海水浴特急【全国保存蒸気機関車めぐり】 -2ページ目

海水浴特急【全国保存蒸気機関車めぐり】

全国各地470余りの保存蒸気機関車を訪ねています。現在の訪問数450機です。

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青森・秋田の保存蒸気機関車めぐりも2日目、6機目は弘前市城北公園交通広場に保存されているD51892です。


D51892
1944-4月:日立製作所笠戸製番1830 配属仙台局配置弘前区
1960-8月:東能代区
1972-2月:秋田区
1972-6月:廃車
1972-10月:城北公園交通広場にて保存


今回の機関車めぐり、初日は1日雨に降られました。2日も予報は良くなかったのですが、朝になると晴れ間も見えていて弘前に到着する頃には快晴になりました。

D51892は交通公園の中央に保存されていました。露天ですが状態は非常に良好です。青森のC11167同様ごく最近整備されたのでしょう。青森と違うところはとても落ち着いた塗装がされていること。変な差し色をせず、黒ベースの現役機に忠実な塗装です。足回りまで黒く塗装されているのはご愛嬌ですが、砲金類は現物に近いゴールドで塗装されています。キャブ内の状態も良好で、とても丁寧な案内板が各機器に取り付けられています。

なぜここまで状態が良いのか?それはこの交通公園の環境にあります。D51892をぐるっとまわる様に電動列車のレールが敷かれていて、運転日には係りの人たちが常駐しているのです。ご年齢から考えて中には国鉄OBの方もいらっしゃるのでしょう。そんなみなさんがおそらくこの機関車を守ってくれているのだと思います。この日の天気同様、とっても気持ちのよい気分になれました。

※2016年10月9日訪問
※2016年新規訪問数 49機
※累計訪問数  446機

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青函連絡船は1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、青森駅と津軽海峡を隔てた函館駅とを結んでいた鉄道連絡船です。国鉄分割民営化後間もなく開業した青函トンネルにその役割を譲って、昭和63年3月13日に終航しました。

廃止後「海の街」青森の記念碑にしようと、1990年(平成2年)八甲田丸が保存・展示されました。八甲田丸は津軽丸型第2船として1964年(昭和39年)7月31日に竣工しました。八甲田丸は歴代の青函連絡船では最長となる23年7ヵ月間運航された花形船でした。

合浦公園のC11167訪問でほとんど日没間際でしたが、八甲田丸の見学には間に合いました。岸壁から見る八甲田丸はまるで現役のよう。わくわくしながら船内に入ります。内部はほとんどが展示スペースなどに改造されていますが、グリーン船室と寝台室の一部は現役当時のまま残されています。中でもやはり興味を引くのは車輌デッキです。鉄道車輌をそのまま運搬できる車輌デッキには、キハ82101やDD1631、ヨ6798、ヒ833・ヒ834(ヒ600形)、スユニ50509・スユニ50510が保存されています。キハ82などは現役当時青函連絡船で運搬されてことはあるのでしょうか?でもやっぱり旅客列車はこの船に似合いますね。
在りし日の青函連絡船に思いをはせることのできる、そんなメモリアルシップ八甲田丸でした。


※2016年10月8日訪問

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青森・秋田の保存蒸気機関車めぐり、5機目は青森市合浦公園に保存されているC11167です。


C11167
1940-10月:汽車製造大阪製番1932 配属仙台局配置大湊区
1959-4月:尻内区
1962-4月:青森区
1963-4月:大湊運転区
1974-7月:廃車
1981-9月:青森市合浦公園に保存


野辺地に続いてC11の保存機です。C11210があまりに酷かったのでこちらも覚悟して現地に行きましたが、雨の中対面したC11167はぴかぴかの状態でした。

おそらく幸運にも整備直後だったのでしょう。全体的にしっかりと手が入れられているのがわかります。
しかしこの合浦公園はすぐそこが海でしかも露天保存。これまでの経験からも機関車の保存には非常に厳しい立地です。よく見るとC11167にもかなりの補修跡が見られます。繰り替えされた塗装の層、煙突はおそらくダミー、キャブ側面や水タンクも補修されています。それでも大きな部品の欠損もなく現在この状態を保っているのは、諦めずに定期的に整備されてきたからでしょう。屋根付きにもかかわらず荒廃した野辺地の210号機とは大違いです。

機関車の運命は保存先で決まってしまうというのがよく解る2機のC11ですね。



※2016年10月8日訪問
※2016年新規訪問数 48機
※累計訪問数  445機

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青森・秋田の保存蒸気機関車めぐり、4機目は野辺地町愛宕公園に保存されているC11210です。

C11210
1942-1月:日立製作所笠戸工場製番1491 配属札幌局配置静内区
1967-10月:追分区
1971-10月:苫小牧区
1973-10月:小牛田運転区
1974-5月:廃車
1976-5月:野辺地町愛宕公園に保存(野辺地小学校の校庭横)


七戸からは南部縦貫鉄道の起点駅野辺地に移動しました。C11の保存機なので大畑線で活躍した機関車かと思いましたが、C11210は生涯のほとんどを北海道の日高本線で働いたカマです。

その保存状態を見て絶句しました。屋根付きの保存環境でここまで状態の酷い機関車は見たことがなかったからです。塗装は剥げ、前後照灯は割れ、キャブ窓は窓枠ごとなく、そこから見えるキャブ内も荒れ放題。これは保存後40年間、一度も整備されたことがないのでは?と思えるほどでした。先日解体されてしまったさいたま市中央区役所の39685も、露天で状態は悪かったものの修理跡など保存に努力した跡が見られましたが、このC11210にはそのような形跡すら見られません。まさに「放置」といった印象です。

折からの強い雨の中、C11210はとても寂しげに見えました。
ここは野辺地小学校の校庭横、子供たちは朽ち果てていく蒸気機関車を見て何を思うでしょうか?


※2016年10月8日訪問
※2016年新規訪問数 47機
※累計訪問数  444機

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今回の青森・秋田の保存蒸気機関車めぐりでは保存鉄道を3ヶ所訪ねました。南部縦貫鉄道は、かつて東北本線の野辺地駅から七戸駅を結んでいた鉄道路線です。全国でも珍しいレールバスの運行が行われていたことで有名でした。この南部縦貫鉄道は開業時から幾多の困難を抱えていました。昭和37年の開業からわずか4年後には倒産しましたが、それでも事業を続けたのは東北新幹線への接続を目ざしていたからです。しかしその夢も頓挫し1997年に休止、開業から40年の2002年に全線廃止されました。

旧七戸駅は現在もそのまま残され、駅舎と構内は当時のまま残されています。そして機関庫内にはレールバスと気動車、機関車の6両も残されています。レールバス2両とキハ104は動態保存されていて、有志のレールバス愛好会と元運転士さんの手によって保存されています。2011年から七戸駅構内の通年一般公開を行っていて、土日を中心に七戸町観光協会の主催で車庫の見学も受け付けています。訪問日はちょうど土曜日だったので、受付をして車庫を案内していただきました。

薄暗い車庫の中に可愛いレールバスはありました。キハ101・キハ102は1962年(昭和37年)の開業時に富士重工業宇都宮工場で製造された車両で、バス車体工法によって車体を組み立てられているためレールバス」と呼ばれます。運転方法もクラッチペダルを踏み、運転席の右側にあるシフトレバーを操作し、ギアを入れ替えて変速することなどバスと一緒です。私もはじめて実車を見ましたが本当に可愛らしい。丸みをおびた車両がなんとも味があります。車内もこじんまりとしていて、ロングシートで定員60人と、バスよりも少し大きいです。現在も年に数回走らせているそうです。ぜひ今度は走るレールバスに乗ってみたいですね。


※2016年10月8日訪問