こんちは❗


37号もプロが現場に入り出した。


さすらいはプロが現場に入る間


一緒に入ることは決して無い。


逆の立場で考えると作業中に


DIYと称して施主に


チョロチョロされたら


目障りでしょうがないから。チュー



台風10号が過ぎ去って


今週末からまた車旅に出るが


それまで暇なので実家の


残置物の断捨離を行っている。




実家はさすらい家から


車で2、3分のところにあり


今は工具や資材の倉庫と


なっている。


エアコンは既に全て


取り外してあり


2階は暑いので1階から始めた。





築50年なので買ってるボロ家と

何ら変わらぬ昭和感満載❗



金属は別個で集めて売りに

いって8600円になった。爆笑


整理していると感慨深い

ものが色々出てきた。


父の死亡診断書。びっくり

父はさすらいが18歳の時に

肝細胞癌で亡くなっている。

62歳であった。

さすらいも後4年で

その年になろうとしている。

時の流れは早いもんだ。

後悔無きよう余生を生きよう。



そして若い頃、乗ってた

車の写真なんかも出てきた。


リーマン新卒の頃乗っていた

フィアットウノ。🚗

80〜90年初頭のイタリア車は

しょっちゅう故障した。

修理費で車が2台買えるくらい

金が飛んだ。😭💦💦

当時は今の様に

フィアットジャパンなんて無く

サミットモータースという

会社が日本の独占販売権を

持ってたがクレームが多すぎて

撤退したため長い間日本で

パーツが入手で出来なくなり

イタリアから船便でパーツを

送ってもらい

友人の修理工場に

持ち込んで直してもらった。

その頃、会社のサラリー

だけで修理代を工面できず

会社が休みの土日祝に

アルバイトをしていた。

泣く子も黙る

西成あいりん地区にある

友人の親の会社で

日雇い労働者達の監督兼送迎

ドライバーのバイトだった。

この頃の西成あいりん地区は

平成暴動が起こっていた頃だで

今とは比べ物にならない程

危なかった。仕事内容も

大変エキサイティングで

映画の脚本みたいな出来事が

起こったり

絶滅危惧種のような

様々な特異な人物達が居た。

以前運転中に後ろから刺された

監督ドライバーもいて

違う意味で大変危険な仕事なので

1日3万円もらってた。👌🤗

懐かしいなあ〜😊

これも社会の最底辺を知る

という貴重な人生勉強だった。

絶対にこうなってはいけないと

心に誓った記憶がある。😤

面白いので機会があれば

回想録で記事にしてみます。



まあ、実家の残置物は

業者に任せずに

自身でやるべきだと

つくづく思った。


おわり❗