半夏生 | ご飯、ときどき雑記

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4カ月後に知った訃報


上弦19の月 半夏生(はんげしょう)

7月に入った。


帰宅した私を待っていたのは

ひとつの知らせ。


満州鉄道に勤務していた旧京城から出征し

終戦を満州で迎え

シベリアに抑留され

5年後にようやく故郷の土を

奇跡的に生きて踏んだ。


おつりの人生と思っていたのだろう。

生業の米穀店を営みながら

仕事が終われば

人事不省になるまで飲まずにいられない。

JRの急行を線路に立ちはだかって止めたり

道路をふらふらになって渡ろうとして

本当に車にはねられたり。

武勇伝など通り越して

実の息子に「本当に死ねばいい」とまで

言われたものだ。

その息子に、かの遠い戦地での経験を

ひとことなりとも話すことは

決してなかった。


戦友会の仲間が

ひとり

ふたりと、彼岸に旅立ち

病に伏せたり、諸事情で

一泊の旅行すら難しくなって

楽しみにしていた年に一度の夏の集いが

中止になった後

地元の新聞の取材に

初めてその経験を語った。

その小さい切り抜きが

今、私の手元に遺っている。


一度だけ、私は聞いた。

梅雨の雨上がりの蒸した夕方

庭に出て好きなさつきの手入れをしながら

まだようやく歩きはじめたばかりの

娘を抱いてあやしていた私に

聞かせるともなく、ひとりごちた。


「馬鹿なことだ。本当に愚かしいことだった。

みんな20歳前後だった。

自分は生き残ってしまったけれど

いまわのきわに、この世を去った仲間たちは

みな同じ言葉を最後に口にして

死んだ。

『おかあさん』とひとことだけ」


「どれ、じいちゃんにかせぃ」

いとおしげに孫を胸に抱きとると

「かわいいのぉ」と

満面の笑みを浮かべた。


奇しくも

その孫の誕生日の日に

この世のすべてをなしおえ

バトンを渡すかのように

静かにこの世をあとにした。




合掌