゃ」とそのまま帰宅してしまった。
帰宅の途中、一歩一歩はこびながら
後味の悪さと苦い思いを
じっくりかみしめていた。
私を案じるあまりの苦言。
こころではわかっている。
気持ちも通じている。
その心とは裏腹に、ただただそれを
「心配させてごめんね、ありがとう」と
受け入れてあげることができない。
自分の娘としての狭量さが
心底いやになる瞬間だ。


一晩をまんじりともせず
朝のあけるを待ち、電話をした。
素直に「ごめんなさい」とまず伝えるのみ。
頑固おやじは、再度自論を展開する。
「わかりました。ゆきとどかないことで」と
またひとこと返したくなるところを

ぐっとこらえて、とにかく一度きちんと謝る。
父は
「また、時間があるときに寄りなさい」


ほっとした。


父はとても健康に恵まれていて
矍鑠としたものだ。
それでも、明日も同じように電話で話し
会ってともにお茶を飲める保証は
どこにもない。
もし最後の会話がケンカで終わったなら
私は自分の至らなさをひたすら
悔いながら過ごすことになろう。
明るく、やさしく私のできるかぎりと

常、思う。簡単なようで、難しい。
元気にがんばっていてくれることに
心から感謝せずにはいられない。


だからいつも電話は
ひとことで
終わる。


ありがとう
またね