長月の…
待てど 暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ…
路傍に咲く萎びた宵待草ワッツに水と潤いを与えたもう
今月から始めた小生のブログも早、二十余話を数えるにあたり、今一度ブログを読み返してみたのであります。
その内容たるや、妄想と失恋を筆頭とした自虐的発言がその殆どを占めているといふこの現実
そしてこの現実に、情けなさと、やりきれなさと、些かの恍惚を覚える小生であります
なに故に自虐的発言が多いのかと問われれば、小生、意識的且つ無意識的に種々雑多な事柄を綴っているので、其処に我が半生が色濃く反映されているものだと思われる。
と言うことは小生の半生はへっぽこであり、ドMであることなのでせう
それとも一つ、小生、何故人々はブログを書くのかということについても、自らが被験者となり思考をを重ねてまいりました。
そして現段階で出た1つの答えを恥ずかしながら公表致します。
1.日記といふのは本来他人にはあまり観られたくない、自らの思いが綴られていることが多い
2.ブログは日記ではあるが、他人に観てもらうといふ、いわば小学生の時分にあった絵日記に近い要素がある
3.ブログはインターネットといふ巨大な媒体を通じて、全世界の人間に、己が存在をアピールする事が可能である
この3つ要素を小生のオツムで咀嚼するとこういう風になる…
「ブログってぇ、ホントはみんなにアタシの私生活を観られるのは恥ずかしいんですけどぉ…
でもぉアタシっていう人間ぉ、ちょっとでも知ってもらえれば嬉しいじゃないですかぁ…
しかもぉアタシぃ、今、ネイルとかに凝っててぇ、結構自分でもやっちゃったりするんでぇ、同僚とかからもぉ、やってぇとかって言われんですよぉ
だから、ネイルが今アタシのぉ自慢ていうか、マイブームなんですよねぇ…」
書いてる自分が恥ずかしくなってきた…
まとめるとこうである。
ブログとは、自らの恥部をさらけ出す事によって得られる精神的満足、即ちマゾヒスティックの部分と、
自らが誇れる部分を公表する事で得られる精神的満足、即ちサディスティックな部分が交錯しているのがブログである
即ち
ブログとは、『セルフSM』である
…誰かワッツを葬っておくれぇ……
誰か、小生の濁りきった前頭葉と脳下垂体を、汚れを知らないウィーン少年合唱団のと代えておくれ………
今日の一言
「うさ美ちゃん、信じてくれよ!
コレは妄想じゃないよ、妄想という名のポエムだよ!」
路傍に咲く萎びた宵待草ワッツに水と潤いを与えたもう

今月から始めた小生のブログも早、二十余話を数えるにあたり、今一度ブログを読み返してみたのであります。
その内容たるや、妄想と失恋を筆頭とした自虐的発言がその殆どを占めているといふこの現実
そしてこの現実に、情けなさと、やりきれなさと、些かの恍惚を覚える小生であります

なに故に自虐的発言が多いのかと問われれば、小生、意識的且つ無意識的に種々雑多な事柄を綴っているので、其処に我が半生が色濃く反映されているものだと思われる。
と言うことは小生の半生はへっぽこであり、ドMであることなのでせう

それとも一つ、小生、何故人々はブログを書くのかということについても、自らが被験者となり思考をを重ねてまいりました。
そして現段階で出た1つの答えを恥ずかしながら公表致します。
1.日記といふのは本来他人にはあまり観られたくない、自らの思いが綴られていることが多い
2.ブログは日記ではあるが、他人に観てもらうといふ、いわば小学生の時分にあった絵日記に近い要素がある
3.ブログはインターネットといふ巨大な媒体を通じて、全世界の人間に、己が存在をアピールする事が可能である
この3つ要素を小生のオツムで咀嚼するとこういう風になる…
「ブログってぇ、ホントはみんなにアタシの私生活を観られるのは恥ずかしいんですけどぉ…
でもぉアタシっていう人間ぉ、ちょっとでも知ってもらえれば嬉しいじゃないですかぁ…
しかもぉアタシぃ、今、ネイルとかに凝っててぇ、結構自分でもやっちゃったりするんでぇ、同僚とかからもぉ、やってぇとかって言われんですよぉ
だから、ネイルが今アタシのぉ自慢ていうか、マイブームなんですよねぇ…」
書いてる自分が恥ずかしくなってきた…
まとめるとこうである。
ブログとは、自らの恥部をさらけ出す事によって得られる精神的満足、即ちマゾヒスティックの部分と、
自らが誇れる部分を公表する事で得られる精神的満足、即ちサディスティックな部分が交錯しているのがブログである
即ち
ブログとは、『セルフSM』である

…誰かワッツを葬っておくれぇ……
誰か、小生の濁りきった前頭葉と脳下垂体を、汚れを知らないウィーン少年合唱団のと代えておくれ………
今日の一言
「うさ美ちゃん、信じてくれよ!
コレは妄想じゃないよ、妄想という名のポエムだよ!」